わかるよ?母も毒親育ちだから毒母になった事はね。

わかるよ?母も毒親育ちだから毒母になった事はね。

母の実母は毒母、それもかなり猛毒な、

私の母親は紛れもなく「毒親」であり「毒母」である。

この結論に至るまで、私は人生のほとんどを費やしたから、答えに迷いも罪悪感もなく、澄み切った心で「間違いなく毒親だ」と言い切れる。

父と母と兄を「毒父・毒母・毒兄」だと、

私自身が認めるまでには、相当の葛藤と苦しみがあった。だって「親」なんだもん。生きるためのノウハウを教わる最初の「先生」よ?

間違っているのは私であって親じゃない。親に異論を唱えることは、親の言うようにやはり「私が生意気で、口答えをする、見当違いの文句を言う間違った子供」なのだろう。

そう思うのは不思議ではない。だって「親なんだもん」。

この「だって親だから」という感情に、

どれほど苦しんできた事か…

悩み、もがき、時には自身を痛めつけ、私という存在価値に疑問を抱き自暴自棄にもなった。全然自分を大切にできなかった

親の言う事を「はい。はい。」と素直に受け入れられたらいいのに。そうしたら母に「あんたは素直じゃなくて可愛げがない」と叩かれなくてよかったのに、そう子供時代よく悩んだ。

私の考えが間違っている、親は正しい。親の言うように、私はへそ曲がりで、我慢が足りず、すぐ癇癪を起こすダメな子供なんだ。

そう思って我慢をするけれど、押し付けられる価値感、やりたくない習い事、自由に遊ぶことのできない放課後、テレビさえ好きな番組を選べない…

母の言いつけは「すぐに動かなくてならない」

母の機嫌が悪くなりそうになったら「母の喜ぶ事を率先してする」、私の行動の理由は「母」だった。全ては「母に怒られない」為であり、私がしたい事ではなかった。

当然不満は溜まる。だって子供だもん。

10歳くらいでさ、夢中で読んでいる本を「母の不機嫌」のために急いで止めなくちゃならないんだよ?チェッて気持ちになるし、嫌嫌な態度になるじゃん、だってさ子供なんだもん。

嫌嫌ならやらなくていいわよ!

嫌味な子、意地悪な子、優しくない子、そんなだと友達できないわ、皆んなから嫌われるわよ、あんた頭だって悪いんだから、愛想ぐらい良く出来なくてどうすんのよ!

そう母から責められる。私が悪い…嫌な顔しないですぐに手伝えばよかったと、涙と後悔でいっぱいになる。次こそは「素直に従おう」と心に決める、10歳位の私。

これはもう洗脳と支配でしかしかなく、両親は「子供を育てる」のではなく、「親の言いなりになる都合の良い人間を育てる」事をしていたに過ぎなかった。

感情なんて無ければいいのに、

考えるからダメなんだ。そう思った子供時代。

私は2人の子供の母親でもある。子供たちが小学生時代に「感情がなければ楽なのに」と思って日々を暮らしていたとしたら…そう想像するだけで胸が苦しくなる。

なんだろう、過去の私が可哀想過ぎて、ハグして背中をさすさすして、温かい飲み物を提供したくなる切なさだ。

子供たちは同じ環境で育ったけれど、

全く違う個性とその子らしい感受性をそれぞえれ持ち生きる姿を、微笑ましく見守っている。

家庭の中で「好き」も「嫌い」も遠慮なく、かといって傷つけ合うのではく「話せる」私たちの家庭は、私の育った「密室」とは違い居心地が良くて好きだ。

でもね、これは「私が」好きな家庭なのであって、子供たちは「違う好き」があって良いのだ。だからね子供たちが各々「居心地の良い場所」を探し育てていくであろう未来にワクワクするのだ。

母を自分と切り離して考える

そう、母と私の感情を切り離して考えられるようになってから、本当に楽になった。

「母のご機嫌取り」をしていた「娘役」を手放していいのか不安だった。母に怒られる怖さはもちろんだが、一番は「母が寂しくなる」のがわかっていて捨てていいのだろうか、という罪悪感だった。

親だもん、嫌なこともあったけど、楽しいこともあったんだ。それに育ててくれた恩もある。

そんな事をくるりくるりと考える日々だった。

母と会うのが気が重い、母と出かけるのは楽しくない。とにかく「急に機嫌が悪くなる母」の「機嫌を伺う」事が嫌で嫌でたまらなかった。

絶縁し解毒がすすんでいる今、

随分心は楽になって「絶縁してよかった」とつくづく思って生きているけれど、母の人生ってなんだかなーと思ってしまう(余計なお世話だけど)。

猛毒である実母(私の祖母)は、母の事が嫌いだったという。4人子供を生んだ祖母だったが、母とは気が合わず「大嫌いだった」と溢していたと聞いた。

母の子供時代も凄まじいものが

あったのだろう。戦後の生まれ、祖父は連帯保証人となり借金を背負わされ、家は貧しく、お古以外着せてもらえなかったという。そして実母から「大っ嫌い」と言われてたなんて。

長男は惣領の子として特別扱い、末の妹が育ったのは返済も終え時代も落ち着いた頃だ。母が望んだもの「全て」を与えてもらっていた妹に、「末っ子だから猫可愛がり」と母自身が納得する落とし所の理由をつけて「恨んだ」。

お兄さんは長男ってだけで大事にされてずるい。妹は末っ子ってだけで可愛がられてずるい、と。

黒い感情が生まれるのは想像できる、

母もまた「歪んだ家庭」を生き抜いた人だった。

結婚し子供を産み、転勤があり「実家」から離れられたのに、母は「祖母の愛」を欲し続けたのだ。心は子供時代からずっと欲しかった「祖母の愛」を求め、そして「祖母に認めて欲しかった」のだろう。

私も母と同じ道を辿ってきたから「過程」も「毒親になる仕組み」も理解できるよ?それにさ、母も辛かったともね。

そしてきっと「今」も「母は辛い」だろう事もわかるよ。祖母は他界した、もう「祖母の愛」は手に入らない。

そして母自身は気がついていないだろうが、ずっと「娘(私)に母親役をさせていた」私も母の人生から消えてしまったから。

自分の機嫌を自分でとれない、

駄々をこねて「娘になだめてもらう」。意地悪を言っても、理不尽を投げつけても「娘はいつも答えてくれる」。寂しい時、暇な時間、「娘がいつも時間を割いてくれる」。

これら全ての「甘え」は、母が欲しがった「どんなに我がままを言っても嫌わない母親の愛情」のすり替えだったに過ぎないのだ。

「母親の代理」である「娘」も縁を切り、孫も尋ねにこない今、きっと母の本心は「寂しく傷ついている」。

でも弱い自分と思われたくないから、弱みにつけ込まれたくないから「怒り」の感情を前面に出し、折れないよう心を保ち続けているのだ。

悪いのは娘であって、私じゃない。

だって私は親よ?あれやこれやとやってあげたじゃない、縁を切るなんて、恩知らずで非情な娘だわ。誰に聞いたって娘が悪いって言うに決まってる、とね。

そうだろう、毒母のフィルターを通した娘である私は「非情な娘エピソード満載」で語られるのだろうからね。

毒母となった母、子供が苦しんでいるのを見ないフリをした父も毒父、毒親の圧に耐えられずストレスを私で晴らした兄は毒兄。

そして彼らは一度も「反省の弁」すら述べないのだ。でもいいよ、私は理解はしたけど「許す事」はできないってわかっているから、これでいいんだ。(望みは一つ、離れましょう。

だからね

聞き分けの良い娘も

行事ごとを華やかにと思う心も

親思いの娘も

家族思いの妹も

そして母の母親役も

家族の緩衝材としての

立ち位置の私も

捨てたのだよ

by毒親育ちmochi