毒親育ち、贈り物には手を焼いていた

今年のこどもの日は
手巻き寿司。夫が刻んだ生姜と胡麻の入った酢飯を作ってくれた。あっさりと美味しく、限界値まで食べてしまい、柏餅が入らなかった。
夫よ、大変美味しゅうございました。
クリスマス、年末年始、バレンタイン、ひなまつり、ホワイトデー、お彼岸、父の誕生日、子供の日、母の日、母の誕生日、父の日、
このイベントを全て実家で祝っていた。食事を母が用意するので、私はスイーツ担当。
そしてプレゼントは値段がわかる「母の納得する」ものを用意しないと、空気が重くなるので、年の内の3ヶ月程はプレゼント選びに費やしていたと言っても過言ではない。
母の誕生日に、
普段にさらりと羽織れる肌触りの良いリネンのブラウスを渡したことがある。がんに罹患した後ね。
「この前くれたブラウスあるじゃない?あれ私着ないから返すわ」と言われたときは、え?最後のプレゼントかもしれない、なんて気持ちにはならないんだ、とポカンとしてしまった。
毒親の、いや毒母の
「値段」への執着は、多岐にわたっていたけれど。
それこそお香典やお年玉のやり取りの差額やら、母よりも高い品を父へ渡してはいけないやら、そもそも額を安く済ましてはならない、これは暗黙の掟。
花と甘い物が大好きな母なので、おりに触れ(いやほぼ日)花かスイーツを忘れずに。
買ってくるのが当たり前、
でも買ってきたものが安いとムッとする。とにかく実家へ手ぶらで行くのはまずいのだ。「何も買ってこなくていいからね」を間に受けると地雷を踏むので要注意。
頻繁に実家に行ってたから、花かスイーツもしくはフルーツ。ええ、毎度持参しておりました。
毎晩、甘い物か果物を
お腹パンパンの上に更に食べる事がなくなった。
母はお腹いっぱいで入らない、というと「じゃあなんで買ってくるのよ」とムッとする、
用意されたご飯を残してもムッとするから、気分はフードファイト!
ここだけの話、実家でご飯を食べなくなってから、何も努力せず3キロ痩せました♡
そして大発見。
私は甘い物が好きなんだと思っていたのに、そうではなかった事。夫が会社内で配られる、手土産のお菓子で、私の好きなお店の時は、食べず持ち帰ってくれる。
好きなお菓子、丁寧にコーヒーをドリップして戴くけれど、自分で買うことがなくなった。そう、知らなかったけど、私はスイーツ女子ではなかったようだ。
母はお金に関して、
ギブした分のテイクを求めていたけれど、その気持ちが生まれるのは、なぜ何だろう?
ケチだから?損したと思いたくないから?うん、よーわからん。
子供がバイト代やお小遣いで
選んでくれたプレゼント。その気持ちだけで胸いっぱいの幸せだ。
でもってなるべく安い物、いや物など無くていい、その分自分たちの好きなもののために使ってくれ。
子供たちは生粋の沼育ち。沼は深い、野口も大事!いざに備て貯めておけ、推しの発表は突然くるぞ。
気持ちだけ、それだけで他は何もいらない。
だから、なぜ母が「返す」と
言ったのか、私なら相手が傷つく事くらい想像できるので言わないから、さっぱーり、わからん。
結局その後プチ疎遠やら、大疎遠やら、大波小波で結局戻ってはこなかったリネンのブラウス、母の手元にあるのかどうかはわからない。
まあ、とにかく毒親の、とくに毒母のプレゼントという名のお布施に手を焼いていたので、解放され本当に気が楽になった。
過去を恨んでも
何の得にもならない。過去の経験を未来へ活かすべきだろう。
毒親の呪縛から解き放たれて、自分の意思で考え行動するようになり、改めて「贈り物」とは素敵なイベントだなと思った。
沼で例えるなら、
推しの好みを探り、これだ!と思う「贈り物」をすると想像しよう。
推しが、満面の笑みで「ありがとう」と笑ってくれるのだ。もう、それだけで昇天してしまわないか?私は昇天する自信しかない。
くらっと立ちくらむほど眩しく、ありがたいお言葉だ。その上、推しが「贈り物」を身に付けてくれるのだ。想像したら、たまらないでしょう?やばいよね?
そう「贈り物」とは、
大好きな相手に「心」を「送る」素敵なイベント。送った私自身が「幸せ」になれる、そしてその幸せを知っているからこそ、
プレゼントをしよう、そう想ってくれるその事実だけで幸せ。
子供たちが、良い意味で
「遠慮せず」これが欲しい、と希望を伝えてくるのは心がほんわかする。私は買ってもらう事が負担だったから。
うん、よいよ。私からしたら夫も子供たちも立派に「推し」だ。
私は沼育ち、推しは推せるときに推せ。これ大事。
さぁ、明日も「今日」を大切に生きるよ。
by 毒親育ちmochi
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