解毒を終えた私から私への投稿

※本日は「私個人」への投稿です※
地球規模で俯瞰で見たら、「・(点)」にすら見えない存在の語る話として理解してお読みください。
人生の大半を認知の歪みの中
で生きてきたから、絶縁した今は、綺麗事で申し訳ないが、心清らかなものに触れて生きていきたい。
人のあらを探したり、妬んだり、悪口を言う、そんな汚れた気持ちを持ちたくない。
己を信じ、清らかに美しく生きている人を、素晴らしい、そう素直に憧れる自分が気に入っている。
毒親から語られる情報は
偏っていて、社会的地位のある人間を受け入れず、常に視点は弱者側。
豪邸に住む人は、悪いことをして手に入れたのだし、歳を重ねても美しい人は、整形をしてるのだし、有名な大学を出た上司は常に自分より使えないのだ。
淀みから抜けた今はわかる。
勉強も、収入も、美しさも、それはすべて「努力」なのだと。楽をして手に入れたものではないという事を。
テレビに向かって文句を言っても残念ながら誰にも届きはしない。それがわかっているから、聞いている私はいらっとしてしまう。
毒父も毒母も、
彼らの言う「世間」からみれば、恵まれた御老人だと思う。健康で、家もあり、なんなら娘も近所に住んでいる。
なのに、目の前にいる家族を雑に扱い、いい人と思われたく他者に気を配る毒母。
「私は不幸だ」「孫なんてよりつきやしない、いてもいないのと一緒じゃないか」「娘なんていたって役に立たない」と叫ぶのだ。
ボタンのかけ違い、
昔父が私にそう言った。お母さんは悪気があるわけじゃないんだ、ちょっとしたボタンのかけ違い、だからお前から折れてやりなさい、と。
やはり、過去を何度も思い返してみても、復縁は訪れそうにないな。
「私の気持ち」を「知りたい」のではなく、「私が親に従う」ことを希望しているのだから。
そこが変わらない限り、同じことの繰り返しで、そのうち本格的に私が壊れてしまう。
視点を変える事は
できないのだろうか?
少なくとも私の心身から「毒」は抜けた。「解毒」は終わった。
子供へ向けて、母のような叱り方をしなくなった。私の子供たちはもう大きいのだ、叱りつけていた私が間違いだったのだ。
こうしたら?と思ったときに、伝えればいいだけ。こんな案もあるよ?選択肢に入れてみない?とね。
選び、決めるのは、
子供たち自身、もうそんな年齢なのだ。私たち親がしてあげられる事は、子供たちが社会へ出るまでのあと少ししか残っていない。
過去へ戻って子供との
蜜月を過ごし直したかった。発破をかけてやりたいくらい悔やまれる、弱っちい昔の私。
不謹慎を承知で綴ります。
今、子供たちがずっと家にいる状況。奇跡的に今その時間が流れているのだ。
家族が、個々に楽しみをみつけ過ごし、なんとなくお腹が空いたらご飯を一緒に食べ、ゲームをしたり、
エアポケットのように、家族が一個になって過ごし、送り出すはずの子供①も、まだ家にいるミラクル。(よろしければ、こちらもご覧ください↓)
世の中はとてつもなく
大変な事が起きていて、医療の現場、様様な職で働く方々、皆リスクを背負って、命をかけ社会を支えてくれている(夫も変則で電車通勤だ)。
だから、あくまでも地球規模でいったら「私個人」など、え?いたの?くらいの存在なので、そこを理解して読んでほしい。
自分を押し殺し、
子供たちに、「私」として向き合う時間、が圧倒的に足りない人生だった。
だから解毒し再構築をし居心地の良くなった家族4人が、一緒に暮らせるのはこの春が最後、そう腹を括っていた。いつ腹膜中皮腫(がん)が目覚めるか、わからないから。
時間を巻き戻せない。
子供たちの私の印象は、叱り責める厳しい母だったんではないだろうか。
複雑性PTSDの治療を始めてまだ2年。子供たちは「びっくりする」レベルで、私が一切声を荒げなくなったらしい(笑)。
子供たちの記憶が、びっくりレベルから、当たり前になり落ち着いた頃、子供①が家を出ることになった。
正直なところ、まだまだ一緒に
いたかった。だから少し先延ばしになった事は、がん患者としては、とてつもなく信じられない貴重な「時間」。
私個人にできる事は、コンパクトに行動し、粛々とマンションの一室で生きること。
子供たちと穏やかに過ごす、
毎日顔を見られる幸せ、ご飯を作れる幸せ、一つ屋根の下で過ごせる幸せ、取り戻したかった貴重な日常。
当たり前の日常を、毒親に奪われていたから、やはり奇跡だ。
愛する我が子が二人揃って過ごしている今を、大切に大切にしたい。そして私たちを守り支えてくれる夫に感謝を。
周りの人に誠実に、考えて行動し、感謝と謙虚を忘れずに…
by 毒親育ちmochi
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