自分の意思が介在しない生き方をしていた私

自分の意思が介在しない生き方をしていた私

毒親と絶縁し、

月日が経てば経つほど、解毒が進んでいる実感がある。

心が落ち着き、自分と自分の周りに目がむいてきた驚き( ´艸`) ♪

母の都合を優先してしまう私だったから、

一週間の予定は乱れがちだった。

子どもの習い事等の送り迎えは予定通りに繰り返される。

だがそこにギチギチで母の予定がいきなり入り込む。電話やメールに加え、突然家に「買い物行かない?」とやってくるパターンもあってね断れなかったんだよ(遠目)。

お子が大きくなるにつれ食事くらいしか、してあげられる事がなくなった。

心から嬉しくて寂しさより安堵が先に来る。

「お母さん」の出番が必要なくなったのは希少がん患者である私には、とてつもなく嬉しい事。

これは生きる意味とは何?に書いたのだが、私の人生の目標を達成し終わってしまったのだ。

鳥の巣症候群的なものというより、達成できた安心が大きすぎて「気が抜けた」。寂しさではなく、幸福感で気が抜ける、と言うのも不思議だけどね( ´艸`) ♡

自分の人生って何なんだろう?と

考える時もある。

20代前半までの記憶があまりに薄い。

出産後も「母のような母親にならない」という呪いにかかっていたので、そうならないために情報収集をし、実践するよう心がけていた。この行動にも「私の意思」は入ってなかった、そう絶縁後に気がついた。

誰かの思考をなぞらえる、

これは私が意思決定し行動しているのとも違うんだと。

希少がんに罹患し、自分で決めるしか選択肢のない出来事にぶちあたり、ようやく大地に両足が着いた感じがした。あれが40代初め。なので私はまだ10年弱しか「しっかり生きる」という実感がない。

文字にすると、とんでもない感じだけれどね💦

そのくらい、いつも「誰かの人生」を

伴走しているような、自分の意思が介在しない生き方をしていたなと思う。

私が何をしたいのか、何が好きなのか、何をしている時が楽しいのか、たったこれだけの事が「わからない」のだ。自分で自分の望みがわからなかった。

母の好みの服はあまり好きではないが、じゃあどんな服が好き?と問われたら…むーん…子育て中はおしゃれより、動きやすく汚れても気にならないお値段の服=お気に入り、だからパッと思い浮かばなくてね。

嫌はわかるけど、好きがわからない自分。

今はちゃんとわかるようになった。何が好きで何が楽しくて、何を着たいのか。

母はね、私が独り立ちする事が寂しかったのだと思う。いつまでも頼ってほしかったんだろう。その気持ちは私もわかる。そして母の「やり方」が間違いだった事も。

母と私は別の人格なのだ、

だが母自身が心が自立しないままずっと生きているので、それがわからないのだろう。

だから常に「べったり」くっついていたい。30過ぎた娘であっても、予定を常に把握しておきたくて、週に何度も会わないと寂しくて不安になる。

本当は個々が自立できていれば、

しょっちゅう会えなくても「仲良し度」は変わらなくて、相手を一人の人間として尊重できれば、心地よい距離感で「甘えられる」関係が築けるのだよ?と母に教えてあげたいくらいなのだが。

もがいて苦しんだけど、心が自立できたからわかる。母の機嫌で一喜一憂する私はもういない。

お子が親より友を優先する「当たり前」を、

当たり前に過ごしてくれる姿は、過去の私が癒される。私には叶わなかった学生時代だけど、お子たちが自分を謳歌してくれて、不思議なんだけど「あの頃の私(インナーチャイルド)」の不満が消えていく。

これも「母のようは母親にはなりたくない」呪いのせい?

面白いね、心は変化していく

by毒親育ちmochi