自由を生きるための覚悟の解毒

世界は猛スピードで刻々と違う顔を見せていく
昨日と同じ「今日」が、明日もまたやってくるとは限らない。だからこそ、今を「今日」という時間を、丁寧にちゃんと過ごしたい。
家庭という場所を、
「密閉した空間」にしてはいけない。「安心し帰れる場所」にするべきなのだ。
毒親に「洗脳」され、目に見えない折の中に閉じ込められていた、私の本音。
絶縁し、1ヶ月ほどは、
「不安」「後悔」「罪悪感」が強く、何度も「謝って元の関係」に戻った方がラクなんじゃないか、と心が揺れ動き、キツかった。
やっと勇気を持って、母の顔色を伺い、週末の予定を決める事に、平日のランチに付き合う事に、我慢をするのは嫌だ、解放しれくれ、と言えたのに。
それでも揺れ動き、後悔する自分。
3ヶ月ほど過ぎれば、
自分の意志で予定を組める、夕飯の都合を突然変えられることもない、この開放感が、自由が、すっごく楽しく、だんだん罪悪感に悩むより、「2度とあの家庭」に戻りたくない、だから罪悪感に勝とう、頑張ろう、と思うようになった。
長年「喧嘩もするが仲良し親子」
だと思っていた。変わるきっかけは、やはり他の家庭と比べて、変だな?と思う気持ちが増えていった事なんだと思う。
母は心が自立できていない、だから「常に」「味方」が欲しかったんだ。私が母の話の内容が理解できる年齢になり、「聞いてくれる」味方ができ、嬉しかったのだろう。
悪口と愚痴ばかりでならなければ、母がイライラを気分次第でぶつけなければ、きっと今も、仲良し親子でいられた、かもしれない。
すごい執念だよね、刷り込み教育。
私の心に「どす黒い感情」が溜まったように、
母も心に溜めていたんだと思う。残念だけど、母と私は「似たような」家庭で成長した。
母の人生に、一人でもいいから、「ゆがみ」に気づきをくれる相手に出会えていたら、母の「今」は違うものだったのだろう。
きっと「不満」や「不安」の種類が一緒だったから、母も私も「一体」になってしまった。
卵が先か、鶏が先か。
私が先に気がついて「逃げた」だけの話。
4月になった。母と話をしなくなって丸2年が過ぎ、罪悪感は以前に比べてグッと軽くなった。
寂しさはあるけれど、「心をえぐられる」事は、もうない。
もう2度と、母に父に、私の心を土足で踏みつけ、自由を奪わせることは絶対にさせない。
解放され、自由を知った今、
心に「どす黒い感情」は溜まっていない。本来こうあるべきなんだ。
両親と同じフィールドで過ごせないけれど、だからと言って、不幸を願っているわけではない。
母も、私と同様、共依存から抜け出し、父と幸せに生きてくれていたらいいな。
私も、自分の築いた世界を、自由に楽しく生きていく、そのための覚悟の絶縁だったのだから。
by 毒親育ちmochi
-
前の記事
毒で淀んだ場所から逃げるためには 2020.03.31
-
次の記事
「解毒」するために私が頑張ったことは何か? 2020.04.02
ぽちぽちっと♡励みになります
SNS
