希少がん告知を受けるその瞬間まで

希少がん告知を受けるその瞬間まで

術後、退院まで順調に回復し、日程通りの退院となりました。

腹腔鏡手術は回復が早いとはいえ

内臓を切る経験が初めてなので、

「痛みが少ないですよ」「回復も早くて楽ですよ」という意味がよくわからなかった(私の過去最高値は、出産と真横に生えた親知らずを抜いた痛み)。

よって私の比較対象は当てにならず…、

痛みはもちろんあるし、シャワー浴びるのも小鹿だし、怖くて傷口見れないし…、基本傷口は見ないように、院内を歩いて回復を早めるようにしていた。GReeeeNと一緒に( ´艸`)

※40センチ弱の開腹術を受けた結果、腹腔鏡手術は痛みが少なく回復も早く楽でした!!感動しました♡

退院後は

背伸びなんて傷口開きそうで怖くて、基本猫背で歩き、傷口にバックとか買い物カゴとか当たらないように間合いを取る癖がつき、家でもクッション乗っけて、万が一子ども②が飛んできてもいいようガードを怠らず。

術後診察の日、すなわち告知の日

そう、忘れたくても忘れられない

2012年4月12日

14時頃が指定された予約時間。それは腹腔鏡手術中の迅速診断後の診断結果と傷口を診察する為に病院へ行く日だった。

いつもの母は、父に子どもを任せ、私に付き添って病院に行ってくれていたが、その日の母は「私が家で子どもたちをみてるから、気をつけていってらっしゃい」と言った。

ならばせっかくだから、お一人様ランチしてから行こう♪と呑気にイタリアンをお腹に入れ、仕事復帰の日にち聞くの忘れずに、なんて思いながらバスで病院へ向かった。(母ががん告知を恐れ逃げたと後に知るんだけどね

余談ではあるが

7年たった今でも、春は胃がきゅっとなる日が多い。

どうしても「あの告知の日の夜桜」の綺麗は光景が脳内再生されてしまう。

今までの人生で最も濃厚で、搾りかすしか残らないんじゃないかと思うほど、心がカスッカスになるまで、悩み考え、

時に自暴自棄になり、泣いても泣いてもこんなに涙が出るのか、と驚くほど枯れない涙をぼたぼた流し…

でも検索をやめられず、情報を集めることをやめられず、パソコンに向かい、泣きながら検索した、極濃しぼりの2ヶ月(がん告知から腹膜中皮腫の手術をする病院が決まるまで)。

今こうやってブログを書いている未来が来るなど、到底信じられなかったあの日。

すみません、

4月12日の日は、濃厚すぎて一気にかけませんでした。

続きます。

by 中皮腫患者 mochi