アルコール依存の怖さ

アルコール依存という病の怖さ
アルコール依存について、なんとなくの理解しか無かった私だが、連続して長期間お酒を飲むと「誰でも等しくアルコール依存症になる」と知り驚いた。
依存に進行すると、脳が欲して飲酒をやめる事が困難な病気。
父を思い浮かべた。
父はアルコール依存症だ。間違いない。
母が酔っ払いを毛嫌いしていたので、家ではうすーーーいウイスキーを2杯しか飲ませなかったから、来客が無い限り父がだらしなく酔う事は無かったが、外で飲むとほぼ確でベロンベロンになって帰宅していた。
無傷で帰れるならましである。駅の階段から足を滑らし頭を強打し、硬膜外血腫になり、頭蓋に穴をあけ血を吸い出す手術をした過去がある。縫うケガは何度だ?殴られたのか…顔が膨れ上がり会社を休む事は数えきれないほど茶飯事だった。
知識が浅いながらも、
ちゃんと家に帰ってこれなさすぎるのはアルコール依存症なんじゃないの?と思っていた。
父の末弟は20代でアルコールで会社をクビになり、その後も酒をやめられず入退院をくりかえし60代で亡くなった(アルコール依存症者の平均寿命は52歳といわれている)。
松一(母の実兄)は、
誰からみてもお手本のようなアルコール依存症者だった。
社会的信用を失ってもなお飲酒をやめられず、やはり60代で亡くなっている。
竹三(母の実弟)も飲酒に問題を抱え家族は苦労したそうだ。同じく60代で亡くなった。桃四(母の実妹)もきっとそうだろう(酒が入ると喧嘩腰になる)。父も親族も皆、飲酒量がバグってた。でも比較対象がないから、そんなもんだとも思っていた。
父はアルコール依存なんじゃない?
と母に言ってみるも、「家で(大量に)飲まないんだから違うわよ」と返ってきて、そうなのかな?となんとなく納得していたが、今の私ならわかる。父は治療が必要な依存症患者だ。
正直、今の父の年齢(80過ぎ)を考えると、母が面倒見切れるなら、もういいんじゃない、とは思う。
でも過去の家庭環境を振り返ると、父のすぐ怒鳴るところや、拳がすぐに出る事等々、あれらはアルコールによる脳の萎縮からくる人格変化だったんじゃないだろうか。
断酒して心が安定した
アルコール依存の怖さを知ると同時に、周りにアルコール依存症者があまりに多く、私の酒量も大抵おかしいので、このままだと依存症になる危険大なので自主的に断酒することにした。
今月で一年になる。
断酒が良かったのか、絶縁を親族にも伝えて肩の荷が降りたからか、その両方なのかわからないけど、自分でもわかる程「穏やか」になった。
断酒後半年くらいすぎた頃、自分の中の攻撃性が弱くなっているのに気がついた。これがアルコールによる人格変化なのか、と断酒によって身をもって知った。
私が中高生の頃の父の年齢は40〜50代、
ほぼ毎日ベロンベロンに酔って帰宅していて酒を抜くのは土日くらい。父の飲酒が原因で、父と母はしょっちゅう喧嘩していた。喧嘩というより怒鳴り合い(問題飲酒)。
お酒だったんだろうな、と今更思う。
父は、家庭に起こる問題に向き合わず、母の激しい非難を避け「仕事の付き合いだから仕方がない」と言っては酒に逃げていたんだろう。
そして「仕事だから仕方がない」、会社をクビになっては困るから「熱が出た」と嘘の電話をかけた母。これをイネーブラー(共依存)と言うらしい。
父が酒をやめれば済むのだが、
依存が怖いのは、意志ではなく「脳が欲する」のでちょっとやそっとの覚悟ではやめられない。まず依存について知識が必要なのだ。
知らないままだと、意志が弱いと依存者を責めて終わってしまうが、その段階をとうに超え「脳が欲する」まで進行しているので治療が必要。知識がないと、依存者本人も周りの家族も延々辛い。
母に依存症の知識があれば
良かったのだろうが、父の依存を認めたく無かったのだろう。
お酒を飲むための言い訳(仕事の付き合い)を許し、飲む機会を与える手助け(庇う)をしていた。
依存症者に行ってはいけない態度だそう。お酒でやらかした後始末は本人にさせなくては、酒害の自覚が芽生えないという。
あの頃に精神科のアルコール外来に行っていたら家族関係が違ったかも知れない。
なんてぼんやり酒害について思う私の脳は、今日も穏やかだ。
by 毒親育ちmochi
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