完治の訪れない癌患者となり丸7年

寛解と完治と治癒
寛解:病状が落ち着いており、臨床的に問題がない程度にまで治ったこと。
完治・治癒:まだ再発の可能性はあるが、治療後5年再発しないこと。
私の場合は進行前に偶然発見され、手術の際4〜5個の腫瘍を取り切れていない。だから7年生存しているが、確認できる腫瘍が残っているので「完治」とは呼ばないとのこと。
2012年の春、悪性腹膜中皮腫
(あくせいふくまくちゅうひしゅ)という希少がんだと告げられ、その日から私はがん患者となった。
卵巣嚢腫の腹腔鏡手術中、偶然見つかった私の腹腔内の中皮腫(がん細胞)の映像を見た先生は、
気がつかなければ、年内だった可能性、そして治療ができても早ければ2年と私の「残り時間」を告げた。
今年8年目を迎えた私は、
きっとラッキーなんだろう。でもそれは、7年過ぎたから言えるだけ。
たまたま、残っている腫瘍が目を覚ましていない、というだけであって完治ではなく腫瘍の数が「減った」、体内に「在る」から。
アスベストを吸い込んだ記憶などなく全く身に覚えがないのに罹患した事実。
告知後すぐは、腹腔内の映像が衝撃過ぎた。「現在進行形」で、私の体内に「映像に写ったあのがん細胞」が「在る」という事実。
お腹中に胡麻をばら撒いたかのような無数の癌細胞、「在る」と知った瞬間から、こうしている間にも癌細胞が成長するのではという「恐怖」。
映画等で道端で絶叫して
絶望を表現するシーンを見るが、誇張した表現であってリアルでそんな事はないだろう。そう思っていた。
あったのだ、そんなリアルが。私自身がそうだった、人って絶望し苦しくてどうしようもなくなると、声を上げてしまう衝動が襲うと知った。「泣く」ではなく「叫ぶ」のだ。
耐えず襲う恐怖と先の絶望、これが交互に押し寄せ、自分がどうしていいのかがわからなく、苦しみから生まれる「絶叫」生き地獄だ。
作品でそう表現した人は、体験があるのだろうか、だとしたら「何」に「絶望」したのだろう、興味がある。
手術をし、横隔膜に4〜5個の癌細胞を残し、自らの意思で抗がん剤を使用しなかった。(よろしければこちらもどうぞ↓)
正直「2年」と覚悟を決めて
生きていた。毎日がうっかりすると「死の恐怖」に意識が飛ぶから、考えないように「沼(趣味)」に没頭し、「家族」に没頭した。
誕生日、始業式、修了式、節目が全て「最後」と思い行動した。
とにかく怖い、何が怖いか?
死そのものではない、最期に息が止まるその瞬間までの辿る道が怖い。それは今も変わらずに怖い。
どの段階で腹水が溜まるのか、自力で歩けなくなるのはいつだろうか、食事が取れなくなって「どのくらい」で死ぬのか、痛いのだろうか、苦しいのだろうか、家族に暴言を吐いてしまわないのか、
そう、死そのものではなく
「死へ向かう経過」が怖い。徐々に癌細胞が私の体を埋め尽くし、真綿で首を締めていくのか、そう思うと残酷だ。
私は様々な癌患者のブログを読み漁った。死へ向かうまでの過程を知っておきたかった。いずれ私が辿るだろう先を。
たくさん読んででた答えは「わからない」だった。
2年が経ち少し緊張が緩んだ。
なんだろう残り時間と告げられた時間分は果たせた気分。
とにかく「2年」そう思って生きた2年間だったので、全ては残される人たちへ何ができるか?そこを考え、自暴自棄になりそうな気持ちを沼で抑えなんとか心のバランスをとってきた。
子供たちが漠然ではあっても、目指す方向を定めて歩き始めたから、私自身が告知当初に決めていた「目標」を果たす事ができてほっとしている。
役目は済んだ、だからあとはおまけの人生と思って生きている。
そりゃ本音は、
人生の節目に私も参加させ欲しいし、成長し続ける子供たちをいつまでも見守っていたいし、夫と散歩し食べ歩き、互いに歳をとったねー、なんて笑い合いたいよ。
でもさ、これを私が言うのは野暮だと思っている。同病の人にはつい本心を語ってしまうけれど(笑)。
だって、夫が
「元気で長生き」して欲しいと思っているのを痛いほど知っている。だから私が「目標」という希望を口にしてしまったら、残された夫は節目ごとに私を想い切なくなるだろう。
節目のお祝いは、私も笑顔で喜んでる体で、その設定を崩さないよう、そこを頑張りたいのだ。
だから、私のがんとの向き合い方は、
「諦める」「希望を持たない」「目標を定めない」
向き合い方は人それぞれ、本当は前向きに「生きる」と強く願うのがよいのだろうけれど、私はそこまで強くない。
本当なら5年前にこの世を去っていた私の人生の利息が「5年」。そう思って生きているのが楽なのだ。
今年が最後の花見、
そう思って目に焼き付け思う存分楽しんだ。あら?今年も花見ができちゃった。じゃあ今年こそ最後かも、そう思ってイベントを楽しむのが私には向いている。
子供たちの成人式?そりゃ見たい。そりゃ参加したい。なんなら写真もバシバシ撮り倒したい。
でもさ、それを「目標」に掲げて、叶わないまま病室で泣く未来の私を想像するとそれはあまりに私が可哀想だから無理。
これは、出産前子供①の心音が弱く
万が一と言われた妊娠9ヶ月の頃の体験に基づいた結論。心臓の部屋がちゃんと分かれていない可能性、お腹にいる間は生きれても、産まれたら自発呼吸が無理かもしれない。
そう言われて1週間、入院した大部屋で妊婦は私だけ、皆新生児のベットと並んで休んでいる。
結果は、子供①がへその緒を自分の足でグーと踏んでいた、というコントみたいなオチだけど、
入院中は不安で頭がぐるぐる…
エコーで元気そうだったのに、生まれた後のあれやこれやの楽しい未来は?失うの?どうしよう、あの時も「消えてしまいたい」と思った。
だから私は「目標」も「希望」も持たない。それが私のがんとの向き合い方。
人生の利息が増えたら嬉しい♡
難病指定の病気に
罹患している友は、残りの人生おまけと思って生きている、そう語る。
うん、わかる。私たちそんなに強くないから、真正面から病と向き合うには、失いたくない物が多すぎて、見ないフリをしていたい。
現実をつきつけられたら、否が応でも考えなくてはならないのだ。その時までは考えても答えの出ないことで不安を呼び起こすのは勿体ない。
私は私のために「楽」に生きたい。
ブログのタイトル「楽していこう」はこの気持ちからつけた。
「今日」が明日も繋がったら嬉しい。
そして日々を「今日が最後の日」そう思って、笑って生きたい。
感謝と謙虚を忘れずに…
by 中皮腫患者 mochi
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