いつだってキーマンは毒持ちなのだ

いつだってキーマンは毒持ちなのだ

キーマンは毒持ち、これ本当

私の約半世紀の物語を綴ってきた。だがそれは「毒家族」との関係に葛藤してきた話でもある。(よろしければこちらを●

毒親による独断と偏見に満ち溢れた「一般常識」を、「普通」と誤認しながら生き、恥ずかしい思いや、他者からの言葉に傷ついたり、傷つけたりしては、

どうしてうまく行かないのだろう、どうして理解してくれないのだろう?「どうして…どうして…」という私自身の心に翻弄された半世紀でもあるのだ。

そしてこれは今もなお続いている。

毒親と絶縁をした2017年、私は複雑性PTSDと診断された。それから今日まで治療を続けている。私に残された心身の傷は「阻害薬をずっと飲み続ける」事で和らいでいる。

あの日、病院に行って本当によかった。

心療内科や精神科に対し、毒父も毒母も、偏見の塊の典型な人である。

「過去の子育ての結果により『トラウマ』に苦しみ、取り除くには『毒家族と絶縁しかない』と、今更子育ても終わった40過ぎの娘に言われても…一体お前は何を誰に吹き込まれたのか?」

といった具合である。

そもそも私の苦しみを理解できない

今更なんで?意味不明、理解不能といったところ。毒親はその価値観で80年という年月を過ごしてきた人だからね。

心療内科など、心の弱い人の言い訳のための病院だ、診断書などお金を払えば好きなように書いてくれる、と言った偏見しか持ち合わせていないので仕方がない(笑)。

それでもいい、だって私は確実に「阻害薬」で救われたのだ。その事実を私が知っていればそれでいい

私は絶縁前より、遥かに「生きやすく」なった。これも私が知ってさえいれば良い事。

でもね、すごいんだよ、

毒親と絶縁をし、治療を続けている今、明らかに「心が健康」なの。不思議だけど本当にね。

毒母の態度が気になり眠れぬ不安な夜も、毒父の怒鳴る車内の苛々も、毒兄と顔を合わせようと強要する毒親も、毒兄に対する嫌悪も、

これら全てが、絶縁した今、私の人生に新たに入り込んでこない素晴らしさ!不安と焦り、胃の痛み、寂しくて眠れない夜が、格段と減ったのだ。

フラバに翻弄される夜あるけれど、でも新たな「嫌な思い出」が増えないのが救いだ。それだって私にとっては素晴らしい世界なんだ。

心の傷の痛みや深さについては

「本人」にしかわからない。

けれど心に痛みを負った事実に「寄り添う事」はできると思う。毒親になかったのは、この違いだろう。

だから私が決死の覚悟で「事実を打ち明けた兄による性暴力」は、「今更」言われたって困るのだろう。だからこそ「水に流せ」という楽な「解決案」しか私に言えないのだ。

だって痛みに寄り添いうのは「娘である私」の役目であって、優しくされるべきは「年老いた両親」なのだ。彼らは子育ては終わったと思っているから、何を今更なのだろう。

愛情で繋がって、思いやりや優しさ、温もりのある家族だったら私も年老いた両親に「絶縁」なんて仕打ちはしてなどいない。当たり前だ。

そうじゃないから、考えに考え苦しんだのだし、フラッシュバックと戦わなければならない人生なのだ。

他人はいとも簡単に言う

「親なんだから許してあげたら?」「あなたからの連絡を待っているわよ」とね。

この言葉に苦しむ人がいる、これを知らないのだなぁこの他人は、と思う。

まぁ、世間話的には面倒だから「親と普通の付き合い」をしてる体で話を合わせて終わらせてしまうけど。理解できない人と話し合うのは無駄なの事なのでね、さぱーと、ほわーとね、流してます。

毒親育ちの私の悲しい必死さ

とにかく「負の連鎖」を止めたくて、子どもに同じ思いをさせたくなくて、何が正解かわからないけれど、必死に情報をインプットして子どもと向き合って生きてきた。

答えは子どもたちがいつか自身で出す。だから答えを私は知らないままなのだろう。きっとそういうものなんだと思っている。

先週、子ども①が寮へと戻っていった。私が母でよかったと屈託のない笑顔で肩に手を置き言った。今週子ども②が一つ試験を終えて帰宅した。ハグされた「ありがとう」と。

二人とも大きくなったね。こんな母なのに、こちらこそありがとう。(本当は幸せすぎて100回くらい夫に自慢したけど)

これを愛と呼ぶのかな、

温かい気持ちがぽこぽこ湧き上がり、この幸せを子どもたちにお返ししたい、嬉しすぎて泣けてくる。

本当に、本当に、ありがとう。

ここにくるまで、夫と子どもと私の四人の家族が、愛と温もりと優しさだけで過ごせてきたわけではない。リアルはやはりそんなに上手くは行かないのだ

だって私は毒親育ちなのだ、

当然私の中にも毒が居座っていた、それに気がつけて、初めて私たち四人は「心で繋がった」。いつだってキーマンは「毒持ち」だ

苛立つ気持ちを、子どもに向ける代わりに「夫にきつくあたる私

気がついたら、私は毒父にきつく当たる「毒母」のようになっていたのだ。残念だが毒親育ちあるあるだ。

子どもに毒を向けたくない、家庭を持ったのに今も毒親に逆らえない私の苛立ちが毒を生む。私の心の毒は全て「夫へ」向けられたのだった。

毒親と絶縁し、心療内科に通院

すると次第に心が落ち着き始めた。

私が感情の仕組みを、ちゃんと理解したからかな?夫への苛立ちは、本当は「毒親に対する怒り」であり、問題は私にあった事

あぶなかったよ、家族がバラバラになる可能性があったんだ。しかも原因が毒親。そんなの悔しすぎて嫌(笑)。

できれば再び過去の二人のように仲良く出かけたい。私が原因だと気がついた、だからもう一度やり直すチャンスを欲しいと、正直な思いを夫に伝えた。

今でも疲れている時に、言葉がキツくなりかける日もある。「なりかける」がポイントなのだ、セーブできるようになってきている。

もう誰も傷つけたくないし、

傷つきたくない。

毒のあるあの歪んだ場所に二度と戻りたくない。私を好きと言ってくれる貴重な人を大切にしたい。

だからね、毒親と絶縁して「私が得をした」事を、私が知っていれば十分かな、と思っている。

家族四人で笑い合えて、お義母さんに守られて、毒親から解放されたのだ。ほらやっぱり私得だ

今も不完全な私だけど、私なりに精一杯、家族に愛と感謝を伝えたい。夫と子どもたちが幸せに生きてくれたらそれだけでいい。

もうさ、一生分以上の毒を浴びた気がするからね

もういらない(笑)

by毒親育ちmochi