私の努力と、毒親が頑張る方角の違い

2021年の母の日、
今年も実母へ何もせず平和に終わった♪
備忘録的な話でもあるのだが、前日、傘をさしている前を歩く人の歩き方に「ん?」と思った。傘を肩にかけているのか腰から下しか見えないのだが、それでも父ではないか?と思い当たる悲しいかな娘な私。
父だとしたら、振り返られたら逃げ道のない細い一本道、念が通じたのか振り向かれずに済み、面倒から免れてラッキーな透明傘の私。
2021.05.09、母の日当日。
やはり細い一本道…オットと二人で歩いていたら、対面から父が歩いてきた。父はチラリとこちらを見て、さっと目をそらし去っていった。
オットが「大丈夫?」と聞いたが、私の心に罪悪感は全く湧かず、湧いたのは「家族って一体何なんだろう?」という感情だった。
過去に父は加藤諦三著の本を私に送った、怒りに震えた苦い思い出。(毒と怒りと悲しさと)
当時の私は、とっくに読んでるし、父がこの本を正しく理解しているなら、こんなに苦しくない!という悲しみと、父のあまりの鈍感さに腹が立ち、怒りに震え本を捨てたのだった。
だが、ふと思い直したのだ。
父は自分の家庭を振り返り、家族関係を構築するという努力など、さっぱり頭になく、私に「変われ」と伝えたかったのではないかと。
あの時の私は、しんどさの根源は母であるとすでに自覚をしていた。
そして「母のような母親にならない」「負の連鎖を止める」にはどうしたら良いかを、常日頃考え、本を読み、自己を振り返り、お子を見つめ、必死だった。
時間がかかろうと、お子が自分で靴を履きたいのなら待つ。
こんな事ですら母は待てない、玄関でイライラと「面倒くさがらず履かせなさいよ」と私に小声でささやき、お子に満面の笑顔で「おばあちゃんがクック履かせてあげるね〜♪」と言うのだ。
心の黒い感情を飲み込み、
自分で履きたいお子がぐずらぬよう、そっと背をさすった私だ。
私はお子とゆっくり向き合いたかった。
でも母が口を出し、世話を焼く。黒い感情が溜まると「私が親なの、少し放っといてくれないかなぁ」と心の声が口に出てしまう私。
当然母は聞き逃すはずもなく「さんざん孫の世話をさせておいて偉そうね」と返してくる。
飲み込める日もあるが無理な日もある。
言い争いになると母はすぐ父を巻き込む。
「ほらあなたも黙ってないで何か言いなさいよ!」と。
父は、孫が生まれて家庭が平和で明るくなるのでは、そんな期待があったのかもしれない。だが現実は違い、やはり母の癇癪は治らず、父への口撃も止まず、結局父はイライラする日々。
だから父は「私の子育て」が「原因」で、家族関係が険悪になっている。
そういうことにしたかったんじゃないのか?と、思い当たってしまったのだ。
父は、母との関係性を変える努力を
するのではなく、より父と母にとって「都合の良い娘」になるよう、「子育てをがんばれ」と、私に言いたかったんじゃないだろうかと。
今更両親に心配してもらいたいわけではないのだが、希少がんで余命を過ぎて生きている娘を目の前にし、優しい言葉の一つかけることの出来ない父を気の毒に思った。
きっと声をかけ無視され傷つくことの方が嫌だったのではないだろうか。
お前の腐った根性を叩き直してやる
そう言って、小学生の私を何度も殴った父。
愛情で包み子供のペースに合わせる大人の余裕などなく、子供を大人しくさせるため手っ取り早く暴力を使った、大人ではなかった父。それを謝られたことは一度もない。
だが些細な事ですら謝らないとすぐ拳が飛んできた私だ。
父の「家族なんだから話せば分かり合える」
なんて幻想、いや戯言を、父はまだ信じているのだろうか?ふと笑いそうになってしまった。
少なくとも私は両親と「話し合い」などしたことがないからね?
いつも両親の考えを押し付けられ、従い、父と母の険悪を解消するピエロ役でしかなかった。
私は自分を楽しい方向へ
連れて行きたかったから変わろうと決意したの。たとえ肉親であろうとも、私の心を壊し続ける人たちの側にいてはいけない、ようやく決心がついたから必死だった。
父と母は何も変わらず丸4年が過ぎた。
彼らは自身を振り返る事も、壊れた縁をどうする事も出来ないまま今日に至る。
過去にあったアクションは全て「母」からで、そのほぼが「お金」という方法であった。毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応は。)
人の心は、お金でどうにかなるものではないし、我慢し続けられるものでもなく、互いを思いやれなくては続いていかない。
これを私は親からではなく、
「親と絶縁した経験」から学んだよ?
あれ程苦しく悩み揺らぎ、不安と罪悪に苛まれたことはない、そう言い切れるほど完全に縁を切り、心が揺れなくなるまで、私は泣きながら相当頑張ったの。
だから今の安寧がある。
我が子が目の前を通るのに、声をかけることすら出来ない親って「一体何なんだろう」って思ったよ?
毒親育ちmochi
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