毒母は誰よりも不機嫌なわがままちゃん

来月、毒親に絶縁宣言し丸4年経つ。
確実に私は良い方向へ変化した。それに呼応するかのように「我が家」もまた確実に家族の仲が良くなった。
例えば不機嫌な態度。受け手である家族は察しつつ普通の対応で接する。決して態度を詰ったり詰問なんて無粋はしないよ?
発信側がもし「さっきはイラついてごめん」って言ったらさ、いーよいーよん♪そんな日もあるじゃーん、どーなっつ食べるかい?ってそんな風に終わるんだ。
今の我が家はさ。
たったこれだけの事なんだ!という感動が毒親育ちである私にはあるんだなぁ、しみじみとさ。
だって母が不機嫌になろうもんなら、
腫れ物に触るよう慎重に…爆発させぬうちに終息させねば私にトバッチリくる案件だったから、毎回緊張のミッションだった。
不機嫌に対峙するなんてさ、本当は簡単で単純な事だったんだと知った。
誰にだって体調の優れない日や調子の悪い日はあって、つい態度に出てしまうなんてのは普通にある事なのだ。
家族の前という甘え(良い意味の方)もあるんだ。それを互いに理解しているから、許し許され悔恨を残さずフラットな状態に柔軟に戻れるのだ。
これを「気心の知れた間柄」とでも言うのではないかな(くどいが良い意味の方ね)。
毒親育ちだった私の家庭を
振り返ってみようか。
私が不機嫌になる ⇨ 母が瞬間湯沸かし器と化し毒の言葉で口撃 ⇨ 屈服させられ泣く私 ⇨ 泣くくらいならそんな態度をとるな ⇨ 必死で謝罪する私。
母が不機嫌になる…まぁこれはデフォなんで説明するまでもないね。
母のご機嫌が「どこまで」怒り吐き出し切り気が済み終了するのかという、実に毒母にしか終わりがわからない案件なのは毒親家庭あるあるだもんね。
受け答えに気を使い、
なるべく自然な様子で母を持ち上げ(逆効果の場合あり)、感謝を伝え、苦労を労い、母の気持ちを理解している娘である事を告げ、母の自尊心を満たさなければならない。
だから家の中で「不機嫌なわがままちゃん」でいられる程、私の育った家庭は子供の幼さき感情は許されなくて、必死に無意識のうちに自己をコントロールしていたんだろう。
不機嫌なわがままちゃんは、毒母であって
私じゃなかった。
母が一番「自分の感情」に素直に生きていた。ただし家庭の中限定だけど。
父は一番「博識と頭脳」を誇りに他者を見下し生きていた。やはり家庭の中限定だったけど。
父も母も世間に晒されたら「ただの人」でしかなく、子供にしか威厳を披露できない幼き大人だった。
離れて本当によくわかったの。
父は父が言うほど「仕事ができる」わけじゃなかった事。母は母が言うほど「人望のある」人じゃなかった事。両親が言うほど「我が家は恵まれて」などいなかった事を。
一度カラクリを理解したら後は簡単だった。
自分の心の浮き沈みに気を配り、自分を理解してみれば、さらりと見えた事だった。
体調がイマイチで会話が弾まない日も
あるんだって事位わかるじゃん。
それは決して相対する人を嫌っているからじゃないって事。それくらいわかるよね、家族なんだから(しつこいですが良い意味ね)。
休日は夫と散歩をする。
空を眺めて、季節を愛でてさ、どうでもいい事や、エヴァの考察とか、ぽこぽこ語りてくりてくりと歩くんだ。
楽しいよ?
少なくとも両親と一緒に出かけたあの
ドス黒い感情がたまる車中に比べたら、
どこでも楽園なんだ、
大袈裟じゃなくてね
感情な住宅街、お天気は上々で、オットと語るはどーでもいい内容で、なんだかとても心がらくちんなんだ。
顔色を伺わないって本当に素晴らしい。
当たり前の自由を40半ばで知った私って一体…でもいい仕方がないもん。
そんな事より母よ
一等地ってこういう閑静な住宅を言うのでは???
少なくとも実家のあの家を指さないのは
明白な事実
母はいつも見栄を張っていた
父と母の事を信じてたら
私はきっと深窓の令嬢だったはずだ
何も知らない私は信じ
たくさん恥もかいたよ
by毒親育ちmochi
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