2023年の春を生きています

2023年の春を生きています

私の人生は、

2012年の春のがん告知日から大きく変わった。

皮肉にも告知日毒父の誕生日である( ´艸`) 。

昨日、干支を一周しました(余命2年と言われていたので私もびっくり(*´꒳`*)♪

がむしゃら…、そんな言葉が

ピッタリなくらい、告知後の私はなんてことない体を装って生き、自分の心を見て見ぬふりをした。

だから毒母に「私(毒母)の老後がなくなったのね」やら「あんた(私)が死んでも、孫を養子にしなければ面倒見ない」とか、「酷いなぁ。それ娘に言っちゃう?」と思う言葉に、実はめちゃくちゃ心えぐられていた事に気が付かなかった。

子供達が中高生になり、私に安堵がやってきて、ようやくここで「自分の心の痛み」と向き合う時間が生まれた。

多分それは母も同様だったのだろう。

だから同じタイミングで、父母の悩みである「兄と娘(私)の仲」をどうにかしようと画策し始めたのだろう。

性加害者である「兄」性被害者である「私(娘)」

父母が兄と話し合ったのかは知らないが、「2度と私の前で兄の話をしない・兄と会わない」という私との約束を反故にし、何食わぬ顔で「家族みんなで毒父の80歳の誕生(がん告知日)を祝いましょう」と私に提案した。

異論を唱えた私に、父母はまるで大人気ないとでも言うかの如く「いつまで昔のことにこだわっているんだ」「いい加減大人にれ」「この世にたった一人の血を分けた兄妹なのに、なぜお前は仲良くできない」等々、暴言を吐いた。

あの時の心の痛みは、トドメだった。

だから私はその場で決断し「絶縁」を告げ、自分の心を守った

あれから6年ほど経つ。

絶縁したら全てが終わりではない。

二人の子どもは成人した。親としての役目もあと少し。

子供の成長はとても嬉しい。

でもね、我が子の成長に幸せを感じれば感じるほど、私の内面で激しいフラッシュバックが起きる。

我が子を愛せば愛するほど、私は愛されなかった娘であることを知る。我が子を大切に思えば思うほど、私の心を雑に扱われたことを知る。

私が親に感じていた違和感が、

子育てを通じ、確信を持って「違う」とわかった。この確信があったから、私は毒親から離れられたし、心の自立を目指せたのだろう。

だが、延々苦しい。

毒親の夢を見なくなったが、相変わらず睡眠は短く、先端恐怖症は治らないし、フラバに吐くんだ。終わらないなー、と毎日思う。延々思う。くどいぞ脳みそ!と自分につっこむ。でも日々が過去に絡め取られる。

自分が二人いるみたい。

脳内が「辛い、悲しい、誰か助けて」と、ぐるぐる訴えていても、笑顔で話せるようになった。これは成長なのだろうか?答えが出ない時は焦っても無駄なのだと思うのだけど、再び私と向き合っている、2023年の春である。

by 毒親育ちmochi

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