毒親の壮大なブーメラン

毒親の壮大なブーメラン

子供①が別天地で暮らし始め

少し過ぎた。なんとか一人でやっているみたいで、その報告の一つ一つに、いつの間にこんな風にできるようになってたなんて、と発見と驚きと共に、じみじみ嬉しくなる。

そして忘れちゃいけないのが「代わってあげたい」私問題(笑)

でもね、お義母さんから「少し、子離れしないと、子供がかわいそうよ。少しづつ離れて、頑張って」と、(よろしければこちらもどうぞ↓)

義母から教わった愛しむ心と絆

もう上の子は、親離れをする年齢なのだと教わってから、子供①をより一層「個人」として捉える様になった

だから今は距離こそあっても

「普段の会話」をしている。うっかり語尾に「何か困った事あったらいつでも言ってね」やら

「部屋に残ってる送って欲しいものがあったら遠慮なく言ってね」などをつけない様、頑張っている(笑)

お義母さんの言葉私の心に変化をくれた。それはきっと子供にとっても私にとっても「自立」の時期なんだよ、と人生の先輩としてそっとアドバイスをくれたのだろう。

「困ったらいうから大丈夫」

私と実母にはなかった関係。だけど私と子供①にはある。だから余計な心配は自立を妨げる、困ったらまずは自分で工夫してみるだろう、それを暖かく見守るのだ。

私はそう受け取ってみた。そうだ、自転車の補助輪を外した時、一人で小学校へ行った日、大学受験もそうだ、一人で戦ったではないか

あの子は大丈夫。十分一人で今まで乗り越えてきた。

今までと一緒だ、

見守るのだ。愛を込めて。そして送りたいものは勝手に送りつけちゃえばいいんだ、あの子の好きな食べ物を、開けた時プッと笑っちゃうものも仕込んでね。

嬉しい事じゃないか。我が子が親に頼らない様に、そう決めて頑張っているんだ。ならば親はそっと見守るしかできない。

いつのまにかこんなに大きくなって…。

あなたのその姿、希望に溢れる一人の若者の眩しい笑顔に、少し大人になった姿に、幼い頃の姿が重なり、胸がいっぱいになる

未来を夢見て希望を語り一人で生きる決意、これらを自分で決めることができるまでに成長したのだ。

機能不全家族に育ち、

家族の絆も親の暖かさもイマイチよくわからないまま、毒親(母)を恐れ、甘えることもできず、かといって離れることもできず歳を重ねてもなお、自立できたわけでもなかった私

物事を決めるのは「私」ではなく「私の中の母」だったから。

子供①にとって、どんな母親だったのか、至らなさをあげればキリがないか、これだけは、なんて自信もないのだ。

それでも「未来を夢見て生きよう」としている事が嬉しい。

年齢がきて「心」が正しく

「離れ」て「個々」の人間としての、新しい関係を互いが築き始めている

これが親離れであり、子離れなんだろう。

やはり毒親と絶縁してよかった

ずいぶん遅くなってしまったが、私の場合は「絶縁」が親離れだったのだ。毒親は距離ではなくて「心」を手離せなかったのだな、とわかった。

「絆」が育っていないのを知っていたからなのか、ただ単に未熟で毒親自身が子離れするのが怖かったのか、いずれにしても「支配」し自分から離れない様、罪悪感を煽ってでも、一生側においておきたかったのだろう。

暗示でもかけたつもりだったのかな?

解けなければ母は幸せだっただろう、しかし私は心的疾患がひどくなる一方であっただろう。

歪みはどこかで、真っ直ぐに直さなければ、基礎がしっかりしていなければ安全な家が建たないのと一緒なのだろう。

父も母も毒で歪んだ関係を正そうと思わなかったのか、それとも歪みと感じていなかったのか。

私と、毒父・毒母・毒兄との間には

「何も存在」しない。愛や、信頼や、安心、そもそも「会いたい」気持ちがない。

きっと父と母が望んだのはそういった気持ちだったと思う。会いたい、話をしたい、そんな通常の家族の心

私も、父と母にそう思うべきである、と自身を思い込ませようとしていた

実家に行きたくないと思う私がおかしい、親に頼りでもしたら延々と恩に着せられる、何より母が怖いから言う事を聞く

これらが通常の親子関係ではないことを、わかっているけれど断ち切れない自分。

絶縁して4年目、

あれ程「私が側いないと母が悲しむ」という罪悪感が、今となっては洗脳でしかなかった事がよくわかる。

母はこの3年、数回のアクションはあったがその全てにおいて「自分たちが悪かった」だの「どうして絶縁したいのか、あなたの本音を聞かせて」やら

「嫌なところがあったら治すから教えて」といったような、仲直りをしたい時に言いそうな具体的な言葉は一切なし。

夫へのアクションも「上から」「お前たちは間違っている」「これだけしてやったのに」だったからね。(夫と両親の話し合い、よろしければご覧ください↓)

毒親との決別は、苦渋の決断だ

常にあの人たちは「自分を顧みない」

私には「自分に悪いところがないか、常に自分を顧みて反省しろ」と教えていたけれどね。

半世紀近く生きてきて、

いろんな人と関わったけれど、押し付けがましかったり、教訓めいたことをいう人に、素敵な人はいなかった

私の好きな人たちは、どんな立場であっても、見栄を張らず、謙虚、感謝の気持ち、優しさを持って人と接している。

父や母の様に、店員さんにマウント取ったり、会社の部下を使えないと言ったり、仲良くしたいはずなのに兄弟の悪口を言ったりする人はいないよ。

美味しい外食は作ってくれる人がいるから、会社で自分の仕事がスムーズに行くのは自分以外の仕事をしてくれる部下がいるから、仲良くしたいなら陰口なんて言っちゃダメだよ。

自分だけは許される、そんな事はないからね?子供だろうがご老人だろうが、ちゃんとその人が積み上げてきた人柄は見抜けるよ?

だから父も母も、古い一軒家に二人きりで暮らしているのだ。あんなに家に招いてはご馳走していた「つかえない部下」も、会社を辞めたら誰も来ないじゃないか。

父は言っていた、

お前の様に自分のことしか考えられない奴はいつか子供にも見放されるからな、

母は言っていた、あんたみたいな自分勝手でわがままで感謝の気持ちのない人間は誰からも見捨てられて寂しい老後を送るわよ、

そう、父のセリフも、母のセリフも、壮大なブーメラン(やったね)

だってさ、考えたらわかるじゃん。都合よく雑にあつかわれる、利用しようとする、そんなのさ相手は気がつくよ?

まあ、毒親の言っている事はあっている。「自分勝手で感謝の気持ちのないわがままな奴とは誰も付き合ってくれない」うん、それはその通り。

だからね、(子供①)から進路を教えないで欲しいと言われるのだよ。(よろしければこちらもどうぞ↓)

毒親の希望する孫の進路とは

お義母さんのように

広い器で受け止める事ができる人になりたい。

信じられない程の無礼を、取り返しのつかない事をした私を責めたりしない。

そんな人になれるのだろうか。(よろしければこちらもどうぞ↓)

毒母の脅しの結果、義実家と絶縁

人の失敗を笑って許し、また次があるよ、そう言える人になりたい。

生きている限り、新たな自分に出会うのだ。

知らなかった感情の芽生。

嬉しい発見。気づきは許しを生むからね

さぁ、今日も1日「生き切る」ね。

by 毒親育ちmochi