楽しい記憶は辛さと繋がる。毒家族とはそういうもの

楽しい記憶は辛さと繋がる。毒家族とはそういうもの

いとこと私は似た気質の毒家族で育った

いとこと話をしていた。

毒母が唯一今も付き合いのある親戚、そして私が唯一付き合いのあるいとこ。この二人は毒母の実兄(松一)の長女と次女だ。

※母は四兄弟に関して綴る時、長男(松一)母(梅二)、次男(竹三)、次女(桃四)と表記する事があります※

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毒母と気質が似ている松一の長女、私と境遇の似た松一の次女。私といとこは環境が似ていて「話が分かりすぎる」気楽さがある。

それに加え、幼い頃から互いの家族も知っている。母方の毒の強さ、その根元である母の実母である祖母の怖さを経験している間柄なので「え?そんな酷い親いるの?」とならない(笑)。

世間に見せる顔と家族に見せる毒

ちなみにそのいことですら、私の母がここまでの毒持ちとは思っておらず驚いていた。彼女の目からも私と母は「仲良し親子」に映っていたようだし、ヒステリックに怒鳴る姿は想像できないとも言っていた。

いとこの姉である松一の長女も私からは「妹想いの明るい姉」であり、やはり「仲良し姉妹」に映っていたので、気質とは恐ろしいものである。

娘に毒母と呼ばれ、拒絶され、老後を父と二人きりで過ごしている母を、気の毒に思う日もあるが、寄りを戻す気はない。

私はずっと、理解し仲良くしようと努力した、話し合おうとした、しかし母はいつも

聞いた・わかった・謝った「フリ」しかしない

母に対する溜まった感情を自己処理できず母にぶつけ、しかし気持ちを理解してもらえず、ならばと少し冷却期間を欲しても、母は待てない。

だからその場ですぐ謝った「フリ」をし、「無かったこと」または「真っさら」になったかのような状況に持っていく。

そして「フリ」の直後は、穏やかで優しい母に戻る。理解してくれたのかもしれない、そう期待と安堵を胸に抱くが、毎度毎度「ほとぼりが覚める頃」にはいつもの毒母に戻り、母と私は「親子」という「上下関係」または「母の支配下」に戻るのだ。

わかったフリはあくまでも「フリ」でしかない事、暖簾に腕押し?糠に釘?そんな類の、無駄な期待であり、無駄な努力であり、行動に起こしても「相手は何も変わらない」という事実確認の作業でしかなかった。

「家族との過去」が薄らいでしまった

私の心に「毒父・毒母・毒兄」の存在が本当に薄くなった。

かつては一緒に暮らしていたのだ。いろいろな思い出があるだろうに、残念ながら「嫌な記憶」「心えぐる記憶」が多すぎて…

きっと楽しかった事もあるはずなのに「家族との過去」が薄らいでしまった。楽しい記憶は「辛い記憶」に繋がってしまうから。毒家族とはそういうものだ。

あぁ、今日一日楽しい事しかなかったなぁ、という日が、大袈裟ではなく一日もない。必ず母が苛立ち、綻び、そこから揉め事が起こる。

だから家族旅行も苦手だった、喧嘩の記憶が多いから。

楽しい思い出に、叱責され悲しかった少女の私が混ざってしまう。母と出かけて楽しかった思い出もそう、食事中「心えぐる言葉」を笑顔で飲み込む切ない私を思い出してしまうのだ。

母はいつも自分で何もかもを壊してしまう

きっと母の心の不安や焦燥が苛立ちに変換されるのだろう。

癇癪を起こす時は何か不安を感じた時、そして「私を一番優先して」という心の叫び、今の私なら聞こえてしまうだろう。辛いなきっと。

承認欲求だね。母は気がつくべきだった。母にたくさん長所があり、私も父も素直にすごいと思っていた事を。

だって母の料理は美味しいのだ、母の洋裁の腕はちょっとしたものなのだ、そして世間と接する母は「明るく楽しい人」なのだ。世間と接するように「家族」とも接していたらきっと母の人生は違ったのにね。

私も父も感謝の気持ちを伝えていたよ?

私は贈り物を添えて言葉で伝えていた。父だって母の好きなスイーツや、たまにレストランへ連れて行ったりしていたではないか。あんなに色々プレゼントを贈り、色々な場所にみんなで出かけたのにね。

私の将来を母の身に置き換えたら、幸せなんだろうな、素敵だなと…

端から見たら「良い家族」だと思わない?

でも母は満たされなかった。それはやはり母自身の問題だ。つくづくもったいないなと思うけど、気がつけなかったのだ仕方がない。

親戚も子も孫も寄り付かなくなってしまった「現実」を、いつまでも「私せい」にしていても何も変わらない。

1足先に歪みに「気がついた私」

私が生きている限り、父・母・兄とは「会話」をする事はないだろう。少なくとも2度と実家へ行かれない、想像しただけ心身が拒絶し発作が出るから。

それ程の「大事」なのだ、あなた方の娘は「心身が拒絶」する「大怪我」を心に負ったのだ。そしてそれはあなた方と離れてもなお未だ傷は癒えていないのだと。だから「ほとぼり」は冷めない事を忘れず、今後も私に接触をはからないようにと望むだけ。

いとこは言っていた、「自分の娘が希少がんって知ってるのに放っておける神経が理解できない、おばちゃん(私の母梅二)冷たすぎる」と。

だがその立場を彼女の姉(松一の長女)に当てはめてみて?と聞くと「うん、そうだね、お姉ちゃんなら自分から折れるなんて絶対にしないね」となるのだ。でしょ?とね(笑)。

ほとぼりが覚めたら元に戻るわ

母は絶縁を突きつけた時は「いつものこと、ほとぼりが覚めたら戻るわ」と呑気に構えていただろう。そして、いつものように強めに出れば娘はしぶしぶでも、首を縦に振るだろうと。(よろしければ私は悪くない悪いのは娘、曲げない毒母をどうぞ)

しかし、毒兄は肉体的及び性的虐待のいわば加害者で、私は被害者なのだ。

しかし母は過去の出来事に一切触れず、毒兄との間に問題など初めから存在しなかったかのように、父の傘寿(80歳)の祝いに毒兄と共に同席しなさいね、と提案という名の強要を提示してきたのだ。(私から毒親を捨てた日

この一件が、自分を誤魔化し誤魔化し毒母と会い、愛想笑いで「無理をして」会い続けていた私自身の心が「決壊」したのだ。

もう無理だ、私の母は親ではないのだと。

がんの告知の時だってそうだった、私の死後の孫のこともそうだ、そこに加え毒兄と血を分けた兄弟だから復縁しろ、と。もうこれは親である前に人として間違っている。

不思議と、毒兄にされた虐待の記憶より、それを毒母が一切寄り添ってくれなかった事が一番深い傷となっている。(まぁ、兄の件の記憶が全て蘇っているわけじゃなさそうなのもあるけれど。)

同性として、母親として、娘の気持ちに少しも寄り添ってもらえなかった事、これが何よりも私が飲み込めないのだ。そして再び毒家族と会うことは一生ないと、私がきっぱり答えを出せた理由だ。

子供が意を決し、被害を訴えたのだ。

30半ばになって嘘をつくような内容でもないだろう、過去に言えなかった事だって、家族だから言えなかったのだ。本当にこの件に関しては、毒父も毒母も毒兄も、家族以前に人としておかしい。

この一件に関連する数回の怒鳴り合いの場面の記憶は、こうやって綴っていても手の震えが起き、頭痛と胃痛がやってくるハードなもの。

でも一人フラッシュバックに耐えながら、でも歪みと支配と嫌味と愚痴しかない毒親家庭の記憶を薄くしていく努力を重ねるよ。(フラッシュバックに耐える夜を毒母は知らない

家庭の中でしか「威張る事ができない人」

私は負けたくない。毒親のような生き方はしたくない。脅して関係を成立させたり、物で釣るような親子関係なんて嫌だ。

父も母も、結局は家庭の中でしか「威張る事ができない人」だった。偏見と歪み、誤った知識、会話ではなく拳で押さえつける、これらを子育てだと思っていたのかな。親が家庭で一番偉い、そんなところだろうか。

福々と笑顔でいたら、きっとこうはならなかったよ、お母さん。

文句ばっかり言っていたら不幸になるって教えてくれたよね、お父さん。

うん、私もその通りだと思うよ。

我慢し顔色を伺い生きていた私はもういらない。

生きるとは孤独なのだ、それを知ったから頑張ってみるよ。

私はもう自分が楽しいと思うことだけで生きていく。

by毒親育ちmochi