ブログ再開いたします

ブログ再開いたします

なぜブログ再開?

2022年春、毒親と親族へ「絶縁通知書」を送付し絶縁を周知の事実にしたことで、夫の家族(義母以外)にも嘘をつく必要がなくなり、心軽く2023年を迎えた。(よろしければ→mochi絶縁まとめも)

絶縁通知書を読んでもらえば、約半世紀の毒親との問題(私の覚悟の叫び)が、父母兄に伝わらなくとも、親族には冠婚葬祭に私が欠席する理由の理解くらいにはなるだろう、と思っていた。

実際、叔母(父の実弟の妻)から私を思う愛溢れた優しいお手紙が届き、時に電話をするようになり縁が再開した。血縁って本当にありがたいなぁって温かな気持ちになった。桃四から年賀状が届いたり。

義母はお正月「mochiちゃんは実家と縁を切っているから、私をお母さんと思って!(大船に乗るテンションで( ´艸`) )」なんて、泣いちゃう言葉をいただき、やっぱり血縁ってありがたい…そうしみじみ感謝の気持ちで溢れた私だった。

気がかりだった存在

仲良くしていた同じ祖母を持ついとこ、松一次女の存在が気がかりではあったのだ。彼女とは本当にたくさん話をした、根っこの同じ痛みを持つもの同士だった。

mochi家毒系譜(クリックすると拡大)

最期の手紙(全文)を読んでもらえるとわかるのだが、私は元々「最後の手紙(父母宛)」を投函する予定にしていた。それは絶縁し今世で交わることは一生ないが違う世界軸での父母の幸せを祈るという、まぁ私のけじめ的な内容。

だが投函前に「毒親あるある」毒親は何があっても反省などしない、というワードが私の頭をよぎった。

松一次女に電話をかけた

松一次女に毒母の様子を伺う電話をかけた。

絶縁通知書送付した3月3日の翌日、毒母は私への対応ではなく松一宅へ「mochiに土下座して謝ったけど許してもらえなかった」という謝罪の電話と、後日火消し用とらやの羊羹他をどっちゃり送った。

4月12日(私の希少がん告知日)、毒父の誕生日であり、私の希少がん告知から丸10年という区切りの日でもあり、絶縁状を送付後でもあったあの春の日。

松一長女は毒父の誕生日を祝うため、スープの冷めぬ距離にある私の実家へ馳せ参じたと聞いたのだ。

あぁ、松一長女にあの手紙の内容など全く届いていない、それどころか二人は共依存にあり「おばちゃん(毒母)は間違っていない。悪いのはmochiちゃんだよ」という、認知の歪みを増長させる寄り添いをみせたのだ。

それがわかったから「最期の手紙(父母・親族宛)」を作成し投函した。

そしてその後電話番号を総取っ替えし、父母兄親族の知らない番号を今は使用している。

なぜ今更、松一次女に電話を?

最近アルコール依存症について勉強する機会があった。知ると彼女の健康問題(数種の依存)が気がかりになった。

元気にしているのだろうか?彼女だけでもあの毒の沼から救えないだろうか?せめて依存のメカニズムだけでも知ってもらえたら、彼女の苦しさも軽減されるんじゃなかろうか?

そんな思い上がった気持ちが膨らみ大きくなり、非通知で電話をかけてしまった。(2023.02.28)

毒は斜め上の思想だった

結論から言うと「姉(松一長女)が怖い、mochiちゃんからまた電話があったなんて知られたら再び締め上げられる。だからもう2度と電話してこないで」が彼女の答えだった。

「最期の手紙」を送付後、松一長女が激昂したという。

おばちゃん(毒母)がお正月に来た事をあんたがペラペラ喋るからこんなことになって「おばちゃん(毒母)がかわいそう!」と、相当キレられたらしい。そして事あるごとに今もどやされるのだと。

私は聞いた

絶縁通知書を読んでもらえるとわかるんだが、絶縁理由は「父母兄」に関するもので、いわば「mochi家の問題」である。したがって松一家は「えー、そんな事がmochi家であったのか!」と、傍観者の立場でいれば良いのよ?と。

だが毒母と共依存にある松一長女からすると、妹(松一次女)が余計なことをmochiちゃんにペラペラ喋ったおかげで「絶縁通知書」と「最期の手紙」を送る羽目になった。

あんた(松一次女)のせいで、おばちゃん(毒母)が恥かいたじゃん!かわいそう!!!

となるのだと言う。

境界線を引くんだよ

そう言ってみた。

絶縁の問題は、父母兄が各々向き合う事であって、松一家は全く関係ないし、何も手助けもできないよ?相手の問題と自分の問題の間にしっかり境界線を引かないと、悩まなくて良い事で苦しむのは松一次女だよ、と。

mochiちゃんと話している今は納得できる、でも姉(松一長女)の前ではやっぱり姉(松一長女)の意見が正しく思えるから無理、怒鳴られるのが怖い、と。

では仮に松一次女が毒母の話を私に一切しなかったとしよう。

そうしたら私と毒親は「仲直り」していた?と聞いた。

「それは無いと思う」と松一次女が答えた。

そう、そうで合っている。

松一家の誰一人「mochi家」で起こった「性被害」「虐待」「暴力」に対し、責任はない。

だがそれが毒母にも松一長女にも、そして松一次女にも「伝わらない」事がわかった。

お医者さんごっこではない

私と兄の間に起きた「性暴力」は、お医者さんごっこの延長などではない。歴とした「犯罪」だ。

どうやら父母兄、特に毒母の話術により「私が嘘をつき、事を大袈裟に言っているだけ」という落とし所になっているようである。松一長女からしたら、私は悲劇のヒロインぶって毒母をいじめる酷い娘のイメージから抜けないのだと悟った。

なので松一次女に言った、

「理解できないようだからはっきり言うね、性犯罪が兄妹間であったの。警察が事情を改めて聞き涙くむほどのね。

ワンストップ支援センター(内閣府)、女性センター(内閣府男女共同参画局)にも相談済みなの。

加害者って驚くほど自分のしたこと覚えてない事、家族内の場合母親は事実否認し娘が嘘をついている事にしたがる事、そして皆口々に、よく死を選ばなかったと泣いて寄り添ってくれたの。

それほどの事が家庭内で起きていたの。その内容を「暴力被害報告書」にまとめ父母兄警察に渡してあるよ。

だから松一家でどうこう出来る事でも、私が父母兄に譲歩し再び家族となる事でも無いの。

そしてそれらは「絶縁通知書」に時系列で書いてあるけど?」と。

でも怒られるのが怖い

松一次女とは1時間ほど話した。

「そうなのか…、でもやっぱり私は姉(松一長女)に怒られるのが怖い、巻き込まれたく無い、だからmochiちゃん2度と電話かけてこないで」と意を決した様子で答えた。

私もかつて同じ毒の沼にいたから恐怖心が痛いほど理解ができる。そしてその沼にいる限り延々と苦さが続くことも。だが選択したのは松一次女だ、私では無い。

「そうだよね、巻き込んでしまってごめんなさい。うん2度と連絡しないよ、体に気をつけて元気でね、さようなら」と告げ電話を切った。

洗脳と支配は自分で考える力を奪う

父母兄・親族と連絡手段を消し一年。

松一次女と会話して気がついたのは、以前なら「余計なことを言って!」と怒られれば、反射的に謝って怒る相手を鎮める事に心を割く自分が容易く想像でき「わかるよわかる」と、共感を示しただろう事柄だが、今の私は「なぜ怒る???」と不思議に思った事。

絶縁の問題父母兄の問題なのだ、同じ熱量でいとこが怒る事案では無い

自然とそう思った私はきっと更に「解毒が進んで」いるのだろう。

松一次女に申し訳ないことをした。

しかし私の心の棚しまえず宙ぶらりんだった彼女という存在を「過去に交わった人」という棚にしまう作業ができた。これは私にとって良い出来事であった。

ブログを再開する事にした

自分の問題なのか、他者の問題なのか、

境界線を引くことは心身のためにとても大切である。

最期の手紙を投函した後、私は再び心身について学び、時に相談し、自分を知り直した一年であった。

書き出す作業が、私にとって感情を整理するのに向いているのだと思う。

再び春がやってくる。

よろしければ今後ともお付き合いいただけましたら幸いに存じます。

by 毒親育ちmochi