生い立ちを告げる事が幸せに繋がらないリアル

生い立ちを、病気を、告げる事
これは絶縁により「私の環境」は改善されたが、それを伝える事は、私の幸せに直結するする訳ではないというお話。
毒親との絶縁を決意し実行できたのは、やはり「希少がん」に罹患し今後も「完治しない」とわかって考え方がすっかり変わったからだとは思う。
でもちょっと遡り、パンドラの箱の中身が開いた、あの日がなれけば、もしかしたらほそぼそ付き合っていたかもしれない、
がんの進行が早く、思ったより「親の手を必要」とした私だったら、我慢し付き合いを続けていたのかもしれない。
いやいや、父の傘寿の祝いに兄と同席と言われなければ…(毒親に洗脳されていた実感と異常さ)
正直、私自身わからない。
だけどあの日、母からかかってきた電話が全てだったのは確実だ。兄の件を水に流せないか?と言われたあの日。
父と母の不仲、父の暴力、母の叱責、感情のジェットコースター、全部幼いながら飲み込んできた。
兄に「何」をされたのかは、未だに薄らぼんやりとしか思い出さない。
記憶が出そうにると、ドラマみたいに頭が痛くなって、気持ち悪くなって、足元がぐわんぐわんして、どうかしたら吐いてしまって終了。
覚えているのは「暴力」、本気で殺されそうになった恐怖。
怒鳴る・脅す・喚く・殴られる・アザ
こんなのは、両親からの記憶もあるから、私的には平均して「父・母・兄」の記憶。でも殺される恐怖は「兄の記憶」、性的な嫌悪も「兄の記憶」。
あまり思い出せない嫌悪の過去という事は、思い出したところで、私得なことは何一つないのだろう。
運良く私の脳が記憶をぼやかしてくれているから、その方がきっと私に都合が良いのだろう、深く考えず過ごそう、そこを目指している状態。
親と絶縁をしていると伝える
これを誰彼構わず伝えても、私は幸せにはならない事も経験してわかった。
親子関係が良好で、心底親に長く健康で生きていて欲しいと思う人、自分が祖父母の立場の人もいるから。
不快感を露わにされる事も悲しいが、切なそうに、それでも寄り添ってくれる人の顔を見るのも辛かった。
希少がん患者であると伝える
これまた本当に微妙。
私の場合は、母が「誰にも言うな」と言ってくれたおかげか、7年間夫以外「誰一人」にも伝えずがんと向き合い、余命と言われた2年をとうに過ぎてからの告白だったけど。
それでも自然と人間関係は整理されてしまった。
私はもうこの世にいないと思っている人もいるだろう。でも気持ちはわかるんだ。「元気?」という挨拶さえ、気を遣ってしまうだろうから。
親と絶縁している希少がん患者
こうなると、ますます持って告白された方は返答に困ってしまう案件なのだ。
優しい人であるほど気遣ってくれ申し訳なくなるし、今までの「距離感」ではなくなってしまった人もいる。
何でも言えて甘えられる相手、でも仲良しだから、距離が遠くなった事もわかってしまう。でも仲良しだから電話もLINEもする。
相手のせいでも、私のせいでもない場合、どうしたらいいんだろうね。
言わなければ良かったのかな?
でも私はがん患者でもあるから、仲良しだから、私の口から伝えたかった。だから後悔はしていないんだ。
難しいね、嘘をつきたくないという気持ちも、なんて返事してよいか困る気持ちも、間違いじゃないからね。
誰かに伝える、相談をする、
自発的な働きかけが、やっぱり私は苦手でね。
誰にも相談せず7年がんを飲み込み生き、親と絶縁し、子離れを経験し、お義母さんが元気なうちに全てを話せた。
ここまで全部、一人で考え一人で決めた。
ちゃんと私は過去より幸せになったし、子供は2人とも18歳を超え安心出来た。うん、がんばったんだよ私、褒めてあげねば(笑)。
きっと相手の反応が怖いんだ。これは昔からそう、失うくらいなら初めからひとりの方が「心が楽」と考える私。
これが私の性に合っている。
大丈夫、傷ついても、悔しくても、立ち上がってきた自負はある。
悔しいから、
負けたくない。
父に母に兄に、
私を「一人の人間」として扱わなかった父と母と兄のせいで、深海に沈むのだけは絶対に嫌だから。
母は私が死んだら「かわいそうに、孫も見れずに死ぬなんて」って泣くのがわかっているから、がんという病のせいで沈むのも絶対に死んでも嫌(笑)。
そして私は父を母を兄を「許さない」
絶縁している事を知り、許してあげなよ親なんだから、いつまでも根に持たないでさ、病気なら尚更親孝行しておかないと、等は「わかってるんだよ私だって」なのだ。
だから40年以上も許し、親だからと思い、飲み込んで生きた結論が「あぁもう無理だ私」だったんだから、私が納得しているんだからいいじゃん。
そう自分を励ますけれど、面と向かって言われるのはやっぱり凹む。
伝えるって本当に難しい。
言って傷つく事も沢山あるし、言わなくて傷つけてしまう事もあるから。
だからね、生い立ちも、がんも、
正直に伝えても「私が幸せ」にならない現実も存在するって事。
ここから学んだ事は、やっぱり「人は、人に言えない事情を抱えている」という想像力を磨こうだった。
傷ついたからといって、相手を傷つける私になりたい訳じゃない。
揉めて我慢し、顔色を伺って生きる事をやめたかったのも私。
どこで吸い込んだかわからないけど、アスベストに暴露して、中皮腫という希少がんに罹患したのも私。
生い立ちも、がんも、私にはどうする事も出来なくて、そして私のせいじゃない。だけど私の人生に起きているリアルであるのは紛う方ないのだ。
悔しいけど、
この手札で生きていく以外やりようがない。
だから私は、反省しても後悔はしない。後悔するくらいなら、その失敗から学び次に生かしたい。
だから考えて絶縁した
寂しさも罪悪感もあるにはあった
眠れない夜も
不安に飲み込まれる夜もある
それは今も変わらずに
それでも絶縁は正解だった
今の私は確実に過去より楽しいから
それだけは胸を張って言い切れる
by毒親育ちmochi
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