解毒途中の私勝手な持論、届くといいな

昨日は成人の日でしたね。
新成人の皆様おめでとうございます。
予想していたのとは違うお式となり様々感情が交差したのではと想像いたします。でも「おめでとうございます」を心で叫び、ほっこりと梅を眺めておりました♪
成人といえば、お酒が飲めるようになりますね。きっとね楽しみにされていた親御様も多いかと思います♡私のその一人でした(*´ 艸`)
きっと自由と責任の範囲が広がる境が「成人」なのでしょうね。私がハタチの時、どっぷり共依存状態にあり、全くもって実感はありせんでしたが…。
当時彼氏だった夫が、花束を持ってお祝いに来てくれたのも懐かしい思い出です。
やっぱりまさかは「まさか」なのだ
としみじみ思います。
皆様、昨年から様々な「まさか」に、驚き、考え、判断し、今日を生きていらっしゃるかと存じます。もちろん私もその一人です。
難しいです、本当に。何が正義で何が正論で、そして実際「何が正しいのか」。真実がわからなく…、約半世紀生きていても、私の経験値では、残念ながら、正直正解がわかりません。
だからこそ「考えて」生きなくては、と思っております。
情報の海に身を投じれば、
様々な意見を目に耳にします。それは何も昨今だけの話ではありません。
だからこそ、迷った時は、情報の取捨選択が必要で、悩み考えて、それでも自分で答えを出す。後悔しない方法が、それ以外私は出来ないから。
誰かを批判する事も、後出しジャンケン的意見も、答えとしては「比較的容易」に出せますが、それが全て「正論」や「正義」や「正解」とも限らない悩ましさ。
2人の子供も夫も私も、今日も明日も、10年後だって、生きている限りは、情報の海から取捨し、常に自分で決めて行動しなくてはならないのです。
自分の事は誰も決めてくれないし、誰かが決めてもいけなくて、その時出した答えの正解は「すぐにはわからないもの」だと思っています。
毒親育ちゆえに、幼き頃から
「ああすればよかったのに」「こうすべきだ」という、偏見と批判に晒され、それが怖くて、結局「毒母に従っていた」苦しい私。
絶縁を決断するまでに、幾度も悔し涙を流し、再び依存先である母の元へ戻り、心えぐられ、もがき苦しみ、悩み考え解決策を一生懸命考えた。
その結果、私が出した答えは「毒父・毒母・毒兄・親類」全てと縁を切り生きる、だった。
誰かに強要されたわけでも、捨て鉢になったわけでもない。あくまでも「有限の時間」を、もう毒親から「解放されたい」、これが私の希望だと気がついたのだ。
話し合いも無理、変わってはくれない、私ももう毒親に合わせて形を変えたくない。ならば離れる以外方法はない。そう自分で答えを出した。
(絶縁までの経緯です、よろしければ毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応は。)
これが正解かなんてわからないよ?
もしかした後悔するかもしれないし、しないかもしれない。だけどね私が私自身を救いたくて決めた、だから今現在後悔していないし、今の私の方が好き。
そう、正解はすぐに出ない、という事。
「結果論として…」、振り返り「こうするべきだった」「だから〇〇すべきと思っていたんだ」等、後出しジャンケン的意見であれば誰でも言える事。
兎にも角にも、母は、娘が主役になる事には難癖をつけたくて、娘が毒母を差し置き楽しむことを批判したがった。
何事もなく楽しい日が終わった場合は、ネチネチと嫌味と文句を思い出しては吐露する。うまくいかなった場合は「ほら見たことか」とここぞとばかり責めて立てる性分。
だから私は常に「自分で決める事」が
怖くてできなかった。責められたくない、文句も批判も言われたくない。だから母の「希望」を顔色から読み選択し、母の希望を「私が決めて」行動してきた。
そして、はしゃいじゃダメ、喜んじゃダメ、不満そうな顔をしちゃダメ、そこは毒母の地雷だからと注意を怠らず。
成人式の着物がそうだった。母は総柄の振袖に拘った。なぜなら母が成人の時、祖母が用意した振袖は、のちに訪問着になるようと、無地に近いものだった。
周りが華やかな中、地味な振袖の自分が切なかったのだと。
ここでね母が過去の自分の経験から
「だから娘には、口出しせず好きなもの選ばせてあげよう」という発想の人であったら違ったんだろうけれど、
当時ネット検索など存在せず、レンタルと購入のどちらが安価かわからなかった私は、とにかく「なるべく安く」「できれば真紅」の振袖が着れたら嬉しいと希望を伝えた。
当時母は茶道を習っており、たまに購入していた呉服屋さんに依頼した。呉服屋さんが用意したのものは「朱よりの赤」で、私が思っている真紅とは違っていた。
呉服屋さんは、扱っている中では一番赤いけれど真紅でない、無理せず他も見て決めて欲しいと言った。
だけどね仕方がないよね。
母がその振袖を決めたがったから。母が納得しているならそれが一番平和だから。
それにさ、用意してくれるのはありがたい事だから文句言っちゃダメだってわかってたし。
母の顕示欲が満たされ、親族に、わざわざ呉服屋さんが娘に似合うと「京都から取り寄せてくれたものなのよ」と嬉しそうに語っていたから正解だったんだ。
わざわざだったのか、金銭的縛りがあったのか、呉服屋さんと母のやりとりの真相はわからないけれど、ちょっと切ない思い出でもあるんだよ。
だけどね私は「ちょっと苦い」気持ちを忘れたくないんだ。恨んでいるとか、根に持っているとかと違うお話ね。
お子たちと接するときに、
あの年の私は何を思っていたかな?と振り返るために必要な記憶なの。お子にとって小骨の刺さる思い出にはしたくないから、反面教師として振り返りを忘れないだけなんだ。なんでも肥やしにしちゃうよ精神だ。
これから未来へ羽ばたく若人へ、もしこの投稿を目にする機会があれば、と思い、持論を勝手に展開しますが、
- 文句や批判を言う人と無理して付き合う必要はないよ
- 押し付ける意見に耳を傾けても時間の無駄だよ
- 世界を広げるために情報を得よう
- 偏った意見の人の情報は取捨が必要
- とにかく自分ファースト
- 苦労も我慢もしなくていいならそれが正解
- 長く生きた人が偉いわけでも正しいわけでもない
- だから悩んで学んで「自由」について考えて
- 沢山考えた思考と決断した力は自分の最大の味方
- 自分が楽しく幸せに生きていける道を選んでね
- それが結局周りの人を幸せにするよ
- だから負の声に負けないで
- 意地と根性と笑顔で、華麗に負の声をぶちまかしてしまえ
- ふふふ(*´ 艸`)若人にはその力があるのだよ
- 正々堂々「我が道」を突き進め若人よ!
文句や批判ばかり言う大人はろくなもんじゃねぇ、という私の学びです(笑)。
きっと今私が生きていなかったら、
間違いなく毒親は「だから抗がん剤すればよかったのに」と、毒親自身が生きている限り延々と愚痴をこぼすのだろうから(聞かされた方はたまったもんじゃないよね)。
事態が好転しない事に、誰かを責める言葉を口にするのは大人じゃないんだ、毒親よ。
例えば受験、どんなに栄養管理を徹底しても、できる限り尽くしても、受験会場で試験と戦うのは本人しか出来ない。
誰も代わってあげられないの。
責めるのではなく健闘を讃えようよ、そこはさ。結果を後出しジャンケン的に批判なんてナンセンスだよ。
私の癌もそう、手術後の痛みだって、
家族の応援は心の支えだけれど、痛みを乗り越えるのはやっぱり「私」以外いない。
だから子供たちや夫の「痛み」に寄り添うことは出来ても、結論を出しその先へと進んで行くのは「彼ら自身」にしか出来ないのだ。
人の立場を想像できる優しく強い人になりたい。これは私の目標。最期までカッコよき親であの子たちと向き合えたら素敵だな。これも私の目標(*´ 艸`)♪
大丈夫、世の中捨てたもんじゃないよ?素敵でかっこいい大人も沢山いるから安心してほしいな。
「まさか」に心寂しくなる事も、
こんなはずじゃなかったと思う夜もあるかもしれない。でもね、偶然入ったカフェのランチが美味しい日も、心にピタッとくる曲に出会える瞬間も巡ってくるんだ。
人生はきっとそういうものなのだと思うし、思いたい。じゃなければ小鹿のまま一生ガクブルで歩かなくてはいけなくて、参ってしまうし無理ゲーすぎる(笑)。
正解は誰にもわからない。だけど悩み考え選ぶ事は出来る。
これからを生きる若人よ、心根は優しく強く逞しく、考えは柔軟で、自分のhappyを常に考え、楽しいを見つけ、なるべく自分が笑顔でいられる「楽しい」を心の中に作ってあげてね。それが育つともっともっと「楽しいが育つ」んだ。
出会いや発見やワクワクやドキドキが
これから沢山訪れますように。
成人の日を迎えられました新成人の皆様おめでとうございます。
毒に負けずに自由を勝ち取ってほしいと強く願っております。
どうか楽しいことには自分勝手に
幸せには自分ファーストで
好きな場所へ自由に羽ばたき
楽しい場所を見つけに行こうよ
君たちはもう自力で選べる
自由はきっと楽しいよ
by毒親育ちmochi
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