絶縁を決めたのは私、夫の洗脳じゃないよ♪

絶縁を決めたのは私、夫の洗脳じゃないよ♪

さぁて、私の人生「春」に分岐が多い

昨年の春は平和だったのだが、2022年3月3日『ひなまつり』、やはり決断の春となりました。(今までの春→よろしければ♡

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絶縁状を父母兄、親族全員へ一斉郵送しました

  • 絶縁状(内容証明郵便)→父母と親族全員、兄は海外なので国際書留
  • 絶縁通知書(書留)→同上
  • 暴力被害報告書(書留)→父母、兄は国際書留

⇧上記全書類を警察署へ提出済み(2022.3.)

送付は2022.03.03『ひなまつり』

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届いた順番、

  1. 竹三妻  (3/4 午前)
  2. 桃四   (3/4 午前)
  3. 竹三長女 (住所違い私に戻る)
  4. 父:梅二夫(3/4 夕方)
  5. 母:梅二 (3/4 夕方)
  6. 松一妻  (3/5 昼)
  7. 松一長女 (3/5 昼)
  8. 松一次女 (3/5 夜)
  9. 父の実弟 (3/6 昼)
  10. ※兄:梅二長男 → ただいま海上移動中(国際書留)

※竹三長女の新住所がわからないため、返送書類(内容証明・書留)2通を一つの封筒へ入れ、竹三妻宅へ送付。(3/7午前着)もし手渡して頂けるようでしたらお願いしたい旨、不可能なら申し訳ありませんが破棄を願う手紙を入れ、託しました。

届くかどうかは確認不可ですが…まぁ、松一長女辺りからブログの存在を聞いているのではなかろうかと推察。

夫による洗脳と思うかな?

もうね、父母と「丸5年」会ってないから、手紙を読んでどう思ったか…、それすら私には全くわからない。ただ「夫による洗脳」ではないよ?!と記しておきたい(笑)全部自分で考えて決めたことだからね?

私もう立派なアラフィフだからね( ´艸`) ♪

なんとなく母が、「あの子はパパに洗脳されてるのよ!!」と言いそうなので念のため。

毒親と絶縁し5年、がん患者として10年。

私は希少がん患者でもある

がんに罹患したとわかったのは10年前の春。手術出来たが、「とりきれなかった腫瘍を残し」閉じた。術後先生は「2年と思って生きるように」と告げた。

治療法が確立しておらず、使用できる抗がん剤も奏功率が3割を切る。そんながんに罹患している。奇跡的に今年の春で丸10年になる。(中皮腫というがんを、内包し生きる事

2012年は意識が大きく変化した年

2012年、がんに罹患してから、自分の事を「誰か」と共有し決定してはいけないことを学んだ。

不安も半分になるだろうが、責任も半分になってしまうから。

「私の命」という大きな「責任」さえも、共有した「相手」にも半分背負わせてしまう。それはあまりに重すぎ、あまりに酷だから。

だから抗がん剤の選択も、治療についても、全部「先生と相談」して、「私一人で決定」してこの10年を歩いてきた。

もちろん「親との絶縁」もだ。

すべて私が「勝手に決めて」「勝手に行動」したの。

夫にはいつも事後報告ばかりで、度々驚かせて本当すまぬ〜( ´艸`)

でもね、いーの、いーの、もうアラフィフの立派な大人なのだ。どう行動するか決めるのは自分だけでいいいのだよ♪

再びの絶縁宣言

これはね、やはり2022年1月2日(私の存在を消し、親戚付き合いを再会した毒母)が大きかった。

そこに、2022年1月17日、父が心療内科へ「私の病状を問い合わせた」ことが、私をもう一押しした。

兄が平然と何の罪悪感も持たず、以前と変わらず親戚付き合いをしているという現実、丸5年音沙汰のなかった毒親が私の病気を知りたいと行動した事実。(きっとがん拠点病院にも電話していたんじゃないかな)

私は兄による性暴力の被害者なのだ

それこそ(パンドラの箱の中身が開いた、あの日)から、延々フラッシュバックに苦しみながら生きている。

やっと操縦方法のコツが掴めてきた頃だったのに、「毒親の気配」を再び身近に感じて、私の心身は2017年(私から毒親を捨てた日)に、あっさり戻ってしまった。

診察の日、先生から「父からの電話」の話を聞いた瞬間、私の心臓はギュッと痛み、その日から再び「悪夢」を、きっかり「毎晩」見るようになった。

性暴力の過去、暴力の過去、傷をえぐる言葉の過去。

それらを毎晩毎晩「夢」で見る、笑えないほど「精巧な脳の記憶」。違う記憶力と交換してくれないかのぉ…

いつになったら解放してくれるのだろう

悪夢にうなされ起きては、泣きながら「頼むから記憶を掘り起こさないでほしい」、そればかりが頭をぐるぐる回る。

このままでは、再び私は奈落へ沈んでしまう。

私を助けるために、「父母兄・親戚全員」へ「絶縁状」を内容証明郵便で送ることを思いついた。

安寧に暮らしたい

願いは本当にそれだけなのに。

なぜ理解をしてくれないのだろう。

とにかく兄は無理、

激しいフラバに途方に暮れる。

親族へ伝えたかった

これはボタンの掛け違いや「親子喧嘩」の類ではない事を。

理解は求めていない。

ただ一つ「冠婚葬祭等には出席しません」、

そしてその理由を説明したかっただけ。

でないと、父母兄の動向が私の耳に入るだけでこれほどまでに「心が激しく不安定」になるのだ。

2022年の春の私は、

親族総「絶縁」で、私自身びっくりの展開。

でもね、もう十分苦しんできたから私、

解放されたいの、これが本音。

by 毒親育ちmochi