子離れは、子どもが自由に生きる大切な事

子どもが18歳なる事は悲願だった。
なにせ毒母は、私が希少がんで余命2年と宣告されているにも関わらず、相変わらず「母の気持ち優先」の無理難題な条件を、あれやこれやと私に出し続けていたから。(よろしければ→心細く見送った毒母の背中、過去の健気な私)
耐えきれず毒親と絶縁した私は、二度と親へは頼ることはできない、そしてオットの義母へも今更頼るなんて無視のいい話は出来ないと覚悟を決めていたから。(毒母の脅しの結果、義実家と絶縁)
とにかく18歳になるまで、そこまでは私が守り通さなければ、と必死だった。
4月になって大学がが始まった。親はオンラインだけれど入学式も見られた。
ようやくね、本当にようやく、やり遂げた『実感』に私が包まれた。(生きる意味とは何?)
私は毒親育ち、それも過干渉タイプの。
私のプライバシーはほぼ無いに等しく、手紙も手帳も友達や担任の先生との交換日記も、全て私の知らない所で母は目を通していた。
当然友達関係の把握も抜かりはない。そしてその友達の親がどんな人物なのか、これらもなぜが把握していた不思議。
あの子はシングルだからダメ、あの子は家がスナックだからダメ、あの子は親が医者だからよし、という情報通っぷり。
小学生の時は、母に聞いてからでないと
友達と遊べるかわからなかった。
大抵は「習い事の練習」という理由で、友達と遊ばせてもらえなかった。それは土日も同様、加え日曜日は父による「血みどろの勉強会」が開催されるので当然無理。(散々してやった[毒母]vs一つだけ残した[私])
社会人になっても、土日のどちらかは「家族」のために丸1日予定を開けてねばならぬルールがあった。
そうやって縛られていた弊害は、当然私の世界に「しわ寄せ」が来る。
同年代の友達との接触が極端に少ないのだ。
さらに毒親の常識は偏った知識が多く、それが正しいと信じ込まされていたから、友達と相容れない。テレビ番組も制限されて話題にもついていかれない。
悪目立ちする「お嬢様ちっく」な普段着を与えられていたため、「mochiちゃん、お洋服汚れるとお母さんに怒られるでしょ?」と言われた時は、あぁ母が言ったんだと悲しくなった。
とにかく友達の作り方がわからない
友達の輪にどうやって入っていいのかわからない、自分から何を話題にしていいかわからない、だから大人しい無口な子にならざるを得なかった。
母はね、品の良い物が好き。
だから素敵なレストランも質の良い服も与えられていた。でもそれは私の好みとは違うものだけれど。
大人のマナーを知っている私、同年代の子と仲良くする術持たない私、高校生あたりでそのアンバランスさに気がついた。
どうやら私の知識は「幼い」のだと。
同じように家庭にい辛かった友達との会話のやりとりで学んだ事だった。
人を見下し時に傲慢である事を、おかしいと思わぬ両親に育てられたから、本を読み多様な価値観を得ていても、やはり親同様にどこが「根拠のない傲慢」を身につけていた事に気がついた。
だから私に子供が生まれたら、絶対に友達と遊ぶ時間を作ってあげる、と心に決めていた。
親から教わることもあるかもしれない、でも友から教わることも恋人から学ぶことも沢山あるのだ。
子供は遊ぶのが仕事、子供は風の子、
なんて言葉あるくらい、きっと子供時代の友との遊びは大切なのだろうと思うんだ。
お子へはね、友達と遊ぶ事を昔から推奨していて、「ごめん、夕飯お友達と食べてきていい?」とLINEが来た時には、食事の用意が終わった後であっても、「よかったね、楽しんでおいで」と言ってきた。
これは私の苦い経験から出る言葉。
夕飯など、明日食べてたっていいのだ。
いいの、いいの、自分の予定は自分で決めていんだよ( ´艸`) ♪一緒にご飯が食べれるお友達がいてくれる事が、おかーさんは嬉しいんだもん♪
勉強もそう、親が口出しするのは
義務教育期間までと私が決めていた。(図書館と餃子と義務教育という学び)
だから高校在学中も、その後進学するのかも含め、話を聞いたり相談しあったりしたが、本人たちの意思に全て任せた。
まぁこれはね、私が余命を超えて、たまたま生きているがん患者だから、というのも大きいと思うけれど。
とにかく自分で決める、間違えたらやり直せばいい、その時こそ親がいるから大丈夫、思いっきりやってごらん!と言ってあげたかったの。
それはもしからしたら、過去の私に対してかけた言葉であるかもしれないね。
だからね、お子二人とも、
もうこれで私が何かお手伝い出来る事は、とうとう本当になくなってしまった( ;∀;)
そう、あの子たちは大人になったんだもん。どこで誰とどう過ごすのかは、あの子たちが決めればいい。
本音はね、卒業するまで少しは何かお手伝いできるかな?と、相変わらずお子①とお子②の周りをチョロチョロしちゃうんですけど( ´艸`)
子離れをする、
これが子供を「自由」にさせてあげられる、
親が最後に子供にしてあげられる事なんだなぁ、と二人が18歳を過ぎた今、私は気がついた。
毒親に苦しんだ
だからこそあの子たちには
自由に生きて欲しい
そして頼りたくなったら
いつでも戻れってこられる
そんなラフな親でありたい
そう思う2021年の春である
by毒親育ちmochi
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