変化が起きたのは絶縁後

絶縁後に起きた心の変化
まずは、親孝行系イベントに関わらなくなったので心晴れ晴れでございます。
敬老の日は私からも両親にあげていたれど、孫が自主的に渡すようになってからは自然消滅したので、ノーカウントです。
今年の父の日に、私から夫へ洗える涼しいマスクをプレゼントしました。会社用に耳が痛くならないタイプのをね。布マスクを贈る未来があるとは一年前の私に話しても信じないだろうな。
デジタルが発達したおかげで
物理的距離があるにも関わらず、子供①と今までと変わらぬ距離感で話しができるなんて、すごい時代だとしみじみ感動。(金曜ロードショーでBTTF3部作を見たから余計に感慨深いです)
面白ニュースのリンクを送ったり、夜中に課題が終わらないぼやきメールがきたり、楽しく暮らしているようで、それでいて部屋にまだいるようで母としては嬉しい限りです。
子供②が勉強の休憩時間にリビングにやってきて、思春期の友人との距離感や付き合いについて現代事情を教えてくれて、
私の学生時代と今の子供たちはSNSというアイテムが決定的に違うね、なんてクッキー食べながら講義を受けておりました。
私は毒親と絶縁し母の顔色を
伺う時間がなくなった事が、こんなにも100パーセントの自分で子供と向き合う事ができるなんて思いもよらなかった。
だからこそ激しい後悔をしたし、なんだかとても悲しくなってしまった。幼い頃もっと沢山母子一体で過ごしたかったなぁ、とか、ママ、ママ、ってくっついてきた時もっと子供を抱っこしたかったなぁ、とかね。
母はいつも私と一緒に居たかったから、そしてすぐ抱っこしちゃうから、子供とだけの時間が少なかった。
でも断って不機嫌になり数日間はややこしい事になるのが嫌で、結局は母の気持ちを優先し従っていたあの頃。
あの頃をどんなに後悔しても
戻っては来ない、もう子供たちは抱っこをせがむ年ではないから。
それに加えて私には、癌の余命2年という縛りまで加わって、薄い氷の上を恐る恐る確かめて歩く事に必死だった。
子供が迷わないように、子供が寂しくならないように、子供が安心できる環境を用意しなくちゃ、優先は私の居なくなった未来の子供の生活を整えるよう考える事。
だからのほほん、手を繋いで
スーパーで買い物する日も、自転車の後ろに抱っこして座らせる瞬間も、いつだって、どんな瞬間も見逃さず目に焼き付けて大切に過ごした。
子供たちに触れる私の手の温もりを、どうか大きくなっても覚えていてねと、安心して寝ている下の子の髪を、祈る思いで泣きながら撫でた夜を何回も何回も過ごしてきた子育て。
私にとっての子育ては、毒親のようにならない決意から、私が居なくなっても困らないように準備する、へ変化をしたけれど、
でもそれは癌告知以前ののほほんさには二度と戻れない、そしてそれは今もなお変わらぬ事実。
子供に関わる全ての一瞬一瞬が、
私には尊く眩しく美しく、いつかくる別れを感じずに過ごす事がもうできない。全てが焼き付けておきたい瞬間でしかないから。
子供部屋から聞こえてくる、単語を覚えている子供の声ですら、うっかりすると泣いてしまう愛しい時間。
こんなに私の人生が大きく
変わった出来事ですら、母からすれば「自分の老後が不安になった」のであり、「孫を面倒見るなら養子が条件」であったのだ。
どちらの提案も母の気持ちを優先して口をついた言葉であって、決して娘を案じた言葉ではない残酷さ。
絶縁して心が本当に穏やかになって落ち着いて周りを見渡した時、改めて子供の過ごしてきた幼少期に思いを巡らせた。
子供たちは不仲な祖父母、
圧のかかった実家での夕飯、強要される孫孝行、
夫側の祖父母に会わせず、お正月に親戚が集まってワイワイ過ごしお年玉をみんなからもらう経験のない事、
本当だったら「当たり前」に経験させてあげられた事が、私が共依存にあったから、私が癌になったから、私が弱くて決断できなかったから、
子供たちに我慢をさせていた多くの事や、子供たちが経験するはずだった過去を奪ってしまったのだと気がついた。
悔しかった、
どんなに後悔しても過去へは戻る事は不可能だから。
母が不機嫌になる事が怖くて、ちゃんと自分の頭で考えて決める事に時間を割く心の余裕がなくて、
母を怒らせないよう、毒母のような母にならないよう、気を配り地雷を踏まぬように、そして子供を大切に育てなくてはと躍起になって、素の私で子供と向き合ってこなかった。
もっと自由に子供の個性と私の個性が交差する、そんな風に一緒に育ったらどうだったかな?なんて思ってしまった。
だけどね、毒親が私の心から
出て行った今結局私も毒母と同じように、子供たちに我慢をさせていたんだと気が付いた。
変化が起きたのは絶縁後、100パーセントの私と子供たちの間に昔とは違う親子関係が育ちつつある。
子供の個性、私の個性、もう下の子も私や夫を一個人として捉えていて、会話がますます楽しい。
そんな考え方もあるね、自分だったらこう考える、こんなやりとりが楽しい。忘れたい黒歴史を互いに発表して恥ずかしさに悶絶する日もある。
やり直せるんだなぁ、
悔やむ日や落ち込む日もあるけれど、変わることはいつからだって遅くない。
過去をやり直すことはできないけれど、過去の自分の過ちを認め誠意を込め謝罪することは今すぐにでもできる事。
相手がもしも許してくれたなら、再び道が交わることは不可能ではない。
もう二度と抱っこはせがまれないけれど、のびやかな個性を否定せずゆったり暮らすリビングならいつからでも作ることは可能。
たくさん、壁や峠を超えて一緒に成長してきたね。
本当にありがとう。
by 毒親育ちmochi
-
前の記事
毒親の壮大なブーメラン 2020.06.12
-
次の記事
親を憎みたくてこの世に生まれた訳じゃない 2020.06.28
ぽちぽちっと♡励みになります
SNS
