毒母の世界の中心は「台所」

毒母の世界の中心は「台所」

子供①がある日ふと言った。

おばあちゃんの性格はかなりクセが強くて問題あるけれど、あの古い一軒家がおばあちゃんの世界の全てで完結している、あの世界観、嫌いじゃないよ。

ふむ、それはどういう感じ?と聞いてみた。

ほら、おばあちゃんの世界の中心はあの家でしょ。「あの家」の台所で腰に手を当てて「私の家よ、誰か文句ある?」みたいな感じしない?

ん?んん?わからない、

もう少し詳しく教えて?

例えばさ、花が好きだけど庭全体を捉えて植えるんじゃなくて、あくまでも「自分の座る位置」から「綺麗」であれば、他はどうでもいいでしょ?

うん、確かに、そうだ。だからこそ柿の木は夏には生い茂り影を作るので、「私の花」に陽が当たらないのが嫌だと言っていた。(柿の木の件、よろしければ↓)

毒親が喧嘩する姿を思い浮かべるのは容易なこと

そして母から見えない場所は、

新しく購入した花の為の引越し場所であり、見栄えは全く気にならない。だから生い茂っても、軽くジャングルになっても平気。

でも確かに、母の定位置から見える庭はとても綺麗。高低差もちゃんと考えて植えているので、絵画のような世界が広がっている。

おばあちゃん、刺繍するでしょ。

出来上がりの予想をつけるんじゃく、何となく、こんなの良いかな、みたいに作るでしょ?

無計画に刺繍してるのに、ちゃんと作品になる。あの詰まってる世界観、作れるようでいて難しいよ

確かに、母は50センチ四方のフェルト生地に、何となく刺繍糸を選び、家にある使わなくなったビーズや可愛いブローチ、綺麗なボタン、それらを模様に織り混ぜで、刺繍糸で「絵」を作るのだ。

それがまた何とも言えず、良い

時にピンクのグラデーションのみでステッチをし、仕上がったら「桜」のように見える円が描かれていた。額に入れるとなおさら素敵。

ある時は、黒のフェルト生地に銀や金、余った毛糸やリボンを糸で縫い止め、現代アートのような風格さえ持つ、キリッとシャープな作品に仕上がった。

子供①は言う。

それっておばあちゃんが常に、あくまでも「自分から見て」を優先しているからだと思うんだよね。

それってさ、他がごちゃごちゃしていようが、あくまで目線は「私から見たら」これに絞ってるってことでしょ?

言い換えれば自分の好きなもがはっきりしてるから、他を捨てれるんだよ。

広い日本の中の、あの小さな古い家が

おばあちゃんの世界の中心でいて全て。そう思うと、あの作品はおばあちゃんらしくて、嫌いじゃない。

なるほど。確かに私も母のフェルト生地の作品はどれも素敵だと思っている。

面白いな、私から見た母と、子供①から見た祖母。同一人物だけれど、捉える視点が違う。

ふふふ、確かにあの家で腰に手を当てて「何さ!」っていってる母を思い浮かべちゃった(笑)。

歳を重ね、出かける場所が

あまりなくなったから、と服への興味は減ったと言うが、たまに購入するさらりと選ぶ服はどれもフォルムが綺麗でちょっとアーティスティック。

母よ、さすが、センスがいい

母は服への興味が失せ、

庭造りを始めた。祖父母が建てた「純和風」な一戸建て。そしてこれまた純和風な庭、祖父の盆栽や、飛び石や、竹や梅や柚子、そして大きな柿の木。

私の記憶だと。庭にプールくらい出せるスペースがあったんだけれど。

せっせと母が、花壇を作り、芝生が花壇へと塗り替えられていく。盆栽も地植えにし、純和風から洋風の庭へと作り替えられた。

父は「木も生きている」から

柿の木が可愛そうで切れない

母は新しい花を植えるスペースを空かせるために今植っている花を捨てるのは、可愛そう、そう言って花壇へお引越し、結果花壇が広がる仕組み。

あーあー、毒父や毒母ではなく、

「普通」の父と母だったら、今頃「似た物夫婦じゃーん」って笑って縁側で私がドリップしたコーヒーが飲めてたのになぁ。

憎むでもなく、嫌うでもなく、傷つけ合うでもなく、

優しさと優しで語り合える、そんな関係になりたかったよ私。

きっと母もそうだよね。

「毒」は切ないね。自分が気がつかなければ「解毒」できないから。

ただただ皆で笑い合っていられたら、他に望みはなかったんだ。

でもそれは叶わぬ事だって承知しているから。(よろしければこちらをどうぞ↓)

家族が元通りになるのは不可能な毒

さぁ、前を向き顔を上げ背筋を伸ばし明日も「今日」を、

私にとって「楽していこう」

by 毒親育ち mochi