毒父とすれ違い解毒加減を知った

一昨日、父と街ですれ違った。
車一台がやっと通れる幅の道路、互いに「あっ」とわかってしまうのはDNAのなせる技なのだろうか。一本道、父が向こうからやってくる、父も私も「一人」だ。
以前オットが絶縁を宣言しに実家に行った帰りの際(毒親との決別は、苦渋の決断だ)、父はオットを玄関外まで送った時に「やっぱり、原因は母さんか?」と聞いたそう。オットは「はい」と答えたという。
その話をオットが帰ってきて聞かせてくれた時、私は涙が出たんだ。あぁ、父は私が苦しんでいる原因を少しは理解してくれていたんだ、と。
そしてその話をお子たちに伝えたの。あの子たちには穏やかで優しい祖父だったから、お子たちも「おじいちゃんは知ってたんだね」と3人でしんみりしたものだった。
だがその後、街で偶然会えば「おい!」と
二回も怒鳴られるし、お子たちをスルーするそうだ。さらに相変わらずピントのずれた手紙を送ってきて、お子たちに「おばぁちゃんと変わらない」と言わせてしまった残念な父。(毒親は孫にまで毒を吐く)
父は昔から読書が好きで、含蓄のある言葉が好きで、加藤諦三氏の本も読んでいたが(毒と怒りと悲しさと)、家庭では「傍観者」であり「暴力を振るう」親だった。
母の暴走を、母「矛盾と感情の押し付け」を
正すでも止めるでもなく、我関せずコーヒーを飲んでいるような人。私が不貞腐れて母の思う態度を取らないと父に加勢を要請。怒鳴り声で終わる時あるが、屁理屈と殴られる時もあった。
今更毒親に「優しく心配」して欲しいわけでも、「声をかけて欲しい」わけでもない、という前提で読んで欲しいのだが、
父は「母が原因」で絶縁していることを
わかっているのだ。そして私の病状(希少がん)を約6年知らない、今回は父と私、互いに一人だったのだ。にもかかわらず、
「体調はどうか?元気なのか?」という声を娘にかける勇気が無いと、改めてわかった。
私の気持ちを尊重したのかもしれないし、配慮したのかもしれない。それは父では無いので正解はわからないが、少なくとも私自身に置き換えてみると「スルー」する事は出来ないなぁ、、、「元気そうに見える、よかった姿が見れて」くらい言ってしまうだろう。
まぁ、実際そんな言葉をかけられたとて、華麗にスルーするんですけどね私。(酷い)
何が言いたいかと言うと、
今まで立派な言葉を私に言ってきた父。
- 家族が一番
- 家族ためなら何でもできる
- 世界中が敵になってもお前の味方
- 困ったら真っ先に助ける
- それが親ってものだ
その類の「かっこよき言葉」を沢山、私に自己陶酔し語っておりました。
ですが実際は、「兄による性的及び肉体的虐待」を打ち明けあたら酷い仕打ちをされましたからね(パンドラの箱の中身が開いた、あの日)。それだけでも加藤諦三先生の本を読んだんじゃ無いのぉぉぉ????と叫びたかった(笑)。
その後、私の希少がん告知、
うっかり腫瘍が取り切れていないことを入院中の私に告げるというバッドなアクシデントを起こし、私に「がんにだけはなりたくないなぁ」とこれまたうっかり口を滑らす、含蓄好きの父(加藤諦三先生は?)。
そして自分の80歳の誕生日に、加害者である息子と、被害者である娘、この二人を誕生会に強引に「同席」させようとした母を止めもしなかった父。
それが私が親を「毒親」とはっきり
揺らがず認定し、二度と無理だと結論が出て、「一生縁を切る」事を揺るぎない自信とともに決意させた、最後の「一押し」だった。
これは母に電話で伝えたが、父にどう伝えているかは私は知らない。
でもオットが「複雑性PTSD」の診断書のコピーを両親に渡している。その原因の一つ「兄による性的及び肉体的虐待」という言葉が入っているのだ。それを父母の「夫婦間」でどう話し合ったかわからないが、兄とは会っているようだ。
いつも父は負け犬の遠吠えだった。
偉そうな事、実際行動出来たら「かっけぇ」的な事を家庭内で得意満面、自己陶酔し語るが、いざ「今が言う時よ!さぁ!」な場面で、貝のように口を閉ざし大人しい父。
まったくもって頼りにならない。そんでもって家庭内では母に言いたい放題言われ我慢し、途中でプチんと切れると、怒鳴る・物に当たる・我が子を殴る。だーかーらー、加藤諦三先生はどこいったの( ;∀;)???
とまぁ、我が家は父も母も「親=偉い」「親=感謝されて当たり前」と真剣に思っている人だったので、まぁある意味やりたい放題よね。
だって何をやっても「親は偉い」んだもん。
自分たちで作り上げた「歪んだ家庭」を、今更どうすることもできず、ひたすら「私が謝罪し会いに来る事」を期待している両親。
父と母の好きな「時が来れば自然に解決する問題」と思っているのだろうか?
まぁ、私は街で父や母にうっかりすれ違った後に感じるのは、お気の毒にとは思っても、どんどん罪悪感が無くなっている事。一昨日に関しては「あ、父だ」としか思わなかった。
話しかけられても、私から話す事はないから、足も止めないだろうし、胃が痛くならなかったし( ´艸`)
解毒は進んでいるんじゃ無いかと、思えた出来事でした。
by毒親育ちmochi
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