新年の便りに思わず毒系譜を作成した件

さぁ、2021年がスタートしましたね。
年末年始を、毒親育ちがゆえ諸事情を抱えざるを得ない新年を迎えた方もいらしたかと思いますが、どうぞ疲れた時は、心身を大切になさってくださいね(涙)。
私は、年末年始に毒親からのアクションである「ポストイン」もなく、ほっと心穏やかに、新年を迎えることができました。
よろしければ毒親からのアクションの一つ、ポストインもご覧くださいませ⬇︎
mochi家『毒系譜』作ってみました
えっとですね、私は母方の毒が強めの毒親育ちでして、今回の投稿内容が言葉では限界がありそうなので、相関図的なものを作成してみました(暇なのか?!私よ)。
みごとに私はいとこ以外誰とも縁が切れている(*´ 艸`)

『曽祖母→祖母→四兄弟(松一・梅二・竹三・桃四)→いとこ(私含む)』相関図です。
猛毒の祖母の子供である
私の母(梅二)の兄弟全員が「毒」を受け継ぎ、その子供である、私含むいとこの誰かしらが「毒」を引き継ぎ、いとこ全員が精神疾患を患い治療歴がある事実。
母含む四兄弟は相方を含め全員「疎遠中」であり、いとこはもれなく「親兄弟と絶縁中」という香ばしさ。
さぁ、絶縁の過程であるが
祖父の死が最初の骨肉の争い。
四兄弟の遺産をめぐる骨肉の争いがきっかけで、それまで四兄弟が揃うのはお正月か法事以外ない程度のライトな間柄であった。
『松一 VS 梅二+竹三+桃四』に別れ争った。
その際、梅二と桃四が、かつてないほどに仲良くなったが、まぁ元が毒の強い女性同士。すぐに不仲となり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態にいがみあうようになる。
その後、祖母の死。
祖父の死の際相続をした松一を除き、『桃四 VS 梅二+竹三』の争いが勃発。この一件で四兄弟は絶縁し疎遠となり現在に至る。
その後、松一、竹三、が亡くなり、ぎこちないながらも葬儀は済ませ、墓問題で再び梅二と桃四が揉めるも、松一と竹三の妻は、それぞれ争いを避けるかのようにさくっと別の地に墓を購入し収束。
現在、梅二(私の母)と桃四以外「母方兄弟」は生きておらず、いとこを含め互いに行き来がなく、嫌な話だが、今後親戚たちと顔を合わせるのは、誰かのお葬式以外無い。
そして私は欠席と決めているので、私の考えが変わるような出来事でも起きない限り、今後も会うことはないだろう。
いとこのなかで私が一番に絶縁をした
そう、「梅二家」私の実家である、毒母と毒親と毒兄との縁を切った。(詳しくはこちらをどうぞ→毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応は。)
今回風の便りで聞いたのは、「竹三家」と「松一家」。
竹三家は、長女が実母と妹と絶縁していたのだそう。関わりがないので知らなかった。竹三である実父の葬儀後、母と妹とは会っておらずに数年が過ぎているという。兎にも角にも妹と一生会いたくないのだそうだ。
こちらは孫である子供は実母と行き来があるそう(これは夫が母から聞いたので知ってはいたが)。
本人曰く、私がきついから母が優しくて居心地良いんじゃない?との事だが、竹三家族と長く会っていなければ、本人から直接聞いた訳でもないので不確かではあるが、絶縁は間違いないとの話だった。
続いて「松一家」、
こちらは私の仲良しのいことの家である。こちらも新年に、長女が「母と妹と縁を切りたい」と話を持ち出したのだという。
年初めであり、話し合いの場が作れないので進捗がないのだが、とにかく妹とは金輪際会いたくない。そしてできれば実母とも縁を切りたいとの事。
※ただし、長女はかなり濃く母方の毒を受け継いでいるので、話そのもをなかった事にしそうな気配もあるといとこは言っていた※
私が毒親との絡まりを断ち、もがいていた間、竹三の娘もまた絶縁を実行していたのだ知り、何となくわかる気がした新年早々の風の便りであった。
母の兄弟はもともと交流が少なく…
あっても基本母は「表で褒めて」「影で悪口を言う」ので、それぞれの相方に恐れられていて、伴侶が亡くなってからは、年賀はがきのみの付き合いという薄い縁。
それでも幼少期は年齢の近さもあり、いとこ同士遊んだ楽しい思い出はある。そしていとこの「親たち」の思い出も。
だから竹三家が分解したことも理解できる。そして比較的行き来の多かった松一家に関しては、次女と仲良くしているので、心的距離を取るのは時間の問題だろうと感じていたので、こちらもわかるなぁである。
愛という言葉にすり替えて抑圧しても
あなたが必要という自分勝手な嘘で自由を与えず縛り付けても、いずれその関係は破綻するであろう事。
私が絶縁を決意するまでの葛藤を振り返るとわかる。毒を持つ相手を見捨てることが出来ぬ洗脳を、長い期間かけられてきたからね。
自由とは大変なんだよ?
ほら私の側にいるのが一番よ?
あんたには出来ないからと…
それを振り解くのはどれほど大変か
でも毒親への忠誠は自分の心の死を意味する
毒親を捨てる罪悪感に勝てる自信もなく
心身は確実に痛み血を流す
苦しみを理解できぬ相手にだ。
きっと母も理不尽を感じているだろう。
あんなにしてやったのに、あんなに可愛がって育ててやったのに、なんで私がこんな目に合わなきゃいけないの?って。
そして父もその意見に賛同し「あいつはいつまでも成長しない」「まるで子供みたいに幼稚だ」と、母と言っているだろう事もね。
何度も毒親との摩擦を繰り返し学んだ事のは、何があっても毒親は「変わらない」という事だ。
だから罪悪感はあくまで、
過去の毒親の調教の賜物であって、現在の両親の「老後の孤独」に対し感じているわけではないのだ。
だから打ちひしがれそうなフラバの夜も、暖かな部屋から夜空を見上げ、温かい飲み物を両手で包み、荒ぶる感情が静まるのを、一人待つ。
負けたくないの
毒親の洗脳という過去に
だから頑張るんだ私はさ
余命2年と宣告された私の狼狽をお母さんわかる?
それでもなお毒母は養子という条件を出したんだ
ねぇ、娘である私の血を半分受け継いだ子供だよ?
あの子たちにまで「条件付きの愛」を与えるのかと
どれだけ絶望したか
お母さん知らないでしょ
母のような母になりたくないのに
命のゴールテープが先にやってくる人生を知らないよね
お子が18歳になったよ?
たかをくくってたんじゃないのかな
私が途中で頼ってくるって
そうは問屋が卸さないってやつだよ
ね、おとーさん、おかーさん
by毒親育ちmochi
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