毒親育ちで希少がん患者、という私

ブログに自分の「負」の部分、
「毒親育ちで希少がん患者」というリアルを綴る事。
うーん、まぁきっかけはデジタル遺産として子供に遺したい・遺す家族への毒親の説明書、であった。
でも綴っているうちに、これに解毒効果がある事に気がついた。SNSの海へ「毒」を投げ捨てる感じ?
時系列で書いている時にね、あの話もこの話も…、なんて「親にされて悲しかった、悔しかった事」が次々浮か浮かぶけど「公開ボタン」をポチッと押したら毒が少し薄まる不思議( ´艸`) 。
あと毒親の顔色を伺っていたあの頃の私より、
今の私の方が楽しくて好きだから、負の部分を恥じなくなってきたのもあると思う。
親が生存している限りはね、きっといつかは何かしらのコンタクトは避けられないのだろうけれど(死や遺産等ね)、今の私は、昔より遥かに「自分の考え」を親へ伝える事ができる自分になれてると、私が私を信用している。
親に伝わる?これは無理だろう(笑)。
だって毒親だからね、子供の意見など聞く耳を持たないのも十分知ってるし、何よりも「毒親は変わらない」事を、四十数年かけて「身に染みて学んだ」からね。
対峙し、嫌な思いをしないで解決出来ないであろう事も百も承知であるし、できれば一生対峙しないで済みたいんだけど…、まぁ「その時」がやって来ないと、どうなるかさっぱりわからない。
答えの出ない悶々とした悩みにしかならないから、考えないように努力している(笑)。
もう一つ私が「希少がん患者」という事。
私はねアスベスト暴露による「悪性腹膜中皮腫(あくせいふくまくちゅうひしゅ)」という希少がんに罹患している。
だけどどこでアスベストを吸い込んだかわからない、「暴露不明」という患者。アスベストを扱う職についてたわけでもなく、過去の建築物も取り壊されていたりして、やはりこちらも「不明」。
国害であり、被害であり、労災がからむ「がん」である事。
私は当てはならないし、そもそも興味がなかった。余命の2年という時間を、どれだけお子たちに充てられるか、これしか頭になかった。
そしてこれから先もない。
10年目の中皮腫患者となるとね、色々なものがどうしても目に入ってしまう。
アスベストが危険という啓蒙活動も大切なのだろうが、私の有限の時間は全て「私だけ」のために使うのだ、だから私は団体・患者会・家族会、には属さないしこれからも属さない。
私はね自分自身の人生に、良い意味でもう興味がないの♪興味と趣味はとにかく「家族」だから♡
したいことはあるよ?
オットと散歩しながら、取り止めもない会話をしたり、しゃがみ込んで写真撮ってたら、オットがあれ?どこ行った?って振り返る顔見るのも楽しいし( ´艸`) 。
お子と新作のマックとかミスドとかクリスピークリームドーナツを食べる楽しさとかさ。
お子から電話かかってきて、簡単に作れる料理の話とか、今こんなのあって楽しいよ、やってみれば?って教えてもらって、新しいこと始めるのも楽しくて好き。
なんでもない「私にとって貴重な日々」が
笑顔で過ごせたら嬉しいの。ただそれだけが私の興味であり人生の全部なの。
私のしたい事は家族や友と笑って美味しいものを食べたいだけ。ケラケラ笑いたいだけ( ´艸`)
だからね、つくづく「絶縁」して良かったという思いしかない。あの時頑張った私を褒め倒している。そりゃさ希少がん患者でさ、いつ何時な爆弾を横隔膜に抱えてはいるけれどさ。
でも母に気を使い、父との間をとりなし、聞くに耐えない怒号をお子の前で繰り広げられる日常から離れられたのだ。
はるかに幸せな日常だ。
毒親育ちmochi
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