毒親と親族へ、絶縁状を送った反応(約2ヶ月後)

2022年の雛祭りの日、父母兄と親族に絶縁状を送った
あの日私は”父母兄、父母の親族”に「絶縁状と絶縁通知書」を送るため早朝から郵便局にいた。
内容証明郵便と書留郵便で送ったので受取日時が確認できる。
早い人で翌日4日の午前中、遅い人でも6日に配達は終了した。
反応は、松一次女から「何かあった?」とメールが来た事と、父の弟の奥さんである叔母から手紙が送られてきた、のみであった(3月)。
このまま鎮静した距離を確保し生きる予定だった
流石に今回ばかりは「絶縁理由」が正しく伝わったんじゃないか、少しは私の気持ちを理解してくれたんじゃないか。
流石に今回はしゅんとし、父母と兄で「私の問題」に向き合っていると思い込んでいた。
やりきった感を胸に2022年の春を、
桜が新緑へ変わり「希少がん患者10年」が過ぎる重みのある春でもあり、しみじみ我が人生を俯瞰で見つめた4月だった。
毒親だけど、傷つけた申し訳なさもあった
ここが共依存であり毒親育ちの悲しい性なのだが、
5年前の絶縁ほど大きな心の揺さぶりこそないが、親族に向けて「総発信」した事に対する申し訳なさ、この一点のみ、私の喉に引っかかっていた小骨だった。
「家庭内の恥部を暴露した事」に対してごめんなさいというニュアンスね( ´艸`)
今後一生関わらないからこそ、本当に最後という気持ちを込めて、「手書き」で父母にのみ手紙を書いた。
それは父母のため、ではなく私の心身のため。
感謝すべきはちゃんと伝え、傷つけた事実は謝り、互いが生きている間一切関わらないが「父母の幸せ」を願う気持ちは嘘では無い事、
これら、兄の件抜きで「娘として」最後に私の文字で手紙を送り「最期のあいさつ」にするつもりだった。
やはり毒母は何一つ変わらなかった
投函する前に「嫌な予感」がよぎった。
こんなに父母が静かな事に違和感が…うーん?まて?ひょっとして?
迷った時は行動に移さない(手紙を投函しない)、
これ私の鉄則。
だから投函する前に「父母の様子」を偵察する事にした。
この行動ビンゴだった!
やはり母は何一つ変わっていなかった。
それどころか、
「私が一切連絡を断つ」=「母の虚言が訂正されずに済む」=「母語り放題」の図式が生まれていた。
あぶないあぶない、うっかり情けをかけちゃうところだった。
何事も確認が大事♪
土下座をして謝ったが許してくれなかった
絶縁状が届いた翌日に、真っ先に親族にそう電話をしてまわった事を知った。
さらにダメ押しで「虎屋の羊羹」やら「美味しそうなお菓子」をどっちゃり贈ったらしい。
母は、
絶縁通知書に書いてある通り全て私が悪い。
土下座して謝ったけどmochiに許してもらえなかった。
娘というより友達のようで、一緒に出かけるのが本当に楽しかった。
旅行に行ったり、病院に付き添った帰りにランチをしたり、すごく楽しかったのよ。電話したくても着信拒否されてて連絡が取れなくて…
松一妻宅に遊びに行ったのがそんなに気に入らなかったのかしらね…とさめざめと泣きながら謝罪してまわったそうだ(待って、何一つ理解してないじゃん)。
そしてその後も松一長女が足繁く何度も「実家」に通っているとも聞いた。
静かな怒りが湧いた
感情的な怒りではない。
感情が冷え込む…そんな種類の静かな怒り。
全く私の気持ちが届いていない、そりゃ母が楽しかったのは当たり前。私が自己を押し殺し「母に合わせていた」のだから、ダメだ、全くもって伝わってない。
私の心を救うために父母宛てに用意していた手紙は破棄した。
代わりに別れの「最期の手紙」を投函した
最期の手紙、これが私なりの蹴りの付け方だ。
くどくど言っても「毒親は毒親のまま」、何一つ伝わらない。
やはり逃げ切るが勝ち、情けなどかけても無駄、結局心を痛めるのはいつも「私」。
土下座などされた事のない私からの「最期の手紙」を、2022年4月30日に普通郵便で皆へ送った。
私の長い「毒親との戦い」終了の手紙
もう振り返らない、後ろ髪もひかれない。
今回絶縁状を送付した事は、心の痛みを伴い綴った「最後の叫び」であった。
だがそれすらどうでも良くなった。
残念だが「性暴力の重み」が母方親族にも1ミリも届いていなかった。さすが毒持ちの家系だなと思った。
私は「今回負った痛み」を癒しつつ、次の場所に進もうと思う。
よく頑張った私♡
by 毒親育ちmochi
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