悪性中皮腫、生きる事、子供への感謝の気持ち

悪性中皮腫、生きる事、子供への感謝の気持ち

さて、つらつらと

約半世紀の私と毒親との事について、ざっと駆け足で綴ってきました。

以前触れた、子ども①の進路ですが、

第一歩を歩み始めます。

子ども①との思い出が、様々な気持ちが、こみ上げてきて、涙涙で困っています(笑)。(子ども①の進路について、詳しくはこらからどうぞ↓)

毒親の希望する孫の進路とは

悪性腹膜中皮腫の手術を受ける際

迷いに迷って、子ども①には病名を告げました。万が一を考え、お互い「悔い」のないように、と思ったのです。

結果、私は8年目の春を迎えます。酷なことをしてしまったな、と結果論ですが思います。

家族各々の思いが「はっきり」し

毒親と決別した後。

やっと「家族」として再度「良い状態」でスタートしたmochi一家。ケラケラ笑い、時に真剣な話をし、気がつくと家族がリビングに集まって、各自が好きな事をしつつ、他愛もない話をする。

幸せな「家族」に、ようやくなれました。

私は約半世紀、夫は結婚後、

子ども①②は生まれてからずっと、毒親に、時に「濃厚な愛」を、時に「激しい憎しみ」を受け、楽しかった時間も、胃の痛む時間も、共に味わい尽くす人生でした。

私は、自分が期限付きかもしれない「命」だと知ってもなお、毒親の「歪んだ自己愛」を、私への「愛」だと信じ、5年の歳月を「毒親に使って」しまった。

再スタートしてからの3年

楽しく、幸せでした。そして4年目の春、子ども①が自分の夢に向かい、新たな挑戦を始めます。

母としては、とても、とても嬉しいです。

諦めず、自分を信じ、時に辛そうに、でも食らいつき、諦めず頑張っている姿をみてきました。きっと不安や孤独と葛藤の日々だったでしょう。

自分の力でもぎ取った「夢」への第一歩、本当におめでとう。よく頑張ったね。何か困ったことがあったら、へへへと笑いながら頼っておいで。

こうやって、子どもは巣立つのか…

正直半身もぎ取られるような、寂しさがあるのは事実。でも、自分の道を進むと決め、実行に移す子ども①に、誇らしさを感じるのも本当。

あぁ、ちっちゃい頃に

時間を戻せないかなぁ(笑)。子ども①の人生の約4分の1、関わることができ、笑って、泣いて、悩んで、笑って、私を「母親」にしてくれて、本当にありがとう。

感謝の気持ちしか湧いてこない。そしてこれからも「大切な我が子」。

今になって後悔の念で心が潰れそうに苦しい

どうして私は、毒親のそばに住んでしまうような弱い人間だったのだろう。

どうして父も母も「普通」の愛情で私を育ててくれなかったのだろう。

どうして父も母も「母子の蜜月」を「孫」だからといって、さも当たり前のように、奪い去ったのだろう。

今更後悔しても遅いことはわかり切っている

毒母の顔色を伺い、無理やり切り上げた公園、家族だけでお祝いしたかった誕生日、家族だけの家族旅行、全てに必ず両親が割り込んできた。

もっといっぱい「母親」を「堪能」したかった。たくさんの「愛」を注ぎたかった。

だけど、私が弱かったから、

自己を否定されて自信のない大人だったから、

希少がんになったから、両親の支えが必要じゃないかと、私も「自分と今後を」天秤ではかるような事をしてしまったから、

全部ひっくるめて、自分で舵を切る事ができなかったから、

だから本音は、心から叫ぶような祈りに近い、悲壮なまで「過去」を追い求めている、やり直したい、できる事なら…と。

もっと子どもたちを

毒親の顔色を気にせず、思う存分愛したかった。もっともっと甘えさせてあげたかった。もっともっともっと、母子のあの蜜月を「きっちり」過ごしたかった。

この「後悔」は、毒親とわかっていたのに、そこから逃げる事をしなかった、弱い私への罰なのだ。

だから私は、子どもに恥ずかしくないよう

「大人」でいられるよう、日々成長を続けていくしかない。後悔しても時は戻らない。ならば、悪性腫瘍と共に、前へ進むしか手段がないのだ。

そして、子ども②の成長を見守れる時間を大切に、私を守ってくれる夫を大切に、家族を大切に、愛を注ぎ続けたい。

本当はね、mochi一家のリビングから

子ども①が抜ける事実を想像するだけで、小さな頃からの思い出が蘇り、涙もろくてしょうがない。

いつまでも、親の手元に置いておけるわけじゃない、それはわかってる、いつかこんな別れがやってくる事も、シミュレーション済ではある。

愛してやまない子ども①、子ども②、

私たちの家に生まれてきてくれて、本当にありがとう。

不甲斐なく、弱い「母」なのに、「無償の愛」をあふれんばかりに注いでくれて、私の人生は本当に幸せです。

できる事なら、ヨボヨボになっても、あなたたちの事を見守って生きれたら、それほど幸せなことはありません。

だから私は「生きる事」へ「執着」を「持つ」のが怖いのです。

「長生きしたい」と少しでも願ってしまうと、手札のジョーカー(悪性腹膜中皮腫)が目に入ってしまう。願うこと自体が不利でしかない。

私は弱っちいから、「生きられない」可能性について、怖くて見て見ぬふりをするのが精一杯。

本音はね、長生きがしたいのではなく、

「いつまでも子どもを見守っていたい」。だから、すでに「希少がん」で、とりきれなかった悪性腫瘍が、体内にある私は、長生き事態を「願う」事が怖い。

死ぬことが怖い、というより、生きられない可能性の「確率」。子どもたちの未来を見続けられる「確率」、これが低いことが、泣き叫びそうなほど、怖いのだ。

だから私はいつも自分へ言い聞かせている

なかったかもしれない5年を「生きることができた」、そのことをラッキーだと思え。子ども①と子ども②の成長を、5年も余分に見ることができたのだから。

気を付けろ、油断をするな、決して「これ以上」を望んではいけない。

そう言い聞かせていれば「いざ」の時に「絶望」が少しは和らぐんじゃないかと、期待を込めて、自己暗示をかけている。

本当は、今だって子ども①を手放したくなどないのだ。1秒でも長く、側で成長を見ていたいのだ。

私に残された時間はいつまであるのだろう、と…

でもね、それは親のエゴであって、子ども①の幸せを願えば、心配させないように、笑顔で送り出すのが「正解」、わかってるよ、強がってでも演じ切って見せるつもりでいるよ。

子ども①へ、

自分で掴んだ「道」を、正々堂々と胸をはって、歩んでいってね!不安になったら、応援団が準備万端で出動するから、「自分を生きて」ね。

あなたの選んだ道を、いつでも、いつまでも、応援しています。元気のなかった時、あなたはいつも、私にそっと優しく手を差し伸べてくれました。

その愛を忘れず、笑顔で送り出せるように、がんばるね。心からのエールを込めて!

へへ、子離れって、こんなに、試練なんだね、寂しくて仕方ないや。

by 毒親育ちmochi &中皮腫患者 mochi