毒親あるある言葉、私は言う用事はなさそうだ。

毒親あるある言葉、私は言う用事はなさそうだ。

毒親あるある、学費返せ問題

我が家の子どもたちもずいぶんと大きくなった。春からは大学生の子どもが二人いる家庭になるのだ。そりゃ家計的にくぅっと緊張感が増しドキドキしているけれど…

だからこそ私は母に対して「同じ母親として」という目線での、思う事が増えた。

声を大にして叫びたい!

学費を返せなんて「怒りの感情」全く湧かないんですけどぉ!!!!!

である。だって二人とも頑張ってたよ?親は応援しかできないって無力だなぁ、と思う事はあっても、金返せ!とは思わんぞ(笑)。

私は40半ばで絶縁するまで、

母の気分のムラで喧嘩が起こると、つい正論で言い返してさらに怒らせてしまう癖があった(お口チャックが出来ないの)。

反論できない時の母は必ず、

「よくそんな偉そうな口叩けるわね、誰のおかげでここで暮らせてる思うよの、そんなに言うなら、今までかかった学費も頭金も返してから言いなさいよぉぉぉ!」

と叫ぶのだ。お決まりのようにね。この世のすべての憎しみが「私」に詰まっているかのような目で睨みつけながら。

お子たちが中学生あたりまでは、「あぁ、宝くじに当たらないかな、そしたら一括でお金返せて気楽になるのに」と思ってた。

子どもの成長過程を私も経験し、得た気付き

我が子が高校生、浪人生、大学生と、成長の過程を私も経験するにつれ、母親として、父親として、毒母と毒父の言っていたことの「歪み」を知る事となった。

そう、「私という母親」と「夫という父親」である親として成長した私たちは、子どもへどんな感情が生まれるのかを経験したから。

散々言われた「お前も親になれば親の苦労がわかる」と言っていたが、学費ちゃんと納めなくちゃ(ドキドキ)、くらいである。

しかしそれは子どもを産む前から解っていた事だから「いよいよっす」という緊張はあるが、その緊張が子どもに「金返せ」という暴言にはならないよ(笑)。

だいたい私の育った家庭のような揉め事自体が、私の家庭では起こらないのだよ?父よ母よ…

これも私の「解毒」をさらにすすませた

だって、子どもの成長はすこぶる嬉しくて、子どもが頑張っている姿は泣けてくるほど尊くて。

応援したいじゃないか!私たちで出来る事があるならしてあげたい。だから恩返しなど思った事すらない。

子どもたちに願うのは『元気で笑顔でいられるあなたの居場所をみつけてね』だけ。

私はあの子たちから、沢山、沢山、愛情も幸せも喜びも受け取った。十分すぎるほど惜しみなく与えてもらい、「人して」学び成長させてもらった。感謝しかない。

むしろ受け取るばかりで、未熟な親でごめん、と思う。決して親に感謝しろなどと言えるような、立派な人間ではないと自分が一番解っている。

「お金」や「恩着せがましい言葉」を、

今現在も言ったことがないし、これから先も言う用事は訪れないだろう事がわかった。そう「親」としてね。

毒母である母に対し、同じ母親という目線で語れる経験をし続けていくうちに、母親として私は言わないという言葉を、私が40過ぎても投げつけていた母は、母親として間違っている事を物凄く理解した(笑)。

これは大きな発見だった。私の中の毒がさらに抜け、心が軽くなる気付きだった。

母は本当は私に3人目を生んでほしかった。だが過去の私は無理と告げた。2人とも大学進学を希望する可能性を考えたら2人が限界だと。

母は言った「そんなの、生んだら何とかなるわよー。お母さんも協力するから」と、かなり粘られたものだが、無責任なことは出来ないから、きっぱり断った(頼れてないし今)。

私が悪性腹膜中皮腫の手術で

子宮を摘出した後も、街で赤ちゃんを愛ては「3人目生んでおけばよかったわね」と言った日もあった。えげつなさすぎて私が気の毒である。

母は「赤ちゃん」が好きだった。文句を言われず、好きに可愛がれるから。

意思を持ち意見を言うようになると「可愛げない」になる。それを成長と受け止められない人だった。父もだ「大人に生意気な口を聞くな」である。なんか残念な感覚でお気の毒。

子供って、私と夫の遺伝子を半分づつ継いでいるのだけど、成長と共に意思を持ち、一人の人間として存在感を増すんだよ?すごいことだよね。

昔の母子一体の蜜月も幸せだったけど、今の対等に会話できる子供たちも楽しくて好きなんだけどなぁ♪

違う意見を聞く事、

知らないことを教えてもらう事、これも楽しいのにね。

支配し押さえつけたら「楽しさ」を知らないまま子どもとお別れする人生になっちゃう。つくづく毒親は残念な人たちだ、勿体ないお化けが出る案件。

子どもたちが自分で生きるために、社会で生きていくために、自分の意思で進学を決め、頑張っている姿を側で見ていた私は、カロリーメイトのCMの母親の気持ちにしかならなかったよ。

私は小学生の頃から「金返せ」と

言われていたけどね(嗚咽)。

習い事が上達しない、勉強の成績が上がらない、その苛立ちが、しつけという名の折檻であり、体罰であり、言葉の暴力として兄と私に向ったのだろうけどさ。

小学生に金返せは、あまりにも幼すぎるよ。返せないのわかってるじゃん、意地悪でしかないし、子どもは本気にしちゃうんだから、言っちゃダメだよ。

難しいかもしれないけど、母も目の前の私に焦点を合わせないで、俯瞰で見る事ができたら、違ったと思うんだ。

娘夫婦と孫が近所に住んでいるのだ、

娘(私ね)も夫も優しいよ(笑)?

父と母は大きな病気もなく、住む家も老後の備えもある。幸せな老後ではないか。

なのに母は、もっともっと、と母の思い描く「理想」を追い求め、理想通りにならいと「娘がいたって役に立たない」「孫だってろくに来やしない」

「あんたの旦那はあんたが一緒の時にしか来ない」(これはね母の理想なのだが、夫一人で『お母さんの好きなケーキ買ってきましたよ』とふらり寄ってくれてもバチが当たらないそうだ…)

実際、夫が夜一人で私たちの家に帰らず実家にケーキ持っていく用事って何だ???ちょっとそれ怖いぞ、と私は思うのだが、母はそういった労いがあって当然だと主張していた。

言い方ね、本当に言葉遣いよね。

なぜ切っ先の鋭いナイフのような言葉を敢えてチョイスする?

言われた方の気持ちを考えた方が良いよ?お母さん。

と、解毒の進む私はさらりと母を振り返る。

やっぱりさ

言ったら傷つくとか

言ったら嫌な思いをする

その類の言葉を

相手に投げかけても

良いことなんて

何もないと思うよ?

by毒親育ちmochi