子供からの「贈り物」愛の意味を忘れてはならない

昨年、持ちものを大胆に断捨離した。
部屋の乱れは心の乱れ、と言うが私の部屋もなかなかにジャングル状態だった。
昔は違った。それこそ至って普通に掃除し床に物が散乱などしていなかったし、どちらかと言えば整理整頓が好きだった。
子供たちの学校からのプリントの管理、服も子供がぱっと見て何が入っているかわかるようテプラで貼っていたなぁ。
お知らせのプリント、mochiママに聞いたらすぐ教えてくれる的な感じだった。(昔だから写真で送れないから固定電話でやりとりね)
片付けられなくなったのは
何時頃からだっただろうか?
うーん、片付けが億劫になってきたのはパンドラの箱があいて1〜2年くらい後だと思う。(よろしればこちらもどうぞ↓)
それでも卵巣嚢腫の手術前後は、気がつくと片付けていた。
がんと告知され泣き暮らし、それでも2度目の手術が決まる前くらいにも、一度大掃除をしている。(万が一を考えてね)
やはり絶縁を
真剣に悩み始めた頃だ。4年ほど前かな?あってるかしら??
そのあたりから完全に「やる気」が湧かない。畳んだ洗濯物が床に積み上げられていようが、コートをハンガーにかけず積み上げていても、何も思わなかった。
いつも定位置のソファに座り、食事も積み重なった必要か不必要かわからない山をずらして食べていた。
いつかはやらなきゃ、明日でいいや、それが続き、どこから手をつけたらいいのかわからない程乱雑な部屋。
不思議と居心地は悪くなかった。一度座れば動かずに必要な物が置いてあるコックピットのような空間。
部屋の状況が最悪になったのは、
絶縁後。今から思うと、絶縁という思い切った行動、精神のアップダウンが大き過ぎて正直、部屋がどんな状態なのか「見えてなかった」
まさに心の乱れは部屋の乱れ、おっしゃる通りだった。(よろしければこちらもどうぞ↓)
心療内科のカウンセリングと
阻害薬のおかげで、ようやく心も脳も落ち着き安定し始めた頃だった。
Gがね、畳んだ洗濯物の下からひょこっと出てきたのだ。
まぁ、叫んだよ。子供呼んで大騒ぎ。マンションに10数年住んでいるがGが出たのは初めてだった。
しかし部屋が乱雑すぎて仕留められない。焦りとともに部屋を見渡したら、急に「部屋が汚い」ことに気がついたのだ。(風呂場で仕留めたよ、これ以降黒いあいつは訪れていないので安堵している)
ウォルト ディズニー
「全ては、一匹のネズミから始まった」
頭に真っ先に浮かんだ言葉。いやいや、ここは夢の王国ではない。現実を見ようか私。
それからはブルトーザーのように、ザックザックと不必要なものを処分した。
まぁ、出てくる出てくる、不要な品々。後生大事に未使用でとっていた品。ようやく自分の心身だけではなく、住居にも気が配れるようになった日だ。
それは、全ては、一匹の…、いや、やめておこう。あ、ディズニー沼にも約10年ほど浸かっておりました。
なんか終活のようであり、
意外とあっさりと要る要らないが決められた。どうせなら、一軍を日常に使用したい、だからグラスもマグカップ、小皿一つでさえ、ときめかないものは捨てた。
ちなみに一軍のマグカップは、オランダ製の可愛らしい小鳥さんではなく、キュウソネコカミのねずみくん♡柄違いで持っている。
とにかく「今」の私が「ときめく」もの。それだけで囲まれて暮らしたい。急にやる気がむくむくと湧いてきた。(よろしければこちらもどうぞ↓)
汚れたソファも買い換えた。
必要なものを必要な分だけ持っていればいい。
必要なものの一つに、
胸の痛む「贈り物」がある。
子供①が林間学校から帰ってきた日、私は実家へ行くのが遅くなる理由として「洗濯物がある」と母に言った。
洗濯機からゴロンゴロンと異音がする、音の正体はジーンズのポケットに入っていた「石」、
実家へ行かなくてはいけないイライラで、頭ごなしに子供①に「なんで石なんか入れていたの?」と責めた。
子供①が泣きそうな顔で言った。
「川遊び体験で、ハートの形の石をみつけた。お母さんが喜ぶと思って、入れていたのを忘れていた。本当は色を塗ってから渡したかった」と。
今綴っていても、後悔と張り裂けそうな痛みが襲う。愚かな自分に情けなくなる。私がそうなのだ、子供①はもっともっともっと悲しかったに違いない。
子供が通っていた習い事の先生に、
事情を話し石に色を塗る時間を作ってもらえないか相談をした。先生は快諾してくれた。
そして子供へ、私が間違っていたこと、気持ちを傷つけてしまったこと、全て私が悪く、あなたは何も悪くないこと。あなたの優しい気持ちを踏みにじってしまった後悔を伝えた。
そしてお願いをした。可愛らしい「♡の石」に好きなようにデコレーションしてもらえないかな?と。
子供①はパァと目を輝かせ「もちろん」と愚かな私を許してくれたのだ。
石は銀と金に塗り分けられ、
「大切」なものを守るには「線引き」が必要、そう私に訴えかけているような、頑張れと励まされているような、迷いのない綺麗な線で塗り分けられている。
この石は私へ「戒め」と「愛」を教えてくれる大切な石。これはずっと、目のつくところに飾っている。
親の愛は大きい、
世間は言うだろう。それは正しい愛し方を知っている人間にのみ当てはまる言葉。
公平な愛をもち全てを許し尽くし、傷ついてもなお見捨てず愛してくれるのは「子供」のほう。
親は「子供」からの愛を受け、「親」として守り育てるよう成長する必要を、子供から学ぶのだ、無条件の愛を。
だからこそ、そこに「愛」と「愛」を交わす「絆」が育つ。
無条件の愛を、
子供は与えてくれる。どんな親にも平等に。
だからこそ「当たり前」と思ってはいけない。
私は子供たちに感謝している。子供たちが幼いながらに、こんなにも「私」を「必要」と愛してくれ、こんなにも守りたく愛おしい気持ちを教えてくれたことに。
これは私が「母」になり、初めて知った感情だったから。愛されるって凄いことなんだ、と。
なにがある訳でもないが、
たまに石を掌にのせ、子への至らなさ、過去から今までの喜びや悲しみ、共に経験したことを振り返る。
忘れてないけない、と。今ある幸せは永遠ではないのだ。
だからこそ、過去の過ちを
忘れず強く優しい母になるべく成長し続けなくてはいけない。
それが唯一私から子供たちにできる償いだから。
私を親にしてくれたのは子供たちだ。感謝の気持ちを忘れてはいけない。決して当たり前ではない、肝に銘じて生きるのだ。
そして自分の未来を歩き始めた子供たちの姿を見ることができている「今」をしっかりと目に焼き付けておくのだ。
背中に羽が見えるよ、眩しいくらいだ。
私の大切な子供たちよ、本当にありがとう。
by 毒親育ちmochi
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