孫と出くわした毒母と、私が絶縁を選択した心

孫と出くわした毒母
一昨日(1/13)、子ども②が我が家を出たところ、目の前の道を歩く毒母と目ががっつり合ったらしい( ̄ー ̄ )。
それはね、我が家と実家がめっちゃ近すぎるのが原因なのですが…(街でみかけた母の背中)
内心「やばっ」と思ったそうだが、冷静に気がついてない素振りで、そのまま毒母の前を歩き数メートル先の角を曲がった。
イヤフォンをしていたから、背後から母が子ども②に声を掛けたのかどうかはわからない、でも昔のように肩を叩いて声を掛けるような事はしなかったよ〜。この距離に住んでいるから会っちゃううのは仕方ないよね〜、と言っていた。
毒母は大きくなった子ども②に
気が付かなかったのだろうか?
それとも声を掛ける事自体「怖くて」できなかったのだろうか。父と母の最後の印象の子ども②は、中学か高校…、制服姿のあの子である。
今現在の私服の趣味も知らないだろうから、気が付かなかったかもしれない…真相はわからないんだけどね。
私も子ども②も、毒親に街で出くわす時「やばっ、会っちゃった」と思うけれど、その気持ち以上の感情がもう湧かなくなってしまった。
昔は、罪悪感や寂しさ、やるせなさ
そんな心細さに押しつぶされそうになる日もあったけど、今は単に「面倒」としか思わなくなってしまった。
子ども②は言っていた、お互い会っちゃわない方が平和だからね〜、と。子どもたちには申し訳ないが、私も同じだわ。
毒親はお正月に松一家に遊びに行き、一言も私の名前も子どもたちの話題も一切出さず「楽しく過ごした」らしいけど。(私の存在を消し、親戚付き合いを再会した毒母)
本当そんなんでいいの?大丈夫????と呆れつつも、彼ららしく、笑ってしまった。
私が何を思い絶縁を選択したのか、
なぜ絶縁を選ばなくてはいけなかったのか、なぜ父と母と兄を頑なに「拒絶」し今を生きているのか。
そんな私の気持ちを聞く気は全く無いようだ。
漏れ聞こえてくる父と母の言葉からは、やはり毒親が望むのは「私からの謝罪」なのだ。
彼らは「親」であるスタンスを死守したいのだろう。
親なのだ、子どもに謝罪することなど、彼らの弱いハートでは耐えがたい屈辱なのだろう。
幾つになっても生き直せる
私はそう思いたい。
毒母による洗脳と共依存により、正常な判断力を持ち合わせていなかった私は、子供たちにとっても「毒母」であっただろう。思い当たることはたくさんある。
毒母との依存関係から抜け出す事、これは洗脳状態の私には「とてつもない恐怖」であった。
一人で歩いていく自身が全くなく、大嫌いな母、でも私は母の掌にいないと生きられないと思っていた。
でも死ぬ気で抜け出したら、見える世界がガラリと変わった。
世の中はキラキラと輝いて見えた。大袈裟ではなく、本当に。
伝えなくちゃ、謝らなくちゃ、変わらなくちゃ私
私のダメさを子どもたちに正直に伝えた。
私の心が弱かった事。毒母の依存が辛く、そのストレスからきつい言葉を投げつけた過去の様々を、思い出す限り話した。
そしてそれら全ての態度は「私が全て悪い」のであって、子どもたちは何も悪く無い、私の幼く弱い心が招いた罪だと。
許してくれと言わない事も伝えた
そんな図々しい事、口が裂けても言えない。
今後は「後援会会長」として「カネは出すが口は出さない」をポリシーに、応援をさせて欲しいと。
謝るのはあくまでも「私の自己満足でしかない事」を肝に銘じて今話をしてると、子ども①②に伝えた。
今では、過去の私の様々は「笑い話」となっている我が家。
子どもたちの懐の大きさ、優しさ、深い愛情に、感謝しかないの。本当に。
私は子どもに惜しみない愛をもらい、
やっと自分弱さと向き合い、自分の足で立つ勇気、生き直す今の私に「生まれ変われた」のだと思う。
本当の「心が繋がる」という経験をできたから、私はもう大切な人たちを傷つける事はしたくない。その人たちを守るために私は「毒親と絶縁する事」を選んだのだ。
今の我が家を、雰囲気を、ふわんと柔らかなのほほんさを感じては、つくづく毒親と絶縁してよかった。
ホントにしみじみ思う♪
なんて事を考える出来事でした。
by毒親育ちmochi
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