今日は私の人生が大きく変わった日

2012年の今日、4月12日は
私が希少がん(悪性腹膜中皮腫)と告知を受けた日、
そして毒親と「生涯決別」の実行を迷っていた私の背中をポーンと最後に一押しした「父の誕生日(私から毒親を捨てた日)」でもある。
なので「今日」という日は、
私の人生が大きく方向を変えるきっかけになった日であり、生きている限り忘れる事のない日なのだろう。
今日からの私は、「10年目の希少がんサバイバー」となった。うん、いいね、びっくりだよ本当に。
絶縁はね「2016年の私の誕生日」だったから(毒親と決別を決めた日)、全く会わなくなって4年ちょい、5年目となる父の誕生日だね。
がん告知は父の誕生日であった、
あの日は自宅マンションに着いて、一人泣き泣いたところまででその日の記憶が終わっていて、
あの日毒親の家に預けていたお子たちを迎えに行ったのか、夫が代わりに行ったのか、親が連れてきたのか…、昨日も夫とその話をしたのだが、互いに「覚えてない」(笑)
まぁ、少なくとも父の誕生日を祝いはしなかっただろう。
がん告知以降の4月12日はね、母にとって
「私が今年も生きました記念日」
にもなってしまっていて…下の子は私の病気を知らないのだが、
「今年もママがこうやって生きていてくれて、あなたたち本当よかったわね(嗚咽)」と、グラス片手に言い始めるので、まったくこの人は…な日でもある。
お子にはね「ほら入院した時あったじゃん。おばぁちゃん大袈裟なんだよ」と言ってあるが、上の子苦笑案件。
私は治療後、先生から「2年と思って行動して」と余命を言われている。だからね2014年の4月12日が近づいた事と、超えた事、この記憶も実は曖昧である。きっと怖かったのだろうね、覚えていないのだから。
でもそこも毒母だ。
がん告知一年目か、2年目だったか曖昧だが、父の誕生日を家族で祝った日、
嬉しそうに「あなたにあげたいものがあるの♪」と母が小箱を渡した。開けるとパールのピアスだった。
母は言った、「頑張って生きた記念に何かあげたくて、気に入ってもらえるかしら♪」と。
私は傷ついた、
がんの告知はね、自分が知っている絶望のもっと奥の奥までも絶望とは広がっているものなのか…、それをガツンと知った日なのだ。
だから「あの日」を「記念日」になど、私には到底できないのだ母よ。
確かに可愛らしいピアスだった。母が選びそうな上品で可憐な素敵なデザインであった。耳元で真珠が儚く揺れるのもまた素敵でね。
しかしそれを手に取る度に、絶望がセットで蘇る。耳で揺れる度に「あなたは希少がん患者なのよ」と言われるようで辛いのだ。
思った。
私のお誕生日プレゼントならな、って。
生まれてきてくれてありがとう。今年も一緒にお祝いできて嬉しいわ、似合いそうなピアス見つけたの、気に入ってくれるといいんだけど♪
なんて明るい言葉を添えて、差し出してくれたら、あのピアスは「お守り」になっていたかもしれない。
これはね、考え方の相違だから、母だけが悪い訳でもない、私が悪い訳でもない。二人の考えや感覚が違うから仕方ないものなだけである。
今日という日、私にとっては「あらら、びっくり」くらいのテンションでそっと敷居を跨ぐ感じで終わりたい。大げさに祝いとかするのはプレッシャーだから( ;∀;)
今日とういう日、父と母はどう考えるのだろう。一昨年は松一の長女を呼んでお祝いしたと聞いたから、今年もそうなのかもしれないね。
愛してると抱きしめたその手で、
お前が悪いと髪が抜けるほど掴まれた。
家族が一番大事と頭を撫でた手で、顔が腫れ上がるほど拳で殴られた。
愛と暴力、優しい言葉とえぐる口撃、この感情の揺さぶりは私を激しく混乱させた。
私は愛されていない?親に捨てられないようもっと頑張らないとダメなんだ。もっと、もっと…と。
遊びた盛りの年齢で、話の半分もわからぬ「母の愚痴」を、さも理解しているかのように肯く時間に費やした。
途中で必ず怒られるから嫌なのに、本棚を作ってやるぞ!と図面を引き日曜大工を始める父の、機嫌を損ねぬよう、やりたくもないやすりがけを頑張った、友達と過ごしたかった日曜日。
あげればキリのない、私の時間の切り売り。
私は希少がん患者となったけれど、
母に「期待外れとがっかりされた娘」となっただけである。
四十数年の家族として過ごした年月に、思いやりや優しさや愛、そういった類のものは、私と毒親の間に「全くなかった」。
これが私が「希少がん」に罹患して炙り出された「事実」であった。
時間がかかってしまった、もったいなかったと思う日もある。
でもね「あの私の誕生日」までは、心がはっきりと決まらなかったのも自分だから、仕方ないと思っている。
結局、無理はいけない
無理をしたらどこかにしわ寄せが来る
その時がきたら心が決まるだろう
まだであれば無理に行動しなくていい
親に甘えさせてもらえなかったんだ
せめて私は私を甘やかしてあげたい
ちょっとこれいとでも食すかの( ´艸`) ♡
by毒親育ちmochi
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