毒母の誕生日が今年も過ぎました

母の誕生日は、母の日と同じ月。
毒親育ち、贈り物には手を焼いていたから、絶縁をしてから本当に心底気が楽になった。
解毒が進んでいるのだろう。今年はアレクサの画面を「あーそろそろ0時か」と見た時目に入った日付で「あ!今日だった」と気がついた。
母は「家族仲が良いマウント」が大好きな人でね、ご近所に、友人や親戚に「自慢」したいがため、貰うプレゼントの内容に煩かったのだ。
- デパート(定価販売だから)
- ブランド名表記もの(人に気付いてもらいたいから)
- 諭吉越え必須(いつもしてやってるから当然だ理論)
これが私が送るプレゼントの最低基準。この基準は母へのプレゼントでのやりとりで数十年かけて学んだもの。
例えば、同じ品だからとネット購入した時、
「ネットだと安いんでしょ?私だからいいけど、人には失礼だから、ちゃんとデパートで買いなさいよ?」と、不満オーラ全開でネチっと言う。「ありがとう」の前にね。
一緒に選ぶと、今度はデパートの店員さんへ「自慢」したい母。
「優しい娘さんがいらして羨ましいわ」の一言が欲しいのだ。
結果、諭吉1.5人の「エプロン」をおねだりされ購入したことがあった…(肝が冷えたよ)。母の日だから更に「お花」も当日用意しないといけない暗黙のルール。
そして同じ月にやってくる母の誕生日
どんどんハードルは高くなっていった。
絶縁前、最後に渡した母への誕生日プレゼントは、趣向を変えて家の中で着られるものを選んだ。肌触りの良いリネンのブラウス。
全くもって上記の条件を満たしていなったからか、「あれ私着ないから返すわ」と後日言われた。
あの時の私は希少がんの余命を超えてのプレゼントで、いつ「形見」になっても不思議ではないのだが、それでも母は「気に入らなかった」事を私に伝えずにはいられないのだ。
つくづく気の毒な感性の人だと思う。
我が子が「母」を思い選んでくれたもの。自分を思い、何が喜ぶかな?と想像して選んでくれたのだ、それは何よりもスペシャルな贈り物なのに。
本音はLINEのメッセージだけでいいの私( ´艸`) ♡
せっかくのバイト代、お子がお子のために使って欲しい。それでも「何かを」と思い選んでくれるのだ。幸せ以外に何を感じる???解毒が進んでいる私には不思議でしかない。
母は「金額と見た目」が必要だったのだ。
それ相応の贈り物を貰う価値が「私にはある」、そうやって「自己の価値」を推し量っていたんだと思う。
ご近所や友人親戚に、「これこれ〇〇エンな豪華なプレゼント」を貰う「娘から愛させれている私」マウントが取りたかったのだ。
母は自分自身で「幸せ」を感じることができないのだろう。他者からの「評価」によって、「あぁ、私は幸せだわ」と感じ満たされる、そこに母の軸は無い。
だから「目に見える形」を欲しがり、「褒めてもらえる物」を貰わなくては満足できなかったのだ。
母は送った相手、つまりは私
そう相手の心は見えていなかったんだなぁ、と今更ながらに思う。
やはり相手の気持ちを雑に扱って来た結果が「今」なのだとね。
- 年末
- 元日
- 3日
- バレンタイン
- ひなまつり
- お彼岸
- ホワイトデー
- 父の誕生日
- 母の日
- こどもの日
- GW強制旅行
- 母の誕生日
- 父の日
- 夏休み孫を連れ出かける
- お盆
- 敬老の日
- お彼岸
- 私たち家族の誕生日
これら全てに「私たち家族」は駆り出され「実家」へ行っていた。
お子の誕生日当日を「我が家」で祝ったことがなかった、全て母が「実家」で行いたかったから。すべてが「母優先」で物事が流れていた、歪んだ生活だったとつくづく思う。
行事のたびに娘家族が遊びにくる
「愛されている母」でいたかったのだろう。
ならば喧嘩をしなければ、母が不機嫌を通り越し喚かなければ、父が怒鳴り返さなければ…。
そう。和気藹々ご飯を食べ、ケーキを食べ、楽しかったね、美味しかったね、と笑顔で一日を終われていたなら、私もお子二人も、ここまで「実家」を嫌わなかったかもしれない。
だが事実はこうだったのだ。
だから私は絶縁したし、お子たちは会いたくないと言うのだ。
母よ父よ、これはやはり因果応報なのだと思うよ?
老後がこういう形になってお気の毒とは思うが、両親の見栄や「かすがい」のために、私とお子は利用されていたのだからね、修復は無理。
再び両親のために「身を削る」意味が見出せない。
穏やかな一日が今日もすぎる
何もない、しあわせな今日( ´艸`)
by毒親育ちmochi
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