毒親に手紙を書いた(覗き見の件)
- 2023.04.07
- 毒親 毒親と絶縁後
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毒父が我が家を覗き見していた
毒親と私が住む家の距離が近いので、うっかり出くわすことがあり、今回もその類と思ったのだけど…。
角を曲がったら、数メートル先を毒父が歩いていた。私は距離を保ち同じ道を歩いた。
違ったのは、父がスッと我が家の塀に寄り、塀の隙間から室内を眺めまわし始めた事だった。恐怖しかなかった 2023.04.04 16:45 頃の出来事。(毒父が家を覗き見していた(備忘録))
父は暴力の加減を知りません
幼い頃も大人になっても、フルスロットルで殴る人(過去記事娘を拳で静止しようとする毒父)。
私が兄の性加害を訴えた時も「覚えていない(兄)と言っているという事は、(性加害は)無かった、嘘をつくな」と怒鳴り、怒りに任せた力でダイニングテーブルごと私を壁に押し付けた人。
怒りをコントロールできない人。
翌日警察に相談をした
今回も私の意図(恐怖心)を汲み、対策を講じていただきホッとした。最寄の交番に申し送りと、役所の住民課に相談をすると良いのではと提案してくれたので、役所へも相談した。(2023.04.05)
子どもたちにも伝えた
子どもたちにも念の為伝えた。万が一強硬な手段に出ないとも限らないし、室内側から目があってしまったら、それこそトラウマレベルの恐怖だから。
そして父母に宛て手紙を書き、簡易書留で送った(2023.04.06)。
本日(2023.04.07 12:35)配達記録が届け済みとなったので、きっと開封しているだろう。
送付した手紙(原文)
父母へ 2023.04.04 16:45頃 私宅外側の塀の隙間から自宅を覗き見る父の姿と遭遇しました。 日常的に我が家の様子を覗いているのでは、見張られているのではと恐怖が襲いました。 正直今も怖いです。 「父に自宅内を覗き見されて怖い」という恐怖心が拭えず、○○警察 生活安全課に相談しました。 過去の相談記録と今回の件を照らし合わせながら、私の恐怖に理解を示してくださり、今できる策として、相談記録の更新と、付近の交番に申し送り。 そして助言により○○○役所 住民課に相談済み。(2023.04.05) 父へお願いです。 このような不安を煽る行動を一切やめてください。 この行動は、2022.03.03に送付した「絶縁通知書」の内容を理解して頂けていないという驚きと共に、恐怖心しか湧きません。 通知書に書いたように、私は今もなお過去の記憶に苦しみ生きております。 自力で生きられない子供への暴力及び暴言は、れっきとした虐待です。 兄による性加害も虐待です。何度も言いますが私は嘘をついていません。 私に起きた出来事であっても、当時の私は幼く理解できず、記憶を封印しなければ生きられなかっただけです。 自分が成長し意味がわかったのであり、捏造ではありません。 封印し生きるしかなかった10代の私の苦しさを、今の私が一つ理解し、傷ついた過去の心を回復する作業。日々この繰り返しです。 なぜあれほどまでに、私の心を試し、脅し、暴力を振るい追い詰めたのか。 過去がフラッシュバックするたび、たまらなく途方に暮れます。 意を決して話した私の言葉を聞こうとせず嘘だと決めつけ、寄り添う心を持たない父母。 これが私の両親なのだという現実と共に生きています。 兄に関しては、性加害及び暴力が今もなお私の人生を苦しめているのに、当人は責任を感じず生きている事実に怒りが湧きます。 兄妹間の出来事に対し、親として何もせず傍観者であるのに、私の家をこっそり覗き見るという行為。これがどれほど私を苦しめているのか自覚してください。 父の行為は、3○歳の私の記憶を脳内再生するスイッチでしかありません。 あの夜の実家の居間、父母の言動、電話の兄のヘラヘラした笑い声、最低な記憶の再生です。 父母兄に理解を求めることは諦めています。 もうこれ以上追い詰める行為はやめていただきたい。 今後も、 ・夫の、勤務先・携帯番号・実家への問い合わせ ・子ども二人への連絡 ・私・夫・子ども二人への「待ち伏せ行為」等 全ての接触を行わないでください。 これ以上心を追い詰めないでいただきたく存じます。 ※3月に松一長女さんに宛てた葉書のコピーも同封いたします。 2023.04.06 毒親育ちmochi

伝わらないことは承知している
きっと「そんなつもりはない」と答えるだろうし、なんなら親心だとさえ言うだろう。
私の気持ちが伝わらないことは百も承知だ。
私は子どもと夫の心身を守るために
手紙を書いたまでである。子どもの心身を守ることが何より最優先事項であり、私の生きる意味のひとつだから。
昨年「絶縁通知書(全文)」を送り「毒親よ、さようなら、どうぞお元気で!(最期の手紙・全文)」を送った後、いつとはっきり覚えていないけど、気がついたら「娘である私」を手放せていた。「親としての私成分多め」で子どもたちと接したい、そう自然と思うようになったのだ。
忘れてはいけない、子ども①にもらった大切な愛を(子供からの「贈り物」愛の意味を忘れてはならない)。
忘れてはいけない、子ども②に教わった幸福を(毒親と決別を決めた日)。
悲しみの多かった幼い私は
私が抱きしめ守って愛そうと思う。そうして私は自分の足で立って生きていく。
全ては大切な人たちを傷つけないため。
愛する子どもたちを守りたいから。
がんばれー(*´꒳`*)
by 毒親育ちmochi
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