卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

意を決した!卵巣嚢腫の腹腔鏡手術をうけるぞ。鼻息荒く、当時務めていた会社に事情を話し、最短で手術をお願いした。

腹腔鏡手術まで

その時はまだ、自分が希少がんと告知される未来を知り得ないので、退院後1〜2週間で職場復帰なんて本当にできるのー?入院中子供たちは大丈夫か?習い事や宿題もちゃんとこなせるか?実母と夫の負担も心配だった。

何事も凝り性なので、

カレンダーをエクセルで作成してみた。子供①と子供②の帰宅時間、習い事の時間、決まった宿題の提出日等、一覧で家族が共有できるよう、私の入院スケジュールもそこに記入。

玄関には、子供②の小学校へ持っていくもののチェック表を作り忘れ物を防ぐよう工夫。幸い夫は料理が得意なので土日は心配ないが、平日帰宅時間が遅かったので、実母への負担が大きくなるのが申し訳なかった。

が、なってしまったものは仕方がない。最大限家族の手間が少なくていいよう、環境を整えるように準備、準備。

入院当日の朝

「毒」編で触れたが、母は非常に優しい瞬間と、粘着質な毒親の時間(こちら多め)、二つの顔があり、1週間の入院となると、きっとイライラするのは想定の範囲内なので、朝実家に行って、2万円入った封筒を「面倒かけるけど、これ少し足しにしてください」と渡した。

その時は母は、そんなの気にすることじゃないわよ、それこそあなたの手術費の足しにしなさい、後のことは心配しなくていいから(涙)と。

まあ、フラグではあるのでちょろっと書くと、予想は想定内で的中っす。子供①はゆっるーい思春期中で、まぁネチネチと言われたそうなり…

いよいよ手術日

3月30日

よくドラマでみるような、ストレッチャーに乗る。あ、これストレッチャーの脇に家族が付き添うやつ?と思ったら、「ご家族の方は病室でお待ちください。後でご案内いたします」だった。

ストレッチャーで手術室を通ると、そこはディズニーランドのスペースエリアのピザ屋さんみたいに、電光掲示板にデジタル表示があって、ちょっとUFO内部っぽくて斬新だった。

いざ手術室。周りを見てみたい好奇心にかられてるなか、麻酔師が「ちょっとちくっとしますよー」いーち、にー、さー(んの記憶ゼロ)

目を覚ました時は、足に空気のポンプがついていて、ガッチリホールドされた病室内だった。思ったのは

寒い、めちゃくちゃ寒い、いや?痛いの?うううん、寒い

個室は手術当日の夜までで、翌日には大部屋に移動です。と聞いていたが、とてつもなく寒くて痛くて気弱になり、ナースコールで「個室にしたい」と訴えてみたが、先生が笑顔で「大丈夫、とりあえず明日になって決めよう」と。夜中に看護師さんが何度かみにきてくれて、電気毛布でぐるぐる巻きにしてくれて…それでも寒くてガタガタ震えてたなぁ

しつこいが、これで終わりだと思っていたので、この手術は私にとってはその時点では、人生最大の山場だったので、気弱も気弱。今じゃ微笑んで手を握ってあげたい、自分に。

手術中に、中皮腫らしきもの発見

腹腔鏡手術で、左の卵巣摘出する際に、腹腔内に播種があり、数カ所摘出しそれも卵巣と一緒に病理に提出してくれていたそう。

そのことを、手術中に母に話したとのちに先生は言っていたのだが、まあこれもまた私の「自立」に気がつかせてくれた一件となったので、後述いたしたく。

たまたま病理の人が、大学で中皮腫を研究していたそうで、実に迅速に中皮腫との診断が下るのも、3月の私には知る由もなく、

ああ、とった卵巣みたかったなぁ(処理されて見れなかった)。くらいの、無事終わって、時間がたてば傷の痛みも引くだろうし。

さぁ!

心配していたのとは他所に、先生のおっしゃる通り、翌日には大部屋に行ける自信が湧いたので、個室費用と天秤にかけ、大部屋を選択(まあするよね、個室高いから)

また母として妻として、仕事にも戻るぞ。と、思いながら

術後入院中、お見舞いにきた子供②の学校の宿題、47都道府県を手を繋いで、覚えたり、面会時間終わりにしょぼんとしながら手を振る姿にキュンとしたもんだ。

ほのぼのしていたのは

ここまでだったともつゆ知らず、ああ家族ってありがたい(微笑み)みたいなテンションで、早く皮膚がつくように、GReeeeNとファンモンを聴きながら院内を歩き回っていたものだ。

続きます。

by 中皮腫患者 mochi