絶縁は心の断捨離、思考回路が変わったよ

毒親と絶縁して4年目、心の断捨離だった
母の傍若無人ぶりは予測がつかず、墓守として孫(私の子供)を養子にしたいなど、なかなかな角度から理不尽かつこれが正しいという自信に満ちた無理難題を私に押し付け、我を通そうしては、度々大きな喧嘩に発展し「冷却期間」を設け、私が許すという不毛なプチ絶縁は何度かあった。
だが決定的だったのは、「もう絶対に無理」なことを母が電話で提案してきて、私が怒りに震えNOと言った事。
自分の筋書き通りの返事が私から引き出せないイライラにとうとう怒鳴り話の途中で母から電話を切った事が、親への気持ちを完全に冷めさせた。
「あーもー、親に無理やり自分を合わせるのをやめた!やーめた!」である。
毒親と絶縁して思考回路が変わった
一番は、母からの電話にあまりにも深く傷ついた日から全くと言っていいくらい眠れなくなり、心療内科へ行ったから。もともと「何か」があるんだろう「発作」だったとわかる症状はあったから。
先生から複雑性PTSDと診断されて納得したのと、阻害薬がかなり私の脳を落ち着かせてくれたこと。
これにより、私が母に寄り添わないからダメなんではなく、母が自分の気持ちのみを優先し、それが叶わないと精神的ダメージを与え制裁を下していたのだと仕組みが理解するできたから。愛ではなくてワガママと気がついか事。
なんだ、ただのわがままな人に振り回されてただけだったじゃん。である。
腰が抜けるくらい簡単な問題だった
難しくさせていたのは相手が「親」という「血縁者」だったこと。
以前にも書いたが、母は異常なまでにお墓参りが好きだ。そして先祖代々の土地を守る、苗字を守る、これに並々ならぬこだわりを持っている。
そして私はお墓参りが嫌い。理由は母に何度か伝えたが、理解をしてもらえないまま絶縁した。まぁ、理解してもらえていないのはお墓だけじゃないけどね。
毒親、私は毒母が強いかな
理不尽な要求を突きつけるのはいつも母だった。母のヘンテコな(本人は真っ当と思っている)自己都合を強要し、私が難色を示すと父が拳でYESと無理やり言わせ、母が納得するという構図だったからね。
ヘンテコな自己都合とは、親が一番偉いこと、世間への見栄、親戚や近所への家族仲良いんですよアピール、ざっくりわけるとこれだった。
誰も気にして無いことにこだわり、苗字を継がせ墓守をさせたくて孫を養子にしたいという考え方に辟易していた。
私は共依存関係にあったから
一度は母の申し出を断っても、やっぱり最後は母の希望通りに行動していた。根本は私の心が自立しておらず「あんた一人で生きていくのは無理よ」と呪いの言葉にかけられ無理と諦めていたから。
絶縁してみると、いかに父も母も心が幼いかがよくわかった。「親」として「子供を下」に見るという「親が威張って当然」と親にとって都合の良い立ち位置を手放す自信がなかったのだ。
子供たちと私は対等であるべき。だって人生の選択を迫られた時「私」が選ぶなんておかしいよ。それで失敗した親子をみてきているしね。
一人娘だから婿に入らなければ
結婚させない、そう数年揉めて婿にとった友達は旦那さんへの申し訳なさと父親への反発心から子供を生まない選択をした。お父様は男の孫を産んで苗字を継がせたかった。
散々嫁いびりをした孫命の姑さん、自分勝手なご主人と離婚後、孫は母親をいじめる祖母に会いたく無いといい、離婚後一度も会えていない。
勉強を姉妹で比べて育て、社会人になって一人は家を飛び出し結婚、一人は引きこもり。その後離婚したが娘である友人は一度も実家へ帰っていない。
先の先までルートを考えすぎるのが
まず間違っている。この世に生まれ生きるとは、たとえ家族がいようとも「一人」で生きるしかない。だから親にできることは、子供が決めた道を応援し、間違いだったと軌道修正した時は、またがんばれいい、応援しているよ困った時は頼っておいで「家族なんだから遠慮するなよ」と。
「家族なんだから」という言葉はこう使うのが正しいのだよ。
決して親の意向に沿わせるための脅しで使ってはいけない。それに気がつけない私の両親は、一体どんな人生経験を積んでその思考に固まったのだろう。
私は常々父の「言葉だけ立派」な
行動を伴わないセリフを心の中でくだらねーと思ってた。
母のヘンテコで世間知らずな発想(主に見栄を張りたい時発動)と押しつけに、うんざりし、何なら土日しか無い休日を当然のように使わせ恩を売る母が嫌いだった。
だって二人とも「自分のこと」しか考えていないんだもん。
そんな人に時間を割いても楽しい時間が過ごせるわけもなく、私の貴重な時間を搾取されていただけ。
負の部分を先に見る癖がつくと
世の中は不満が転がっている
輝の部分を先に見る癖がつくと、世の中案外悪く無い
人は一人で生まれ一人で死ぬって言うでしょ
その意味をちゃんと両親が理解をしていたら
子供を支配し手元に置いておきたいなんて
ヤバイ発想にはなってないと思うのよ
私は昔から本を読むのが好きで、
本から色んな思考回路の知識はあったから母のように凝り固まった主張もなく、父の「口だけ」なケース学んでいたので、くだらないなーって思ってた。
両親への反発の増加は、子供の成長と比例していた。
過去両親に指図された、進路や友人や帰宅時間や休日の過ごし方等について、嫌味を言うやら出かける罪悪感を押し付ける等、心理的圧迫による誘導をされていた事。
子供と同じ年齢の私の過去が都度思い出される度に、過去の私の理不尽で不満だった本音が蘇っていくのだった。
私は母のような心理的圧を「自分の子供たちにかけたい」と全く思わない事。親が偉いと威圧したいと思ったことがない事。それもまた母と父への「不満」という形になって遅い反抗期がやってきたのかもしれない。
少なくとも、「親に感謝しろ」と怒鳴るなどカッコ悪くて言えない(笑)。
もっと根本の「人として」「大人として」
そして「親として」どうなのよ?
この疑問が子供が成長する速度に合わせて大きくなり、そしてあの人たちは間違っていた、そう確信に至るまでになっていった先が絶縁だ。
だから今は、誰に気兼ねすることもなく(大抵は母だったけど)、子供が可愛い事を堂々と叫べるし、母の急な誘いとバッディングする事なく友と会えるし(今は休止中だけど)、なんといっても友は弱音を吐いても愚痴を言わない。
自分の意見を押し付けず、私の話も聞いてくれ、自分の話もしてくれる。いたって健全な人間関係を築けている。これがきっと「大人」というのだろうと私は思っている。
シンプルに考えシンプルに行動できるようになるために必要な問題解決事案だったのだ。
絶縁は、心の断捨離だったのかもしれない
考え方がとてもスッキリしたよ
by毒親育ちmochi
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