毒について語る夜もあるって話

毒について語る夜もあるって話

私は毒親育ちの癌患者

奇跡の9回目の夏がやってきておりますよーん♪リビングも楽しくてウキウキですし。(よろしければご覧くださいませ→■

自分の思考だけでは煮詰まる夜もある、楽しい会話は脳がリラックスするのかな?頭の中にポンポン楽しい案が浮かんできて実行したくてワクワクが増える。

私は毒親育ちで癌患者。余命2年と言われたけれど、9年目を生きている希少がんサバイバーでもある。

だから子供①が大学生になった姿も、子供②が大学進学を希望し勉強する姿も、こうして見る事が出来て本当に、本当に、しみじみ嬉しい

私は2012年のがん告知から2年、子供たちが大きくなった時「好きな道を選んでてほしいな」と祈る思いで接してきた。

これだって親の押し付けなんだろう

どう接しようが、親の意向を子供は汲み取るわけで、大切なのは後悔した時に「大丈夫だよ」とそっと背中をさする手なのかもしれない。

自由に生きて、好きな様に生きなさい。

言葉にするのは誰にだってできる。少なくとも私は自由に生きろと勧められるよりも、失敗した時や傷ついた時、大丈夫だよと慰めて欲しかった。ほら見たことか、そう言われる事が、失敗した事実よりも辛かった。まるで世界に誰一人味方いないかのような孤独感

幼い頃から馴染みのある孤独感を子供たちに持たせないようにするにはどうすればいい言葉だけ立派行動を伴わない毒親に育った私にはわからなかった。

でもね答えは案外、自分にあった

あれこれ言葉で伝えるよりも、もっとも簡単でそして説得力のある方法

私が私の人生を好きに生きればいい。自由に生きる親の姿を見た子供が「あぁ、親の人生を気にかけなくていいんだ」と肌で感じ、自分の事だけ安心して専念できる環境であればいい。自分の過去を振り返ればわかることだったのにね(笑)。

母が私の時間を奪うたび、父と一緒に出かければいいのに、両親が喧嘩するたび、夫婦仲がよかったらな、兄が私に「お前はいいよな親に気に入られて」と憎しみを向けるたび、兄と私をくらべないければいいのに、と思っていたこと。

無理をすれば何処かにしわ寄せが来る、簡単な理屈。

母は理想ありきの人だった

家族は仲良くあるべき、仲の良い賢い子供たち、ちょっと優雅な世界を知っている自分、母思いの子供たち、妻思いの優しい夫、

そして何より一番大切なのは「みんなが母を大好きである」ということ。

私はみんなから愛されるべき存在、だから大切にされて当然、これが母の理想の姿であり、その理想に家族全員が努力して合わせるべきだ、この生き方を貫いてきた。

だからこそ現実を見る力圧倒的なまでに非力で、母は自分に都合の悪い現実は「なかった事」にし、私を含め家族全員母の暴君ぶりを許してきたのだから、母がこれが正しいのだと思っても致しかたなかったのかもしれない。

喧嘩の仕方を知っていても、仲直りの仕方を知らない人、これが母だった。

毒親である母の優先順位は常に「母」

娘が癌患者となり母より先に死ぬ可能性を突きつけられた時、全ての現実から母は「逃げた」

癌の告知日、私は一人希少がんに罹患した事実を受け止める事になった。

卵巣のう腫術の執刀医が「顔つきが悪い細胞」がお腹の中に無数に散らばっている、それも病理に出しました、結果を4月12日に一緒にお伝えします、とお見舞いに来た時に母に伝えたそうだ。

せめて夫に伝えてくれていれば、彼は付き添っただろう。けれど母親が一人で情報を抱え「なかった事」にしたから、あの日私は、人生一の衝撃を一人受け止める事になった。そうなっても構わない、そう母が判断した事が、さらに私の心をえぐった

その後もそうだ、術後経過観察中、気になる影があると、再検査をその日に受けた。結果を待つ2時間程の間に、またもや母は「逃げ帰った」

仲良し親子だと思い込んでいた、

母は一番の私の味方だと信じてた。

本音を話せるのは家族だけ、本当に困った時頼れるのは家族だけ、だから家族は大切にするべきと。それは長年母が洗脳をした賜物なだけだった。

本当に?と疑ってしまう数々の毒親の言動、でも「親だから」という言葉で飲み込んで生きてきた。

もし自分が癌でなかったら、もしかしたら母を選び、家族が崩壊した今を生きていたかもしれない、洗脳という怖さ

喧嘩もするけど、気も使うけど、

でも喜ぶ顔を見るとほっとする自分。母が喜んでくれると私の一部分が満たされる。だから私は母を好きなのだと思っていた。同様に母も私を好きなんだと。

でもね、流石に娘が癌の可能性があると事前に知っていて、一人で病院へ行かせた母を、以前と変わらずに受け入れられるか?と問われたら無理としか答えられない

私も母親だから尚更にね。辛いこと苦しいこと痛いこと悲しいこと、私が代われるものなら代わってあげたいもの。私だったら到底一人で病院には向かわせられない、無理。それが出来てしまうから毒母なのだ。

可哀想な私、そう思っても許されるんじゃないかな、って自分を褒めてあげてる。甘えていいよ、のびのびするんだよ、ってセルフカウンセリング的な?

母自身、うまくいかない事にぶち当たり

辛い思いもしているだろう。父もきっと孫に会いたいに違いない。だけどね、双方が気兼ねなく風通しの良い関係を構築するには、解決しなくてはいけない問題ばかりなのだ。

自身に都合よく解釈し、自分の言動が正しいと、認知の歪みの中で生きているから、毒父が私に向けて孫に会いたいと言ったところでブーメラン、毒母が家族仲良く優雅なランチに行きましょう、と誘ったところでブーメラン。

もはや全てがブーメラン(笑)

夫や子供に望むものは、自分を楽しく生きてね、なの。

もうね、暗くて痛くて悲しい事はお腹いっぱい、もういらない。

楽しい話と笑顔があればそれだけでいい。

私にできることは一つだけ。

私は私の人生を謳歌する。

うん、これだけだ。

by毒親育ちmochi