家族より自分が一番大事、毒親の本音。

家族より自分が一番大事、毒親の本音。

スープの冷めない距離に実家がある我が家。

街で出会ってしまう事は仕方がない。越したとて夫の実家も夫の勤め先も変わらないから、新たな住所を親が知ることは簡単なので、越すメリットは「街で偶然出会わない」くらいしかない。

街ででくわす事に関しては、仕方がないと諦めているし、心が痛まない自分を知ったからいいのだけれど。(街でみかけた母の背中心細く見送った毒母の背中、過去の健気な私

この1ヶ月ほど、心がどうにも深海から浮上できず、この感情を言語化することすら億劫でいた。

6月は悪性腹膜中皮腫の手術をした月である。

悪いもの(悪性腫瘍)は全て取り切れた、と先生から手術の成功を知り安堵の涙を流した。

実際は横隔膜に4〜5個の悪性腫瘍を先生は手で触って確認していたが、QOLを考え体力が回復したら抗がん剤治療を始める予定で閉じた。

その上で家族(父・母・夫)と医師で話し合い、退院し、一度目の通院の時に「真実」を伝える事に決めたのだ。

私は手術に「希望」を託していたから。

なのに父が見舞いにきた時に言った。

「手術が無事終わってよかった、横隔膜は残念だったけど気を落とすなよ」と、隠しておくはずの家族の約束である「真実」をあっさり私にばらした。悪性腹膜中皮腫という爆弾

父も母も傷つけられる事に人一倍敏感で、

それは、まだまだ世の中を学び、成長過程にある我が子対しても容赦無く…、いつも両親に対する発言に気を使い生きていた。

なのに父も母も、我が子の心を「傷つける」事に無頓着だったなぁ、なんて今更振り返っても何の得にもならぬ過去の痛みが、脳内をぐるぐる駆け巡る1ヶ月であった。

やはり思ってしまう、

家族って一体何なんだろう?と。

私が育った家族は機能不全だった。

何のために両親は家族を作ったのだろう?

散々考えたけど、過去は変わらないから考えるだけ無駄なこの疑問、これに絡めとられて心が浮上できない事が悔しいよ全く。

夫と私とお子たちの家族はね、のびのび家族である実感がある。

お子たちも私が実家と絶縁してから、遥かに家の空気がよくなった、私の変化に驚いたと言っている。

今の家族が好きだと言う。うん、私も大好きだ。楽しいよ、幸せだよ、そしてありがとうが溢れ出る。家族って暖かくて嬉しいなって心から思う。

2012年は「希少がん」とわかり、

母の剥き出しの感情が鮮明になった年であった。(娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」)そして父は全く頼りにならない事も明白になった。

乗り越えてきたよ、死の恐怖も、お子と分かれるかもしれない絶望も。

だけどこの気持ちに父も母も一度も「真剣に寄り添ってくれなかった」

私が両親を「捨てた(絶縁)」

これに迷いはないし後悔もない。むしろもっと早く行動に移してたらよかったとすら思う。

なのにね、たまに襲ってくる「見捨てられた感」これが厄介で嫌い。

ついお子に置き換えて考えてしまうからだろう。我が子(私)が希少がんであり、今生きている事が不思議な状態なのだ。街で出会って目を逸らし立ち去る事が私にできるだろうか?と。

まぁね、そもそも告知の時点で「ひとり」で病院へ行かせないだろうから愚問なんだけど。

そんな心のポッカリの扱いに手を焼きながら過ごしている。

原因は分かっている、

父や母が言ってきた「家族が何より一番大切」という、様々な家族讃歌の言葉を刷り込まれ素直に信じていたのに、

現実は「家族より自分が一番大切」という父と母の本当の姿を思い出し、時々やり切れない気持ちが込み上げてくるだけの事。

過去の過ぎ去った出来事に、今の自分が苦しいという、全くもって誰得でもない悶々とした感情を持て余した状態。

早く心の億劫から解放されたい(笑)

by毒親育ちmochi