毒親はこの気持ちを知らずに世を去るのだろう

子供が一人で、頑張ろうとしている
気持ちを考えてしまう。心細さだけ、そこだけ代わってあげたい、そう強く思う今日。
子供①は自分の進みたい道への一歩として大学へ進学し、いわば目指す道への入り口に歩みを進めた。
高校入学当初とは180度別の道を
進むことを一人で決意し、
祖父母である毒親から「夢みたいなことを言っても飯は食えない」「何寝ぼけたことを?」と言われ、担任の先生にも推薦という安全な道を強くすすめられたが、
静かに聞き流し、歯を食いしばり諦めず掴んだ希望する進路。同級生と違う道を選び、きっと焦ったり、迷ったり、時に後悔した事もあったんじゃないかな。
それでも、黙々と努力を重ね自分の人生の一歩目を踏み出した。それは子供①が、辛かろうとも貫き通したあの手で掴んだ進路。
線の細い物静かな
イメージとは裏腹に、あの子の心に秘めた熱い情熱は素敵で、たまらなくかっこよく、潔かった。
きっとこれからも、飄々と見え、心に熱い魂を持ち、取捨の線引きも迷わずに、あの子らしく生きていくんだろう。
もう親の私に出来ることは、困った時、羽を休めたくなった時に、ふらりと帰ってこれる場所を保つことしか残ってない。
毒母の顔色を伺って、
ご機嫌をとるために費やした時間を、できるならぜーーーーんぶ、幼い頃のあの子との時間に変換してやり直したいな。
もっとたくさんハグして、手を繋いで、抱っこして、あの柔らかな髪をなで、たくさん目を見て話をして、あなたを愛している事を、もっともっと上手に伝えたかったな。
私は愚かだ。いまさら反省しても遅いけど。弱かった過去の自分をぶん殴りに行きたい。
たった一晩、あの子と離れただけで、
身を切る様に辛い。今も泣きながら綴っている。
あの子の今までの頑張りを、優しさを、愛を、振り返ってしまう。片付いたあの子の部屋を横切るのが辛い。今すぐ手元に戻したくてたまらない。
執着ではない。きっと心細く一人で部屋にいるであろう、あの子の心の痛みを、それだけでいいから、私が代わってあげたいのだ。
蔓延しているウィルス対策のため、
2週間前までに現地へ着き一人で部屋でオンライン授業を受け、
3食とも自分で用意をしなければ、お腹が空いても冷蔵庫にあの子の好きなものは入ってはいない。
せめて学校が始まっていれば、新入生同士、すぐ打ち解けられるだろうが、オンラインではそれもできない。
大学に近い代わりに、コンビニは遠く、ふらりとツタヤへ出かけることも出来ない。
言わないが、親だから
声の調子でわかってしまう。本当に、楽しい以外の事は私がいくらでも引き受けてあげたい。私はいくら傷つこうが子供たちが幸せなら一向に構わない。
それをたった一晩、それだけで強く強く願い、心が痛む。私がそんなことを言ってしまったら一人頑張ろうとしているあの子がホームシックになるといけないから、
「何かほしいものない?遠慮しなくていいよーん」と明るく普段通りに話し、見守る事しかできない。
さっき「○○がほしいなー」って言うから、喜び勇んでAmazonでポチった。明日は憧れのMamazon送るね。
少しでもあの子の心細さを快適が埋めてくれますように。
この強烈な寂しさは
「私の心」ではなくて、「子供①の心細さ」を思い痛むのだ。私が代わって引き受けたい、守ってあげたくてたまらない。
私は自分が癌と告知された日、実母から「私の老後がなくなったのね」そう言われた。
毒親家庭に育っていたから、母らしいなと諦めにも似た感情とともに、ドラマだと「私が代わってあげたい」って泣くんだろうな、そう思ったことも思い出す。
「代わってあげたい」
この気持ち、本当に存在するんだね。
今までは側にいたから、元気がなければあの子の好きなものや、ツタヤに一緒に行って映画を借りたり、子供②と一緒に外食に行ったりと、気分転換をすぐに提案できた。
でもね、離れた今、それすらも尊く貴重な何気ない毎日だったんだね。
もっと大切にすればよかった。
「今」を生きる、そう決めて
毎日を送っていたはずなのに、もっともっとしてあげられることがあったね。
後悔しないように生きているつもりでも、後悔する。それは知っていたけど、我が子はやっぱり特別な存在だ。
それすらもわかっていたのに、それでもやっぱり元気のない声を聞くと、今すぐ飛んでいってあげたい。不便さを交換してあげたくてたまらない。
本気で死が見えた娘に
「自分の老後」を諦めるから、あなたも頑張ってという毒母など、あの時手を切るべきだったんだ。(よろしければこちらをどうぞ↓)
娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った
本当に困っていた余命の先、2年後に私がこの世をさったなら「養子」にしないと面倒を見ない、そんな条件を出してくる毒親など、なぜ頼ってしまったんだろう。
毒兄との再会の強要を拒絶した私に「水に流せ」とさえ言った毒親だ。
もっと早くに縁を切るべきだった。
今日私は改めて激しく自分の人生を後悔している。
大切なものは、我が子一択だ。それ以外ないと、あの子を初めて手に抱いた時、確かにそう思ったのに。
私はいつまで学ばず生きるつもりだ?
毒親とは、心底毒親なんだな、
知っていたつもりだったのに、まだ「底」があったんだね。絶対に何があっても毒親と人生を2度と交差させはしない。
自分で決めた道を進む我が子、それでも寂しさをやっぱり代わってあげたくて堪らない、
それが余命のある病気だとわかったら尚更、代わりたい、それしか浮かばないだろう自分と毒親の感情の圧倒的な違い。
私の人生を返してほしい。
決意を新たに、
二人の大切な子供たちが、笑顔で毎日を過ごせる様に、傷ついた時甘えられる様に、気を引き締めて明日から、もっと「今日」を生きる。
どうかあの子の大学生活が親の存在など忘れてしまうほど楽しい毎日に早くなれますよう、切に願います。
私の大切な子供たちが
傷つかないためなら、私の命など今すぐ差し出せる。
幼い時は私が守らなければ、だから私は死ねない、そう思い余命の2年間を死ぬ気で生きた。
あれから7年生きられたから、子供たちが幸せに傷つかず生きていかれるのであれば、私の命はもうあげる。
体を張って守る年齢はもう越えた。
だから後は、後方支援だけ。下の子も後少しで同じスタートラインに立つ。
その姿を見るために後少し生きたいけれど、あとは子供たちが笑顔で暮らしてくれればそれだけでいい。
毒親からは、40半ばになっても「責められ、罵られ、我慢を強いられる」私だった。
子供が自立する事を経験をしたからさらに強く思う。
やはり毒親はおかしいのだ。
感情のタガが外れているんだろう。
可哀想に。
あんなに小さかった命が、こんなに立派に成長し一人で生きていくために羽を広げたんだよ。
誇らしくて、嬉しくて、子供に感謝をする気持ちを知る事なく死ぬんだね。
それだけは私が自分で学び、得た親としての感情だよ。
お母さんにはない心。
私は知れたよ。子供に感謝の気持ちでいっぱいだよ。
by 毒親育ちmochi
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