家族が元通りになるのは不可能な毒

家族が元通りになるのは不可能な毒

毒親を「理解」はするが「許す」事は無理。

この決意はちょっとやそっとでは翻らない。

なぜか?

家族間で解決できるような問題ではないから

過去の私は、毒父に拳で殴られた。毒母に物や手で叩かれた。毒親に感情で叱られ、感情で責められ、感情で許される日々。全てが毒母と毒父の「気持ち」次第。

母の記憶が多いのは、

それだけ父が家にいなかったのもあるが、やはり母と娘は一体化しやすく、依存関係になっていたから。

淀み切った家庭、外から見ると絵に描いたような定形の幸せそうな家族。

家は外から見えない密閉された空間。少なくとも私の育った家庭は閉ざされ、毒親ルールで支配される、歪みきった家だった。

当然、兄も同じ環境に身を置き、いわば気持ちがわかる同士のはずだが、それすらも、

仲違いするよう母に巧妙に

仕組まれていた。

常に、片方を褒めちぎり、片方をけなす。買い物に出ても、二人に何かを買わず、母のご機嫌をとれた片方が買ってもらえる。

だから気がついたときには、兄はライバルであり、兄弟という感覚が薄かった。

私には兄に優しくしてもらった記憶が

ほとんどない。幼いとき、両親の激しい喧嘩に毎夜泣いていた私の耳を塞いでくれた、

毒親との喧嘩で夜公園に飛び出した私を、一緒に謝ってやるから帰ろう、と迎えにきてくれた。これくらいしか覚えがない。

「お前さえいなければ」「お前ばっかり可愛がられてる」「女だからっていいよな」。小さな頃から、母のいないところで兄に繰り返し言われていた台詞。

だから兄が嫌いだった。

兄の言う「可愛がられてる」は、クラシックに熱心な母の姿を指しており、習い事を辞めたい私の気持ちなどどうでもいい。

そして「女だから」は、母が私を着せ替え人形のように、洋服を与えることを指していた。

兄弟ではなく、兄と私は、母の贔屓目を取り合う、敵同士だった。(当時は愛情と錯覚していたけど)

一軒家に引越しをし、ますます兄は引きこもりがちになり、暴力的になっていく。

母が不在の土曜日は

自分たちで昼食をとる。兄と会話どころか目も合わせない。何かを話せば、言葉の端をとらえ、大声で怒鳴るから、黙っていた方が百倍ましだ。

母によりパンドラの箱がこじ開けられるまで、本当に一切兄の記憶が書き換えられていたのだ。(よろしければこちらもどうぞ↓)

パンドラの箱の中身が開いた、あの日

私の中の兄は幼い頃耳を塞いでくれ、私を守ってくれた優しいところもあった兄、そして家庭内暴力は毒親家庭に育ったせいだと、同情さえしていた。

実際は、兄は毒兄だったのだ。

兄もまた私に暴力を振るう加害者だった。包丁を眉間に向け、首をしめた。喧嘩の理由は「昼食のメニュー」、そんなくだらない理由。

自分で選んだのに、気が変わったのか「かえてくれ」と言ったのを断っただけの事。フラッと台所から包丁を抜き、部屋の角へ追い詰め首をしめた。

殺される、怖い、という感情は強烈に思い起こされるが、やはり記憶はそこまでで、あとのことは覚えていない。

そして性的いやがらせ、いや性的虐待だ。これも全く覚えていなかった。母に聞かれたあの日まで。

相当思い出したくない記憶だったのだろう。驚いた。自分にそんな過去があったことに。兄もまた毒にやられ、自分で解消できず私にぶつけたのだ。

ことの発端は、どう考えても母。

そしてそれを傍観し火の粉を避けた父。傍観者だった父さえも毒にやられ、虐待に加担。

兄を毒兄にしたのも毒親、私は毒母、毒父、毒兄、そう毒家族に虐待されたのだ。

兄は「やってない」ではなく「覚えていない」と、逃げた。濡れ衣を着せられたのなら、やってなければ怒るだろうに。

性的被害者である「私」が直接兄に「被害の事実確認」をしろ、事実なら聞けるだろ、と言ったのは毒父。

「覚えていない=やってない」、だから「私」は嘘つきだと言った毒母。

さあ、家族間で解決など

できないのはわかるでしょ?

母は水に流せ、この世に二人しかいない血を分けた兄弟だ、仲良くしてほしい。

父は、もうそろそろいいんじゃないか?

いいわけないじゃん。水になんか流せるわけないじゃん。

もう一回聞くよ?性的被害者と、性的加害者が、「仲良く」顔を会わせるなんて、どんな事が起きたらそんな状況になるんだ?

誰が考えても無理じゃん。

母はさらに言ったよ、ならばずっと思い出さないでいてくれた方がよっぽどマシだった、ってね。

これでも母は「精一杯の愛情を注いだ」つもりでいるし、父は人生の理を知っているつもりでいるし、兄は平気な顔して親戚付き合いを続けている。

毒親が希望する「家族が元どおり」になるには、一体どうしたらいいでしょうか?

私の提案は、常に兄抜き。

一生兄の話題をしない。と譲歩し毒親と会い続けた。兄の話題についてはぐでぐでに解禁され毒父が語るようになり苛々させられたが。

毒親は「兄抜き」に難色を示し、水に流せと言ったのだ。そして兄もまた、私が許すなら一緒に会おうとさえしていたのだ。(よろしければこちらもご覧ください↓)

私から毒親を捨てた日

毒はどこまでも毒なんだな。

最低だよ、あんたたち。

私の気持ちを理解しようとしないのに、なぜ私に会いたいの?

家族だから、そんな二文字で「なかったこと」になどなるはずのない事実。

「許す=思い出さないこと」

だと思っている。以前のように再会したと仮定して、父と母だけだとしても、楽しく会話ができる?兄も加わったらどうだ?

毒に侵されている彼らには、私の心の痛みが通じない。どんな過程を経て、私が痛みを乗り越えてきたのか、想像する心を持っていない。

再会したとしても、父と母はまた私にピエロ役を押し付けるだけだ

それが分かっているから、私は私を守るために彼らと絶縁をした。

毒に浸かっている方が、楽ならば

一生そこにいればいい。

私はもう2度とそこへは帰らないよ、

そんなことしたら、頑張った私に申し訳が立たない。

by 毒親育ちmochi