mochi絶縁まとめ(最期の手紙から半年後)

mochi絶縁まとめ(最期の手紙から半年後)

最期の手紙、までのまとめ

絶縁状を送付後2ヶ月、反応はなかったので、

  • 家族間で解決できず親族を巻き込んでしまった事
  • 仲良くしてくれた親族へ感謝の気持ち
  • 皆の健康と幸せを願っている事
  • 父母兄に私の気持ちを述べ
  • 今後皆へ連絡をとらない事

毒親に、巻き込んでしまった親族へ、そして私自身に、絶縁に至る私の長い戦いに終止符を打つべく「区切り」の手紙を送りました。(毒親よ、さようなら、どうぞお元気で!(最期の手紙・全文)

それから半年経った10月末、を、こえたのでブログ更新です( ´艸`) ♡

↓絶縁の流れ(完結章)

  1. 2017.03   母)私電話で絶縁を告げる(私から毒親を捨てた日
  2. 2018.03   父母)夫が話し合い再度絶縁の意思を告げる(毒親との決別は、苦渋の決断だ
  3. 2022.03.03 父母兄・母方父方親族)絶縁状と絶縁通知書送付
  4. 2022.03.03 父母兄)兄による性暴力の被害内容を記した暴力被害報告書送付
  5. 2022.04.30 父母・母方父方親族)「最期の手紙」送付

大きな絶縁はこんな感じだが、大中小、何度か父母に絶縁を告げてきた。

過去の絶縁後(1.2.)の毒親の反応まとめ

静かな怒りがふつふつと

再び込み上げてきてね笑。

確かに父母は、兄による性暴力の記憶が噴き出した時も(パンドラの箱の中身が開いた、あの日)、がん告知の時もお粗末な寄り添い方だった(おかしいなあと思った診察の順番)。

その後だって、父母は、兄と私の問題(性暴力)に向き合わず、私に「水に流せ」と言った。余命をこえてハラハラ生きている娘だが…( ・∇・)ヒドイ!

お金ならいくらでも出すから「娘を助けて」と泣いて医師(がん拠点病院)にすがった母だが、絶縁後一度も「がんの進行」について聞いてこないが……。

私は引っ越していないから実家とはスープの冷めない距離に今もいるんだが………。

心療内科の診断について

心療内科なんて「金を払えばいくらでも好きなように診断書いてくれる」と言った父母なのに、父は心療内科に電話をかけた。

娘と全然連絡が取れなくて困っている、どうしたら良いかわからない、先生から連絡するよう娘に言ってもらえないだろうか、なんとかしてもらえないだろうか、と。

信じていない先生なんでしょ?なんで聞けるの?

半年経った、連絡はない

最期の手紙を送ってから半年経った。

連絡はない。

父にも母にも、「子どもと話し合ったほうが良いよ」とか「間に入ってあげるから」等、声をかけてくれる人はいないんだなぁ、と思った。まぁそうだろうなぁ、生活に波風立つのはしんどいもんな。

まぁいっか

を取り戻す。

私はずっと「私を理解して!」と父に母に訴えていたんだろう。

性被害の記憶に苦しく、がん細胞に怯え、それでも笑って生きる「私の頑張り」を、手放しで褒めて欲しかったんだろう。

忖度なく愛されたかった、それに尽きる。

半年経っても反応がなければ「終わり」にする。

そう密かに区切りを決めていた。

悶々と父母の気持ちを考えてしまう健気な私を一切捨て去る、

それをしないと私が延々苦しいだけだから。

区切りが過ぎた。

まぁいっか、そもそも父母は「娘に興味がない」のだ。

まぁいっか、よく頑張ったよ私。

お子と夫に愛を伝えられる私はしあわせだ。

そこを忘れちゃいけないね( ´艸`) ♡

by 毒親育ちmochi