卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

意を決した卵巣嚢腫の腹腔鏡手術

後に10時間超えの手術をするなんて知らないから、私的には人生の一大事で、清水の舞台くらいの決心で、d当時務めていた会社に事情を伝え、最短の手術日を予約した。

その時はまだ希少がんと告知される未来を知らないから、退院後2週間ほどでの職場復帰の予定を伝えていた。

そんな短期間で本当に復帰できるのぉぉぉ?と思いつつ、私の入院中の子どもの習い事や宿題の予定が気になった。

母を含め家族みんなの心身の負担がとても心配だった(特に母の機嫌)。

負担を軽くする工夫を考えた

子ども①・子ども②の

  • 帰宅時間
  • 習い事の時間
  • 決まった宿題の提出日
  • 私の入院スケジュール
  • 玄関ドアに子ども②が小学校へ「持っていくものチェック表」

忘れ物がなければ良いな♪と思ってね。

幸い夫は料理が得意なので土日については心配なかったけれど、平日は仕事が忙しく帰宅時間が遅かったので、母への負担が大きくなる事が不安で仕方なかった(母がイライラするから)。

だから家族の負担が少しでも軽くなるよう思いつく限り用意をした。

入院当日の朝

毒」編で触れたが、母は非常に優しい瞬間と、粘着質な毒親の時間(こちら多め)の二つの顔がある。

1週間の入院となると、イライラして周りに当たり散らすのは想定の範囲内。迷惑をかける上に、無料でお願いなどしたら、そりゃもう機嫌を損ね面倒なことにしかならないのは火を見るよりも明らかで…

入院当日の朝、実家に行き諭吉入った封筒を「子どもたちの事で面倒かけるけど、これ少し足しにしてください」と渡した。

母は「そんなの気にする事じゃないわよ、それこそあなたの手術費の足しにしなさい、後のことは心配しなくていいから(涙)」と。この返答も想定内なのだけど、封筒を用意しなかったらもっと大変なのも想定内…クスン

まあ、フラグであるのでちょろっと書くと

子ども①は当時思春期到来中、

母の思い通りにならない子ども①に苛立った母は、「ママが死んだらあんたのせいだからね」と、予想をうわまるトラウマを子ども①に植え付けました…クスン

いよいよ手術

2012年3月30日

よくドラマでみるようなストレッチャーに乗った。あ、これストレッチャーの脇に家族が付き添って声かけるやつ?と思ったけど「ご家族の方は病室でお待ちください、後でご案内いたします」と( ´艸`) 。

ストレッチャーで手術室の入り口はディズニーランドのスペースエリアのピザ屋さんみたいで、電光掲示板のデジタル表示がUFO内部っぽいなぁ、って思った事を覚えている。

いざ手術室。周りを見てみたい好奇心にかられるなか、麻酔の先生が「ちょっとチクっとしますよー」いーち、にー、さー(んの記憶ゼロ)

目を覚ました時は、

足に空気のポンプがついていて、ガッチリホールドされた個室の室内。一瞬でワープしててびっくりした!

最初に思ったのは

寒い、めちゃくちゃ寒い、いや?痛い?うううん、寒い

個室は手術当日の夜明けまでで、翌日には大部屋に移動するスケジュールだけど、とんでもなく寒くて痛くて気弱になって、ナースコールで「明日も個室にしたい」と訴えてみた。

「大丈夫、とりあえず明日になってから決めよう」と笑顔で答える先生。涙ながらに頷く私…ウソン

夜中に看護師さんが何度かみにきてくれて、電気毛布でぐるぐる巻きにしてくれて…それでも寒くてガタガタ震え…

しつこいが、これで終わりだと思っていたので、

この手術こそ私にとってその時点で「人生最大の山場」だったから気弱も気弱で。

でも先生は正しかった、回復力とは素晴らしくてサクッと大部屋に移れたよん( ´艸`) ♡

手術中、中皮腫らしきもの発見

腹腔鏡手術、摘出する左の卵巣の他に、腹腔内につぶつぶが無数にあって、場所を変えて数カ所摘出し卵巣と一緒に病理に提出してくれていたそう。

先生は「がん」である可能性が大きい事を母に話したそうだ。

まあこれもまた「私の父母は毒親なんだ」と、気がつく一件。

たまたま大学で中皮腫を研究していた先生が病理にいらして、実に迅速に中皮腫との診断が下るのだが、3月の私は知る由もなく、

ああ、とった卵巣ってどんななのか見てみてみたかったかも…、無事終わってよかったなぁ、時間がたてば傷の痛みも引くだろう♪なんて思ってた。

さぁ!

先生の仰るとおり、翌日には大部屋に行ける気力が湧いたので個室代と天秤にかけ、大部屋を選択(まあそうよね個室高いもんね)

退院したらまた、母親として妻として、家庭も仕事にも戻るぞーと思ってた。

入院中、お見舞いにきた子ども②の学校の宿題である47都道府県名を、手を繋いで廊下歩きながら覚えた事、帰り際しょぼんとしながら手を振る姿が目に焼き付いている。

ほのぼのしていたのは

ここまでだったとはつゆ知らず、ああ家族ってありがたい( ´艸`) ♡

なテンションで過ごし、早く皮膚がつくようGReeeeNを聴きながら院内を歩き回っていた。※たくさん歩くと回復が早いと言われていたのでね※

続きます。

by 中皮腫患者mochi