毒親の記憶に再び傷つくのはごめんだ

機能不全家族、毒親育ちの
自分の過去をつらつらと綴っているが、この作業は決して過去を未だ「根に持ち」「親を恨んでいる」という現在進行形の気持ちを吐き出しているわけではない。
「毒親と絶縁し自由を手に入れた」事実と、なぜ親を毒親と認識するに至ったか記憶の整理整頓がしたいのだ。
毒親だと認識するまで、
窮屈に思う日も絶望を感じる日もあるが、それでも親子の仲はいい方だと思っていた洗脳による誤った記憶。私が本当は感じていた黒い思いを、記憶を、正したい。
毒親による「許しと暴力(飴と鞭)」の支配により、「親に問題がある」のではなく「自分が悪い」と洗脳され共依存関係にあった事。
フラッシュバックで蘇る「過去の黒い記憶」をなかった事と思い込ませ再び封印してしまったら、いずれまた黒い感情はふらりと立ち上がる。
ならばきちんと「自分の脳」に「過去にあった事実」とちゃんと認めさせた上で、「不要な思い出」として処理をしたい。
過去を今もなお引きずり、
怒りをぶちまけたいわけではなく、自分が育った家庭が「毒」に支配され、心を歪め、苦痛を感じ、不満をため、爆発してしまいそうな自我を抑えきれず、親と言い争い、時に言葉で拳で叩きのめされた、
そんな家庭で生きた過去が私にはある、それをちゃんと自分が認めなくては先へ進めない気がするから。
せっせとパンドラの箱に詰めていた、肉体的・精神的苦痛の数々。箱が開いた時、自我は崩れるかと思うほどの衝撃が脳を襲った。心よりもっと直接的に訴えかけてきた「圧倒的な負」。
無理やりこじ開けられた過去の
肉体的虐待、性的虐待、そして一番辛っかた「言葉の暴力」の苦痛の記憶。忘れ去っていた「思い出しちゃいけない記憶」が一気に飛び出し、私の脳を書き換えてしまった。
思い出してしまった以上、知らなかった日々には戻れない。
心療内科で複雑性PTSDの治療を受けているおかげか、第一派の衝撃はだいぶ緩和された。記憶が蘇っても「忌まわしい記憶」として「戻す棚」はわかっている感じ。
それで終わりと思っていたけど、
二派はやってくるのだ。気配を殺し前触れもなく唐突に。
おでこに埋められた機械が再び動き始める音がする、だめだ黒い感情に飲み込まれてしまう。
泣きたくなってくる、この苦しみは一体いつまで続くのだろうと…
でも過ぎ去った過去に負けたくはない。
毒親によって苦しめられ、それでも毒親は私の謝罪を待っているのだ。そんな相手によって傷つけられた「過去」に再び傷つき奈落へ落ちるなど絶対に嫌だ。
私は毒親から離れ
幸せを感じて生きられるようになった。
毒母の毒父の「怒りのコントロールのできないあほさ」から解放され、自由に息を吸い、自由を楽しみ、やっと「私の世界」に寄り添ってくれる人たちを大切に、毒親の目を気にせず堂々と愛を伝えることができるようになったのだ。
だからフラッシュバックも一つ一つ叩き潰したい。毒親の洗脳により人生を支配されてきた過去は一切「不要な記憶」だから、迷いなく焼滅しつくしたい。
許すことはできない、そして許そうとしなくていいと思っている。一生ね。
毒親と毒兄の存在を
私の中から消し去りたいだけ、4年目ともなると存在はうっすい、ペラペラだ。
だけどフラッシュバックはどうしようもなく顔を出す。ぽやっと空を眺めうたた寝をした夢の中で、ふと手に取った食器の感触で、見慣れた街の一角で。
まったく厄介な亡霊だ、でも絶望して生きていた「あの家」の私はもういない。だって亡霊なんだから実態はない。
どうか私よ安心しておくれ
もう大丈夫
私は今安全な場所にいるのだから
楽しさは作れると知ったじゃないか
幸せは増えることがわかったじゃないか
だから大丈夫
by毒親育ちmochi
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