毒親から離れる為に流す血は、解毒の一度きり

毒親から離れる為に流す血は、解毒の一度きり

毒親の心ない一言に、

何度も、何度も、浴びせられた、酷く醜い言葉たち。それはあげればキリがなく、いつまでも、いくらでも、溢れるように晒すことは可能。

でも、並べる作業は、なるべくなら避けたいとは思っている。十分さらけ出しているかもしれないけれど(笑)。

全てをさらけ出す事が、良いのか悪いのか、自分で線引きが曖昧なうちは、世に放ってはいけないような気がしている。

毒親のように、醜くひどい言葉を並べ立てることが、私の綴りたいことではない。(よろしければこちらもご覧ください↓)

アスベストと中皮腫と抗がん剤の種類

私が自らを「毒親育ち」そして「中皮腫患者」

と呼ぶのは、やはりどちらも根っこの「心の痛み」は繋がっていると考えているからだ。

中皮腫、悪性腹膜中皮腫、病気の治療に関して、これは私にはもちろん出来る事など、何もない。

患者だからこそ、

いやちがうな。告知の衝撃、そして先の人生の事、がん患者だからこそ解る「痛み」「不安」「焦燥」

患者としての私の病との向き合い方、そして心に抱える不安と焦り。

毒親家庭に育ち、

もがき苦しみ、それでも親を裏切ることなど、あってはならないと自らに枷をはめ、結果心身を痛めつけることになった、後悔

毒親から絶縁してもなお、心に抱える罪悪感という「痛み」。

2つの「痛み」を「複雑性PTSD」の阻害薬が私の脳を休めてくれている。

心身の「痛み」、

怪我ではないから外見からは気がつかない

そして「親」を大切にしない「駄々っ子」のように「未熟」な大人、と諭されてしまう毒親との絶縁という事実

この理不尽さ、乗り越えたはず、多分。

それでもたまに、「昔の話でしょ?いいかげん許してあげなよ、親なんだから」等という言葉を聞くと、フワッと威嚇する猫のように私の何かが「殺気立つ」

心の中で叫んでしまう。

何もわかってないからそんなこと言えるのだ。同じ境遇で20年過ごしてみてからもう一度言ってくれないかなぁ、なんで親が歳だと許してあげないといけないの?

いけない、心の「黒い闇」がブワッと溢れ出そうで、たまらなく不快な気持ちになる

落ち着け、そうだ、

今、目の前にいる人が私の親なわけではない。そして、私の解毒を理解してくれない人は私の人生に必要?

うん、脳内での会議は済んだ。大丈夫、自分で取捨選択する「権利」があるんだ。仕事の付き合いじゃない、自分の心身の声に正直になるんだ

我慢は今までの人生で、

いやってほどしてきた。何ならずっと、ずっと。

だから我慢はしない。嫌な人と会わない自由があるのだ。それを決めるのは自分でいい、相手の顔色を伺い己を殺す必要はない

洗脳された期間が長いほど、

解毒に時間がかかることは、自分の心身で答えが出ている

だからこそ、どこかにいるだろう「かつての私」に叫んでいる気がしてならない。

早く逃げるんだ、早ければ早いほど、自由に生きる時間が増える、時間は有限、だから早く気付け!「負」のバトンを渡さないでくれ、と。

綺麗事かもしれない。

私一人が、マンションの一室から叫んでも、それは「世界の中心」にすらほど遠いことも理解している(笑)。

でも、私もSNSの海で、

自分が一人で泳げるよう、必要な情報を集め、学び、励まされ、「一人じゃない」と、救われた

情報の海から、自分の聞きたいこと知りたいことだけを集めて繋げればいい。増えれば、取捨するだろう、何度も取捨選択し、やがて一塊になる頃には、

きっと自分が「生きたい人生」がぼんやりとでも浮かんでくるはずだ。そのぼんやりした明かりを頼りに、頑張って洗脳から抜け出すのだ

毒親のそばにいても、

傷が癒える前に新たな傷に血を流す。ならば、毒親から離れる「自分」のために、新たな血を流してでも、自由になるのはどうかな?

毒親のそばにいたら永遠に治らない「傷」。

離れれば、やがて血は止まり傷は癒えてくる。

同じ痛みなら、続くよりとどめを刺すのが正解だ

by 毒親育ち&中皮腫患者 mochi