望みは一つ、離れましょう。

望みは一つ、離れましょう。

いとこと電話をしていた

彼女はブログの存在も知っているし、毒母の兄の子供なので、似たような家庭環境で育ってきて、祖母の性格も、互いの家庭事情も昔から知っている、貴重な話し相手。

彼女はある日突然発作を起こし、様々経て、今は療養しながら生活をしている。根っこの闇が同じ私たち。

彼女が聞いてきた。

mochiちゃんが入院したら、おばちゃん(毒母)に連絡しないわけにはいかないでしょ?と。

夫にお願いしていることがある。

私が入院しても、死んでも、知らせないで欲しい。知らせるとしても、骨になってからがいい、できれば散骨してもらいたい、

夫からしたら、とんでもなく迷惑なミッションを、半ば強引に命じている。

毒親の事を「理解」はしている。

だが「許す」ことは、きっと一生出来ないと思っている。

わからないよ?人間どこで、気持ちが変わるか、もしくは毒親が変わるかもしれないし、

何かきっかけがあるかもしれない。だから絶対ではないけれど、

毒母と「会う」、想像しただけで心に奈落が広がる。拒絶、恐怖、近寄りたくない。

怒りも、恨みも、ない。謝ってほしいわけでもない。(よろしければこちらもご覧ください↓)

複雑性PTSDという病名

望みは一つ、離れましょう。

一緒に暮らすことは出来ない、だから離れ、それぞれの場所で、それぞれが幸せに生きれるように、距離を置きましょう

浴びてきた、人格をえぐるような否定的な言葉、罵詈雑言の数々。どうしても母を思い浮かべるだけで、フラッシュバックが起きる

心に、脳の記憶に、深く深く刻まれた「傷」

どうしても無理なのだ。

ひとたび限界を突破し、崩壊寸前になった心は、限界以前に戻ることはできないようだ。

だから私にできることは、「負」のバトンを子供に渡さないこと。大切な人を守ること。自分の心身の声に正直に生きること。そして、父と母の幸せを遠くで願うこと。

これ以上の課題、毒親との復縁、

これはこなせないし、こなすつもりはない

全てを尽くしてきた結果が、押し込めた恐怖心だった。だから近寄れば、恐怖の記憶がフラッシュバックするから、できない。

毒親の事情について察するから「理解」はした

傷つきえぐられた言葉の数々を

忘れること」ができない。思い出さず、平穏に生きることはできるが、それは毒親と関わらないことが絶対条件

「許す=思い出さない」こと

だと思っている。許すことは、再び同じ問題をほじくり返さず、綺麗さっぱり忘れ去ること

自分に何度も聞いた。綺麗さっぱりなかったことにできる?やはり答えは「NO」だ。

毒母の罵詈雑言も、

毒父の暴力も、毒兄の逃げも、綺麗さっぱり忘れ、再び「何事もなかった」かのように「家族」に戻ることは、どうやって考えても「無理」だ。

残念ながら、私にそんな勇気はない。

次の「再び」をしてしまったら、確実に私の心が根をあげてしまう。少なくとも再びは「今」のタイミングでは、全くもって不可。

今の気持ちを正直に書くと、死ぬまで一生母に会いたくない。ごめんね、最期は静かにむかえたいの。ひどい娘だよね多分、きっと親不孝なんだろう。

そして、夫よ。

無理難題なミッションを勝手に押し付け、しかも返事は頂かないスタイルの、無謀な妻ですまない。

4月12日の前後はいつも、

心身がきつい。

でも、毒親と一緒にいた時のあの「淀んだ世界」の辛さはない。ひっそり自分の心の負荷を取り除く作業を淡々と行うだけ。

誰も私を責めも、罵りもしない。安全な場所で、傷を癒している。

絶縁後、確実に消え去ったのは「漠然とした不安感」「母の機嫌への不安」。これ、毒親育ちの人にはピンとくるんじゃないかな。

これが無くなっただけで、心がずっと軽くなったよ。

by 毒親育ちmochi