毒親との終わらないループを切った話

毒親との終わらないループを切った話

毒親育ちなんだなぁ、

そう感じる日もあるけれど、でもやっぱり実家という家族から離れた事正解だったと実感する日の方が遥かに多くて、あの時頑張った「私えらい」と褒めてあげています。

永遠に終わらない負のループをぶった切り、親子の縁を切った私。

母の言う血の繋がりなど、心が繋がっていなければ、いくら持ち出したところであっさり切れてしまうものなのだ。

でもね「親」なのだ。

生まれて初めて本能のまま身を任せ命を預けた相手、辛い日々もあったけど、でも抱きしめてもらった温もりがなかったわけじゃない。不安な私の背中を押してくれた事だってもちろん覚えている。

確かに「親子の愛」は存在した。それは確か

愛された記憶も、守られている安心感も、心細さを受け止めてもらった事もちゃんと覚えている。その時私は確かに親の愛を、母の愛を感じていた。

だからこそ辛いのだ。

これは機能不全家族に育った人にはわかる感情だろうか。

重い愛と、激しい折檻

この落差が大き過ぎて愛されているはずなのにその愛が辛い

母がそうだった。

怒る時は寂しい時、娘よ私を一人にする気?そんな本心が聞こえてくるから辛かった。怒られ傷ついているのは私ではなく、私が母を裏切り傷つけている錯覚に陥るから。

母に捨てられるんじゃないか身に覚えのある感情が、不安焦り圧倒的な悲しみが聞こえる気がして、母に冷たくできない「私」になり母に従ってしまう

母は私が「独り立ち」する事が

寂しかった、本当は「寂しいからたまには私ともランチしよう?」そんな可愛らしい提案をしてくれる母であったら、私は喜んで休みを作り母と出かけただろう。

だけど母は「寂しさ」を燃料に「怒りで支配」し、私を止まらせる方法をとったのだ。

でもね、いつまでも心が母子一体であることは不可能、だって私も母親になったから。今度は私が守るべき人ができたから、寂しいだろうけど優先順位は我が子でありたかったし、そうさせて欲しかった。

母の感じている孤独とは

きっと心の自立ができていないから、誰かに常に寄りかかって依存しあって生きること母の幸せだから。

自分で決めたことを「うん、私もそう思う」と認めてほしいから。

失敗した時「あなたも良いといったじゃない」と責任を折半できるから

だから常に自分の心に「依存相手」が共存していないと寂しさと不安で参ってしまう

そして寂しさを怒りに変換する負のループ。

私がそうだったから良くわかる、

だって母から「都合の悪い時だけ頼るな、子供といえども甘えるな」そう言われて怖かった、だから母に寄りかかって生るべき、それが正解だと信じてた。そうしないと文字通り「私は一人で生きてはいけない」から。

子供を一番に考える私、これが母にとって不安だったのだろう、いつまでも「私の言いなりの娘」ではなくなり「独り立ち」してしまう事が、私の心が母から離れ、子供へ向かってしまう事が、母は怖かったのだ

だから「知ってる寂しさ」を

母が発している事無視出来ず、かといって自我を完全になくす事も出来ず、どっちつかずで苦しかった

母の心を満足させれば、私の心が傷を負う。逆も同じ。

だから離れてよかったんだと思う。無理にでも剥がさなければ、母はずっと「私」が不在の場所を一人で埋められないままだっただろう。

そして無理に剥がしたから、私もん切りが付いた

本当に「言葉」は大切で、

言い方一つ永遠の別れになってしまう

母から言われた「老後がなくなったのね」と言う言葉、確かに本当にそう思ったからこそ口をついて出た言葉だろう。でも本心は年老いた母の側私がいない」事実が一番ショックで、きっと母も傷ついたのだと思う

だからこそ娘である私の「ショックを受けている今」を想像して言葉を選んで欲しかった、少なくとも第一声くらいは「私を心配する言葉」をかけて欲しかった。

けれどそれが出来ないからこそ毒親であり、毒母なのだ。

だからいくら相手の気持ちを

想像したところで、何かが変わるわけではなく母と私の「行き場所の定まらない傷」は永遠にループするだけ。

どちらかが我慢をして付き合い続けるか、ループをぶった切るか、それしか終わらせる方法はもう残っていない程に私は煮詰まっていた

癌患者なのだ、当然残りの時間のため「ループをぶった切る」方を選択したまでだ。

絶縁から4年目、

癌の手術から9回目の夏が来る。

父にも母にも兄にも、一生会いたくないし、顔を見る以前に声すらも聞きたくない。それほどに私の心の整理はついてナギの状態だ。

あとはフラッシュバックを手懐けられたらいいな、くらいで親への割り切れないモヤモヤ一切なくなった

母もきっと私のいない寂しさに慣れたと思いたい。そうであってほしいと。

生まれたのは「機能不全家族」であったけど

それでも不幸一色な日々ではなかった

けれど幸多き日々ではなかった

「私抜き」で幸せに生きていってほしいだけ

by毒親育ちmochi