心も部屋も毒母に囲まれていた

やらなかった後悔をするくらいなら、
やってみて失敗した後悔の方がいい。これは本当。
でも…、だって…、と「親」から離れることに、理由をつけては言い訳言葉を口にし、実行に移せないでいた事が、早く行動に移せばよかった悩みだったと知ったから。
毒親と絶縁して3年が過ぎ、
4年目に入った私からすれば、過去の私へ「何をもたもたしているの?サッサと淀んだ場所から出ておいで」そう声をかけてやりたい。
弱音は、折れそうな気持ちを誰かと共有し、再び頑張るのは「自分」だ、心は前を向いている。
しかし愚痴は、不平や不満、満たされない自分の心を、気が済むまで「垂れ流す」。気持ちは延々と前を向こうとはしない。
不満をどうやって取り除く?
不便をどうやったら改善できる?などという、現状を変えたい、という気持ちを持ち合わせていないのだ。
だからこそ、何度も何時間でも、吐き出し続けられるのだし、垂れ流す事自体気持ちいいのだろう。聞かされている方はたまったものではない。
毒親は相手の気持ちに気を配る
ことなどしない。そして、不幸を探すのが得意であり、他人の不幸がやっぱり好きみたい。
他人の幸せは鬱陶しいものだし、興味のない話は途中でさえぎるし(笑)。もはやそれは「会話」とも呼ばないけどね。
母が一方的に話し続けているのを適度に相槌を打つ、これをただ繰り返すのみである、全くもって生産性のない時間。
楽しかった旅行、美味しかった料理、
お気に入りの品、目をキラキラ輝かせ聞かせてくれる人の話は、本当は楽しいんだよ。
前向きで、負ではなく正を見つけるのが上手な人と一緒にいると、自分もキラキラのカケラを受け取って、心がウキウキするんだよ。
幸せな人をみると、自分も幸せな気持ちになって、改めて周りの人を大切にしたいな、ってそんな「ふんわり」暖かな気持ちになる。
不満ばかり探していると、自然と不満が先に目に飛び込むように、楽しいこと、ワクワクすることを常に求めていると、不思議とワクワクがやってくるものなのだ。
1日は24時間。平等に与えられた時間。
楽しい1日にするのも、つまらない1日にするのも、本当は選べるんだよね。
毒親育ちの私は、
「今日」を「自分だけ」に使えるのか、それとも「親に捧げる」のか、その予定すら明日にならないとわからなかった。
そして、声がかかったとしても、母が「不満」で声をかけるのか、「暇」で声をかけるのか。お誘いの瞬間までわからない。
日中「無事」声がかからなくても、「夕飯」時まで気が抜けない。
こんな毎日の繰り返しに、
一体意味があったのか?あったとするなら、母だけだ。
母のイライラ、母の暇つぶし、母の買い物、母の手伝い、母の毛染め、母の頼まれ事、あげれば際限なく出てくる「呼ばれる理由」。
「散々やってあげているんだから、これくらい聞いてくれてもバチがあたらないんじゃない?」この台詞で、いとも簡単に「私の都合」など譲らざるを得なかった。
気がつかないふりをして、
不満というイガイガした黒い塊を体内に押し込み、我慢して笑顔で母に付き合っていたのだ。
だから心が、脳が、悲鳴をあげ、母を「毒母」、父を「毒父」、兄を「毒兄」、そして私の家族は機能不全家族であり、毒親家庭だ、この事実をはっきりと認識した。
早く気がつき、逃げていれば、
複雑性PTSDになってなかったのかな?それとも、早かったとしても同じだったのかな?
取り戻せない日々を後悔しても、思い巡らす時間はもったいないんだろう。良い記憶が少ないからなぁ。
今の私には、目に入るもの、
手に触れるものが「私が選んだ物」である、これが重要なのだ。
昨年、持ち物の断捨離を徹底的に行った。
驚いたが、リサイクルショップへ運んだ服はほぼすべて母の服だった。
ちょっと派手かしら?ちょっと若いかしら?でもいいわ、着なければ娘にあげればいいから。
そんな軽い気持ちで購入した服たちを、捨てるに忍びないから、と私に渡す。
着ないかも、使わないかも、履かないかも、でも断れず捨てられず、仕舞い込んでいた数々の品。
心だけでなく、部屋すらも、
こんなにも母のものがあったとは思わなくて、心底驚いた。部屋の半分以上が母からの品だったのだから(笑)。
心も部屋も「断捨離」をし、とにかく気持ちが「清々しく」「晴れやか」になり、まさに「心機一転」
心も部屋も、落ち着きを取り戻し、風通しも良く、掃除もしやすく、つくづく心地よい。
身を切るような、
血が溢れ出す程の断腸の思いで「縁を切った」のだ。親が悪い、私は悪くない、全部親が悪いんだ。そんな子供じみた決意で決めたわけじゃない。
何度も痛手を負い、立ち上がり、再びえぐられ、それでも親だから、また自力で立ち直り、何度もえぐられる自分。
親孝行したいときに親はいない。毒親に何度も言われた。だから頑張ってきた。きっと後悔すると思ったから。親を悲しませてはいけない、と。
でも、どうにもこうにも、私が苦しい。
耐えきれなかった。だから絶縁は熟考に熟考を重ね、痛みを伴い決断した、生半可な覚悟ではないのだ。
「絶縁」した事は、失敗だったとも後悔だとも思わない。親と離れることによって、心の安寧が手に入ったから。
親孝行したいときに親はいない
だから生きているうちに親孝行をしないと後悔するよ、という意味だと思っていた。
今はね、我が子がいつか「親」に、ありがとう、そう素直に思ったとき、もし親がこの世にいなくても、
「親孝行したいときに親はいないもの」なのだから、気にしないでいいんだよ。という意味なんじゃないかな、と思っている。
感謝がほしくて他者に愛を与える
のではない。相手が笑顔になってくれたら私も嬉しい、その気持ちを愛と言うんだと思う。
それだけの痛みを私は経験したんだ。困難なときこそ、相手を思いやれる人でありたい。
強く優しく、そんな人に…
by 毒親育ちmochi
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