デジタル遺産として子どもに遺したい

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設のきっかけは子どもと私の命

このブログを開設したきっかけは、

  • 毒親と絶縁した
  • 子ども②は「がん患者」である事を知らない
  • 子ども①は「がん患者」であることしか知らない
  • 私の死後、子ども①②と夫が毒親に傷つけらぬよう
  • 起きた事を綴っておきたかった

いつか子ども①②が成長した時、

過去、我が家に「大事(がん告知)」が起きていたのは、きっと覚えているだろう。いつか詳細を知りたくなる日がくるかもしれない、そしてその時私が生きている保証が無い(どんな治療をしたのか等)。

そんな日が来ないかもしれないけれど、詳細を手紙に残すのは、私の生存期間によって「分量」が変わってくるから現実的じゃない。

遺せる体力がその時にあるのかないのかすら予測できないなら、都度書き足していける「ブログ」という形、つまりデジタルで遺してみようと思ったから(遺言的な)。

子ども①②に、父母と絶縁した理由(子どもたちの祖父母)、はさっくり伝えている(兄による性暴力以外)。

絶縁についても、いつか「私の本心」を知りたいと思う日が来るかもしれない。

デジタルで遺すメリット

口づてではないので、私の情報の「書き換え」がおきない。(※毒親は都合よく事実を捻じ曲げるので)

家族が、知りたいと思う日が「明日」ではなく「10年後」かもしれないし、知りたくないかもしれない。

もしその時私が世を去っていて、聞く相手が毒親(子どもたちの祖父母)しかいなかったら…誤解しか生まない結果になるのは火を見るよりも明らかだからね。

自分の心境の変化が可視化される事にも興味がある

価値観は能動的でありたい、そうであれば嬉しいなと思い生きている。

軸さえぶれなければ、常に自分にプラスになるよう、価値観も居場所も「居心地よく」変えていけたらいいな、と。

記憶から消し去っていた「誰にもいうことのできなかった」実の兄による性暴力の被害、それを父母に訴えたけれど本気で取り合ってもらえなかった救われない私の魂、そこに希少がん告知と余命、日々を生きるのに精一杯の私にさらに追い討ちをかけた毒親による「兄との再会の強要」だ。

ぶつかるたび、私は目覚めていった。

残りの時間がわからないなら「親から自由になりたい」、その思いが「自立」へ私を導いた。

がん告知以降、私は変化し続けている。変わっていく私に興味があるのだ。

さらに最大のメリット

毒親あるある…、事実は常に毒親目線で語られ真実はねじ曲げられる。それを防げるのは最大のメリット♪

まあ、それについては、私も私の目線でしか語れないので同じだけど。

少なくとも、私が親と絶縁した理由、心の叫び、偽りのない「私の本音」を書き残せるのが嬉しい。

子どもたちに聞かれた時は、包み隠さず絶縁理由を答えているが(兄による性暴力以外)、将来疑問が湧いたとき私が存在しているかわからないからね。

絶縁していた事実さえも「がん患者である娘(私)のために、残された時間を無駄にしないよう、家族だけで過ごせるよう、後悔の無いよう生きさせてあげていたの(嗚咽)」と、

病を隠し、影となり娘を見守っていた健気な私たち(嗚咽)、なんて事くらいサラリと言うのが想像できてしまう。

苦渋の決断である絶縁を、毒母の「美談」に変えられてしまったら悔いしか残らないから!

夫と子ども①②を毒親から守るために

夫は確実に、毒親から責め立てられる、うん、確定の未来。

そして私の悪口「あることないこと」を、子ども①②に吹き込むだろう事も。

その時、子どもたちが傷つかないよう、このブログがどうか、私の家族を守る盾になりますよう…そんな願いも含んでいる。

私は思う、自分ファーストで生きるべきと。

でもそれはわがままとは違う。

自分を居心地の良い環境におくため、自分に時間を費やしていいのだ。そのために自分ファーストで生きる事が大事だと思っている。

そうする事により感情に余裕が生まれたら万々歳♪。

自分の心が穏やかに過ごせると、周りの人にも穏やか接する事が当たり前になり、幸せが増えるのだ。

それを教えてくれたのは夫と子どもたち。

だから家族を守ることは私の悲願なのだ。

だからこそ沼は人生に大切で

沼=とことん打ち込める興味、これは人生の必須アイテムだと、本気で思う(笑)。

何でもいい、自分沼は自由♪

誰かのためでなく、自分のために「料理」を作るのが好きだったり、新聞を隅々まで読む達成感が楽しいとか、本当に何でもいい、とにかく沼タイムは完全に自分だけの「邪魔されないワクワクする時間」でさえあればいい。

私の場合、推しを思うだけで、心はほっこりするし、沼友(ぬまとも)とはもはや同志を超え共に戦う戦士のようだし。沼から見える景色はそれはもう心躍る人生のご褒美

幸い、夫も私も沼出身なので着々と子どもたちは生粋の沼育ちへと成長している。私としては非常に嬉しい。沼友もいるみたいだし♡

子どもからみた祖父母との疎遠

子ども①②は祖父母と私が疎遠になった理由を知っているし、理解している。(祖父母に会うことを私は禁止していない、むしろ会いたい時は会っていんだよと伝えている)☆絶縁通知書にも記載☆

これから先いろいろな出会いがあり、疑問が湧き、知りたくなる時があるかもしれないけれど、今子どもたちが聞きたくないタイミングだったら無理に聞かせる話でもない。

なので、もし将来子どもたちが、私の側面からでしか語れないけれど、「あの時、母(私)は何を思っていたのか」と知りたくなった時に、夫がブログの存在を知らせてくれたらいいな、と思ってます。

価値観は柔軟に、でも軸はぶれないよう

私自身へのいましめと、未来の、それこそ大人になり切った子どもたちが、ふと母親の人生をぽつりぽつり好きな時にでも紐解いてくたら、それもまた乙なんではないかな、

とちょっぴり期待も込めて、デジタル遺産(遺言)的な意味で記録を残したいと思っています。

by 毒親育ちmochi