シン[毒親育ち|楽していこう]、どうぞお立ち寄りくださいませ
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ブログを開設したかった一番の動機
それは、万が一私が一番先に世を去った場合、
私たち家族と祖父母が疎遠に至る経過、そこに至るまでにどんな問題があり、どうして絶縁し、(私の希望する)私の死後にしか連絡を寄越さなかったのか。(よろしければこちらもどうぞ↓)
それら全てが父母(毒親あるある)目線で語られ真実がねじ曲げられる恐れ。
絶縁を決意させるほどの酷く心をえぐる言葉や暴力など虐待の数々を「きれいさっぱり」忘れ、「私のせい」で会えず「孫たちをずっと心配し見守っていた」、可哀想な祖父母を演じ、
それが孫に受け入れられたら、その後はいかに私が不義理な娘であったか、どれ程孫にも娘にも愛情(または金銭)をかけてきたか、
その類の「愚痴」「悪口」を孫たちに聞かせるであろう事が簡単に予想できるから。だからこそ遺したかった。
開設当初の投稿なので、恐る恐る綴っている感じですね(笑)
子供たちに私の目線ではあるけれど、私の体験してきた「事実」を遺したい、私が死んだら訂正すら叶わぬから。(よろしければこちらもどうぞ↓)
そして、次はやはり「毒親問題」だ。
私が生きてきた人生の殆どを、毒親に悩み苦しみ、時に痛く、時に激しく心えぐられ、それでも未成年のうちは親がいなくては生きていかれず従う日々、
では大人になったらどうだ?やはり「親だから」、この言葉に縛られ絡めとられどうしていいかわからず苦しみ、
親の希望を私が生きる、そんな歪んだ人生を歩み、違うのはわかっているし、心安らぐ家庭でもないのに、それでもなお尽くす事をやめられなかった。
SNSで救われた「私だけじゃない」。
時間こそかかってしまったが、ようやく毒親と絶縁出来、やっと自分の人生を生き始めてまだ4年目のひよっこだ。
きっと同じような境遇の人がいるであろう「かつての私」にノンフィクションを届けたかった。
自分を押し殺し親のために生きていては、いつか必ず自分に歪みが出てしまう。実際私はそうだ。
複雑性PTSD、
毒親の負の記憶がフラッシュバックすると動悸、手の震え、幼い頃の恐怖が脳内で再生されてしまうリアル。
そして脳の機能は回復せず一生薬を飲み続けるという事実。
理不尽だ。
ただでさえ毒親の感情の赴くままに育てられ、顔色を伺い、気分を察知し、世間からは「気のつく、穏やかな、頑張り屋さん」と思われ、でもそれは決して私の本質では無い。
そうやって生きてこなければ毒親家庭を生き抜けず、自然と身についた自己防衛の副産物でしかない。
自分を生きていないのだ、
親にも社会にも「自己を抑え」生きたのだ、しかしそれは必ずどこかにしわ寄せがいく。
人によっては、「過去の負」をパートナーや子供に「渡す」のだろう。
人によっては、己に「負」を向けて自らを傷つけることでバランスをとるのだろう。
いずれにしろ、毒親によって形成された「いびつな自分」、それは生きづらさをうむが、それすらも「自分が背負って」生きていかなければならない、圧倒的理不尽さ。
それに気がついて欲しい、そんな祈りを込めて「毒編」を綴っている。
もうひとつは「がん」についてだ。
私の病名、悪性腹膜中皮腫(あくせいふくまくちゅうひしゅ)とは、名前に「がん」がつかないので、余程でないと「アスベスト」「希少がん」これらに結びつきはしないだろう。
病院の先生ですら、名前は知っているが診た事がない、そんな珍しい病気なのだ。そして早ければ診断から2ヶ月ほどで世をさらねばならない、恐ろしいスピードで進行するがん。
情報が少なく、治療法もほんのわずかしかない「がん」、これらが最大にネックだ。だから私の病歴を記載している。これも少しでも参考になれば、そんな思いで。(※団体・患者・家族会等には属しておりません)
(※2020年7月1日より中皮腫にかんするブログタイトルを「楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼」とさせていただきます↓こちらです)
https://cyuhisyu.rakusiteiko.com
これらのノンフィクションを、
誰かの参考になれば、そんな自分勝手で投稿を続けております。
本日もお立ち寄りくださり、誠にありがとうございます。
by 毒親育ちmochi &中皮腫患者 mochi
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