毒塗れの家が私の世界の全てだった

毒塗れの家が私の世界の全てだった

毒塗れの家が私の世界

ブログの棲み分けがスッキリして自分的にヒジョーに気持ちが良いです(笑)。

ブログを開設したことも、文章を綴ることも初めての経験でして試行錯誤しておりますが、足をお運びくださる方がいてくださりとても嬉しいです

いつもありがとうございます。

そう私の世界の全てだった機能不全家族

この世のどの家に生まれ落ちるか子供は選べません。

毒親あるあるですが、「親に感謝して当たり前」「お前がいるのは先祖代々のおかげ」「お前は恵まれている」等々の、本来感謝される側が欲しがってはカッコの悪い台詞をたくさん浴びながら育ちました。

私は夫の母(義母)に酷いことを重ね、それでもなお毒親の言うことが正しいと盲信し、取り返しのつかない過ちを犯しました。(よろしければこちらもどうぞ↓)

毒母の脅しの結果、義実家と絶縁

もし私の両親が同様の事をされたなら一生許さないであろう数々。しかも毒母が指示してきた過去

でもお義母さんは過去の件に関して一切私を問い詰めたり責めたりしません

夫の兄弟や親戚も同じく、以前と変わらぬ態度で優しく接してくれるのです。(よろしければこちらもどうぞ↓)

義母から教わった愛しむ心と絆

これこそが真の「親に感謝する」

気持ちと半世紀近く生きて初めて知りました親のありがたみです。神かと思います。

夫の家族が喜んでくれる事があるなら率先して手をあげたい。たくさん親孝行させてほしい

毒親に対しては残念ながら「関わりたく無い」「顔を合わせたく無い」気持ちが全くもって変わらずに心のど真ん中に鎮座しておりますが。

でもお義母さんへの気持ちは

180度変わりました。毒母の肩越しに見えていたお義母さんは毒母の色眼鏡を通した姿だったのでしょう。

絶縁し自己を取り戻した私の目には、お義母さんは真っ当な母親であり心の広い人でした。

どうしてこの人を傷つける言動をしたのか、本当に毒親育ちというものは、しなくていい苦労をしながら生きなくてはならない損な役割です。

でも気がつけてよかった、そう言い聞かせる他はないから「今の私」は考えて精一杯周りの人を大切にして生きたいと心から思っている。

毒親は関わる全てを

言葉で破壊しつくしてきた、私はその逆に関わる全ての人と気持ちで繋がりたい。

絶縁をした事、心療内科の薬カウンセリング、これが私の濁った脳クリアにしてくれた。

母の考えを予想して「母の納得する」答えを出すことが、自分の意思だと勘違いしていた脳を「私」に戻すために必要な事だったのだと思う。

道徳観・勉強・家事・労働の大切さ

大人はいくらでも教えてくれる。

けれど、家庭が密室であり、その中で行われる虐待を「治外法権」と「諦めてはいけないよ」「親が間違っている可能性を疑ってごらん」と教えてくれる大人はいなかった

今だってそうだ、この世に生まれ落ちたら「生きて」いかなくてはならない。生きることが辛ければ自分で命を断つ」「勇気」が必要になる

どちらも地獄だ。

そんな家庭に生まれてもなお「親に感謝しろ」と言われる子供の気持ちを想像してほしい。

親の機嫌で「大切にしていたもの」をいとも簡単に目の前で「お前が悪い子供だから」という屁理屈で破壊される絶望を。

親の機嫌を損ねたらご飯も、お弁当も、お小遣いも、定期代も与えてくれず「お前が悪いんだ、勝手にしろ」と言われる子供の気持ちを。

想像したことはある?

心にどす黒い感情が広がる、

お前たちが勝手に産んだのに、と。

私はその気持ちが痛いほどよくわかる。機能不全家庭の種類も毒親の種類も、それこそ家族の分だけ様々だけど。

けれど「私」が経験するのは「一個」だけの家庭。そして「私にとっての全てであるお家

生殺与奪の権利をチラつかせ、気分のままに子供を弄ぶ親のもとに生まれ落ちた子供はどうやってそこから抜け出せばいいのだろう?

少なくとも私の周りに教えてくれる大人がいなかった

一番しっくりし、どうやら両親が

私の生きづらさの原因なのかと気がつかせてくれたのは、やっぱりスーザンフォワード著「毒になる親」だ。

毒親という言葉に出会って15年近い時を経てようやく絶縁できた

なぜできなかった?

世間の目が気になっていたから。

それこそお宮参り、お食い初め、

七五三、お誕生日、運動会、学芸会、そういった行事祖父母が参加するのが「普通」であり当たり前だから。祖父母が近くに住んでいるママ友たちは皆一緒に参加していたから。

毒親が好きな世間様という偶像崇拝愚かで気の毒と感じている今、でも過去の自分も毒親と同じく世間様に縛られていた。これも洗脳教育の賜物なのだろうか。

自分で「おかしさ」に

気が付く所までなんとか辿り着けた、だけど切り離すには時間がかかりすぎた

後悔の念とそれでもまだ気づけてよかったという安堵が混在しているけれど、遅く訪れた「自由」を楽しめる時間があって良かったな、ギリセーフと思ってる。

好きな服を選ぶ事、お母さんっぽい服装をしなくていい自由、ふふふ遅くやってきた思春期ですかねぇ、自由にやらせてもらってます(笑)。

夏空が眩しいぞ!

by毒親育ちmochi