毒を振り返らず、清らかに生きたい

毒を振り返らず、清らかに生きたい

約半世紀、なぜこんなにも毒親に

「気を遣い」生きていたんだろう。

「親孝行」では違和感がある、やはり「気を遣う」がしっくりくる。

自分が悪性腹膜中皮腫(希少がん)

とわかってからも、毒親を悲しませる自分を責め、申し訳なく思い、生きている限り精一杯何かしら「親」にできることをしなくては、と思っていた。

しかしその気持ちに反するように、「自我」がむくむくと顔を覗かせるようになった。

いいの?やり残した事はないの?

このままで人生終わっても納得できる?そう、私に聞いてくるのだ。

どうしても「自我」のささやく声が魅力的でならない

もし自由に毎日を過ごせたら、親の目を気にせず家族だけで旅行ができたら、

親の嫌味を聞く事なく、ちょっと素敵なレストランに家族だけで行けたなら、

好きな服を好きなように身に纏えたら、

あぁ、たまらなく素敵な提案。実家と物理的距離がなければあっさり解決できる問題だ。

近くにいなければ、頻繁に会うこともない。目に触れなければ、知らない事と同じだ。しかし夫の会社を知っている以上、あまり意味がないような気もする。

「精神的」+「物理的」距離

をとるには、絶縁宣言をし、相手との接触を「今後一切拒絶します」という「意思表示」をする以外、私には道がなかった。

ようするに、街でばったり会っても互いに知らん振りをするということ。

母は、電話で「娘家族が全然寄り付かないって近所の人が噂しているから、みっともなくて、私が引っ越したいくらいよ!」と叫んでいたが。

近所の人が噂をするほど、私たち家族は有名人でもなければ、ご近所付き合いも薄いのだ。何をそんなに「世間体」を気にするのかはわからない。

とにかく、そんな些末なこと

に時間を割くのは終わりにしたかった。

私は、自分の人生を最後まで自分として生き切りたい、そう思っている。うがった物の見方をしたくないのだ。

とってもとっても狭い世界で

生きてきたんだと、いくらでも広い世界へ飛び立てたのに、弱い自分と戦えなかった。

なんて幼い心のまま、生き続けてしまったのだろう。今の私がハタチの私だったら、見える景色全てが違っていただろう。もったいないことをした。

しかし、後悔する時間すらもったいない。

人に誠実であり、人に優しくあり、間口の広い自分でいたい。

常に学び、それを生かし成長し続けたい。

前を向き、過去を振り返らず、自分らしく生きるべく歩き続けるのだ。

by 毒親育ちmochi