機能不全家族に生まれ育つというリアル

機能不全家族に生まれ育つというリアル
機能不全家族という言葉も毒親という言葉も知らなかった子供時代。それでも私は小学生の頃には親に対し理不尽を感じ、怒りを胸に溜め、日々母の感情の爆発に怯え生きていた。
叱られる基準が「毒親の感情まかせ」という事に気づき始めていた。そしてゲンコツという当時の「しつけの範囲」では済まない暴力だという事も。
母は私の事を「癇癪持ち」で
「堪え性がない」子供と表現した。
それはどう説明しようが、どう謝罪をしようが「母の気が収まらない限り」許してもらえないという理不尽に対する怒りから生まれるものであり、
その前段階である「我慢」「我慢」「我慢」の蓄積があり、それでも堪え切れなくなった私の怒りが噴出するからであって、
決して瞬間湯沸かし器のような「カッチーン!=怒」のような感情直下型ではなかった。
しかしそんな私の心など母は理解しようなど思わず、常に「あんたは黙って私に従ってればいい」という姿勢であったから、
いつしか私は「我慢し聞き流す」
「怒りを飲み込み我慢する」事を身につけ、なるべく母と衝突しないよう、日常に波風が立たないよう、いわば感情を「母に譲る」ようになる。
ギュッと口を閉じ、怒りの感情が表に出ないよう、固く手を握って我慢し耐える私。だからと言って母の感情の激しさが減るわけでもなく、
我慢しているのを知ってか知らずか、尚も母は追い討ちをかける、
- 本当にあんたは何をやらせてもダメね
- あれだけお金をかけたのは全部無駄だったんだ、勿体ない
- やる気が無いなら習い事さっさと辞めるって言って欲しかった
- (↑言ったよ?殴られて続行決定だったけど)
- 家は金のなる木があるわけじゃ無いんだからね
- いい加減してよね、あんた何様もつもり?(アスカ じゃないよ)
- 役に立たないならどっかに消えてよ(小学生)
- この家が嫌ならとっとと出ていけばいいじゃない(小学生)
この類の言葉たち。
母の気に入らない事がある日は、
2時間も3時間も延々私を罵倒する。私は感情を無にしようと努め我慢するが、私とて子供だ、我慢の限界はくる。
目はギラギラと怒りに溢れ、悔しさに目が潤み、プルプルと震える体で、子供なりに精一杯母を睨みつけ
「おかしいよ!お母さん!」と、
この理不尽な支配から解放してほしく、本能から湧き上がる「自尊心を守ろうとする自己」を、幼いながらに母にぶつける。
おわかりではあるだろうが、
残念だが母はこんな程度の怒りなど屁でもなく、子供を支配するのに最適な「食事を含む生活一切の放棄」を差し出し、
「さぁ、あんたはどっちを選ぶ?私はどっちだっていいんだよ?」と、私を蔑み、笑みを浮かべ選択を迫る。
無理だ、私一人で解決できる問題ではない。親の保護が必要な子供なのだ。
答えは一択、『お母さん、ごめんなさい。私が悪かったです』
勝ち目はないと諦め、俯き、悔し涙をボトボトこぼし、この言葉を絞り出す。
母はまってましたとばかりに、
この言葉に飛びつく。
- ほらね、わかったでしょ?あんたが悪いって事
- 本当にあんたは短気で気が強くて可愛くないね
- 誰に似たんだか
- だいたい人に謝るときは目を見るのが常識じゃない?(ため息)
もしくは、「ビンタ・髪を掴み揺さぶる・蹴る」+「何であんたはそうなのよ!(号泣)」というパターンもある。
どちらになるかは常に母の感情次第。
つらつらと私の自尊心をポキポキ折る言葉を
矢継ぎ早に繰り出す母に、私は両手上げて降参する以外、術はなく、
言葉に傷ついているのか、髪が抜ける痛みなのか、頬なのか、お腹なのか…わからないけれど、ただひたすらに悲しくて、悔しくて、切なくて、でも「絶対に母を許さない」という怒りの感情も覚えている。
落ち着いて生活している今現在、過去の私の中にあった「イライラ」という感情は消え、「怒り」もほぼ現れなくなっている。ほぅ、短気な性格だと思ってたよ私、驚きだ(笑)。
「愛している」と抱きしめる手で、
私を痛みつける。
女の子は長い髪の毛が可愛いわ、と褒めた髪の毛を掴み揺さぶり抜くのだ。
私は愛されているの?
それとも嫌いなの?
小学生の私は
完全に母の支配下にいた
飴と鞭
恐怖と許し
まさに支配と洗脳
by毒親育ちmochi
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