毒親は決して私を慈しみはしない

心を開く。
実際どういうことを指すのだろう?
- 本心を明らかにする。心の奥底をうちあける。
- 親しい気持ちになる。うちとける。(goo国語辞書)
意味はわかる、では対象は?やはり家族やパートナーや友人などだろうか。
私は今まで「他者から見える自分」を「可愛そう」と思われては「恥」であり「隠すべき」と信じていた。
毒親育ちあるあるだろう、
禁忌事項。言ってはいけないボーダー。
毒母は家の中で「私に語る本音」や「兄の家庭内暴力」を始め、家庭内での出来事、夫婦喧嘩などは当たり前で、もっと些細な、
例えば、料理を失敗した(料理上手設定が崩れる)、よく怒る(優しい母設定が壊れる)、なので学校内での成績順位、習い事の下手さ加減、母方の「毒」持ち親戚エピソードなど、持っての他だった。
幼い頃は、言っていいラインと
ダメなラインがわからないから無邪気に母の友人の前で「この間こんなことが…」と話して、母が不機嫌オーラで私に目でサインを送る、「これ以上言うなよ」ビーム。
最初はそれすらピンとこず、母の友人と分かれたとたん、怒りのスイッチが入り「あんな事人前で言う事じゃない、みっともないでしょ」と、大通りの真ん中で小声で怒られ、腕を痣ができる程につねるのだ。
帰り道が車の場合、ドアを閉めた途端怒鳴られ、髪の毛を掴んで振り回された事もある。
だから、だんだん察しが
よくなり「聞こえの良い話」以外しなくなる。すると、母方の親戚は「良いところに嫁いだ、さすが○子さん」と言うので鼻高々。
矛盾でこんがらがりそうな嘘ばかりを告げる母、
だから父の親戚に体を壊し働けず家にいる身内がいること、私の義実家と疎遠な事、兄が離婚している事、は母方の親戚には内緒、みっともないらしい。
私の結婚前は、
母の理想は「家族が仲が良い」そして「料理上手」で「友達親子」な優しい「母親」。
私の結婚後は、親兄弟、親戚、家族間も皆仲良く、行き来があり、よく孫たちが訪ねてくる、人の交流の多い家だと、
「義実家」や「ご近所」に思われているのが理想。(母方の兄弟と冠婚葬祭以外疎遠な事、兄の離婚は義実家へは内緒)
母は「世間からどうみえるか」が
人生の優先順位なのだ。
料理上手で、子供思いで、娘夫婦や孫に愛される「母親」設定。
幼い頃からこれは言って大丈夫なのか?それとも後で叱られる?これを考えて喋っていたが、毒親であるが故怒りは気分次第、予想の斜め上から叱られる。
例えば、いとこと当時流行っていた少女漫画の話で盛り上がった帰り道、「あれじゃ、あんたが漫画ばっかり読んでて勉強してないみたいじゃない、みっともなくて恥ずかしかったわよ」
くぅ、それは察せなかったわー。
絶縁し解毒した今は思う。
うん、母の気の強い所や気分屋な部分、バレてた。そりゃそうだよね、嘘は真にはならないよ。端端に負けん気が顔を出してたからね。
なぜあんなにも「世間体」を気にするのか?
母に自分軸がないから。しっかり自分の足で立っていれば、嫌な人との距離の取り方も学べていただろう。
そして、嫌な思いをし落ち込んだり沈んだ時の浮上の仕方もわかっていたはずだ。
母もまた「心を育てて」もらわないまま社会へ出た一人だったのだろう。(よろしければこちらもどうぞ↓)
私は自分が「がん患者」
「アスベスト」「中皮腫」というワードを含む患者。
解毒前の自分は「人から気の毒と思われる」「私」が怖くて言えなかった。
母からの呪詛の一つに「可愛そうと思われたら惨めよ」があり、それがどうしても払拭できなかったから。
解毒後の私は、人からどう思われても大丈夫。
嫌な思いや傷つくこともあるかもしれない。可愛そう、お気の毒に、そう言われて落ち込むかもしれない。
でも別に罹患したくてなった訳じゃない。運が悪かった?ううん。それは違う。
私の友のように、健康でいてもある日突然訪れる「まさか」は存在するのだ。(よろしければこちらもどうぞ↓)
それに私のことを想って発する
「可愛そう」はちゃんと心に届く大丈夫。
もし私を哀れんで「可愛そう」と発する人なら、黙って距離を取れば良いだけだ。
大人なのだ、学校の教室で同じメンツで一年過ごす不自由はない。苦手とおもったり、嫌だと感じた人は、私の人生に必要ではないなら離れるだけ。
私が健康でもがん患者であっても、私は私だ。
何も変わっていない。だから隠す必要も大声で知らせる必要もない。ただ事実を述べているだけだ。
ブログに書くことが心を開く、
に当たるのかちょっと自信がないのだけれど。
40代前半は、生まれてからそれこそ死ぬまでの人生を走馬灯のように振り返りつつも「期限は2年間」という縛りで、気分は補陀落渡海だった。
(※補陀落渡海(ふだらくとかい)とは、小さな船に30日分の脂と食糧をたずさえて、外から釘を打ちつけて出られないまま、南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すという江戸時代くらいまで行われていた修行。外へ出られず、舵もなく、潮まかせ、暗い小舟の中でお経を唱え続けたとされている。)
40後半は、自分の「残り時間」を自分ファーストに生きるにはどうすればいいか、いままで集めた情報と勇気を携え、自分で航海に出た。
私の残り時間がどれだけなのかは、
わからない。でもそれは等しく全てに言えること。決して私だけではない。
だから、毒親に苦しんでいる過去の私と同様の人の目に止まったらいいな、40後半でも人生を「立て直し」「解放」される事がある、という事実を届けたい。
機能不全家族に育つと、歳を重ねるにつれ「生きづらさ」が増してくる。それに加え子供の手が離れ、毒親が老後の不安のため、再び支配をし始める。
自分だって老後へ向かい
生きていくのだ。支え合い、慈しみあえる関係なら素晴らしく掛け替えのない大切な親であろう。
だけど、毒親は決して私を慈しみはしない。毒親であるが故の執着、痛いほどわかる。だからこそ、「疎遠」や「絶縁」は簡単ではないこともわかる。
そして「絶縁」したからといって毒親の恐怖が消え去る訳ではないことも。
私のように、いつ「がん患者」に
なるか、いつ「急逝」するか、そんな事は本当に誰にもわからない。
だから私はキーボードに思いを込めて言葉を紡ぐ。
毒親に苦しんでいる人が一人でも「解放」され「自由」を歩けますように。
「親だから」「親なのに」という世間の無知な言葉に惑わされず、自由を手に入れられますように。
強く、強く、願って投稿を続けている。
by 毒親育ちmochi
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